カーラジオ
斎藤は、よくカーラジオを聞く。
別にこだわりがあるわけでは無い。
金をかけたくないがゆえに格安で買った中古の軽に
カーラジオがついていたから聞いている。
せっかく備え付けてあるのだから利用してやろう。
ざっくばらんに言えばそんな気持ちで
使っているだけだ。
その日の深夜0時も、いつものようにカーラジオを
つけながら、会社から家までのガタついた山道を
70キロを少し超えたくらいの速度で走っていた。
夏特有のくぐもった暑い空気が
エアコンの効きの悪い車内に満ちている。
「オープニングナンバーは、若者に人気のロックバンド
ヒットエンドランで──」
「大きな忘れ物、ありませんか?青春時代に─」
「一昨年7月、当時8歳だった…………
事件を起こした車両は、現在も見つかっていません」
「ズィーズィークリスティーンの『激突!ZZ!』!
深夜12:30からオンエアー!」
対向車も居ない道路を
何かを考えるでもなく、BGMとして聞き流しながら
運転していた時だった。
「正義のヒーロー!ダン!ダン!ダンファイター!」
ラジオ番組の途中、いきなり切り替わった。
子供向け特撮番組のCMだろうか?
深夜の静かさに似合わない明るくハイテンションな曲調。
不気味な夜の静寂の中では、そんな明るさも悪くない。
元々特撮好きな斎藤にとって、この馴れ親しんだ曲調は
夜のお供にはありがたかった。
「君の心は 燃えているかい?あの太陽のように」
「真っ赤な血潮は元気の印!
熱き弾シイ(たましい)で敵を撃つ!」
「正義のヒーロー!ダン!ダン!ダンファイター!」
CMにしては長いな。
ハロゲンランプが照らすことでかろうじて見える
暗い前方を観ながら、斎藤はそう思った。
「逃げるな悪党 クライヤー!お前の罪は知っている」
「赤き炎は怒りの印!
照準無礼ない無敵のBRAVE!」
「消えぬFLAME!ダン!ダン!ダンファイター!」
違和感を斎藤は感じた。
普通CMというのは長くても1分ほどだろう。
わざわざ2番までフルで流すものだろうか?
(…もしかして番組で流す曲のタイミングを間違えたのか?)
一旦細かいところが妙に見えてくると
どうにも気になってくるものだ。
番組スタッフは止めないのだろうか?
少し曲がったガードレールが見えてきた。
緩やかなカーブが来る合図だ。
「もし君が間違えそうになっても…………ジジジ………
正義のヒーロー!ダン!ダン!ダンファイター!」
「チッ……」
(…おいおい、マジかよ…ついに逝ったか?カーラジオ…)
思わず舌打ちした。
考えてみればあり得ることだ。
一昨年にパーツを入れ替えたから
所々は新しいが
初めてこの車を見たとき、値段のあまりの安さに
何か裏があるのではないかと疑ったほどだ。
今にして思えば、昔に発売されていた車だし
年季が入っていたのだろう。
カーラジオにガタが来ていても何もおかしくない。
安物買いの銭失い、などと頭の奥で考えながらも
斎藤のハンドルを握る手には少しだけゆとりが
出来たようだった。
そんなものに何も根拠など無いことを
考えてはいなかった。
(しかし…このダンファイターって、いつやってたんだ?
最近のアニメとか特撮ならチェックしてるけど
そんなの聞いたことないな……)
それなりに特撮は見てきたつもりの斎藤でも
ダンファイターという名前の特撮ヒーローは
知らなかった。
地方で放送されていたご当地ヒーローか何かだろうか?
家に帰ったらチェックしなくては。
そう思いながら、トンネルに入った───
暫くした後、異常は起こった。
「逃げるな悪党 クライヤー!お前の罪は知っている」
「赤き炎は怒りの印!
照準無礼ない無敵のBRAVE!」
「消えぬFLAME!ダン!ダン!ダンファイター!」
消えない。消えないのだ。
トンネルの中で電波が届かないにもかかわらず。
少しのノイズすらなく、ギターの効いた明るい曲が
蜂の巣のような見た目のスピーカーから流れてくるのだ。
さながら葬式で詠む経文のように流れてくるのだ。
今さっき初めて知った曲のCDを持っているはずもない。
アクセルを踏む足先にじっとりと汗が滲み出す。
「もし君が間違えそうになっても…………ジジジ………
正義のヒーロー!ダン!ダン!ダンファイター!」
終わらない。
リピートされている。
一向に、終わらない。
「君の心は 燃え」ブチッ!
斎藤はカーラジオの電源を落とした。
なぜだかは分からない。
ただ、漫然と、思ったのだ。
この曲は何かヤバい。聞き続けるのは良くない。
そう思ったからだ。
トンネル内のオレンジ色の照明が
蛍光灯の豆電の様にあたりを照らしている。
何かが湧いて出てきそうな、漫然と漂う不安感。
安全用のポールさえ生き物にみえる。
斎藤は無意識にサイドミラーを確認した。
何も居ない。後続の車も居ない。誰、も居ない。
安心した時だった。
ジ…ジ…ジ──ジジジジ!!!
けたたましいノイズが悲鳴の様に鳴り響く。
「……赤な血…は………印……あ………シ……う………」
ラジオは鳴りだした。
電源は切った。間違いなく切ったはずだ。
おかしい。
鳴るはずが無い。
電源の切れた機械は動かなくなるはずだ。
そんなことはありえない。
斎藤の脳みそはぐちゃぐちゃにかき乱されていた。
額から汗が滝のように流れている。
叫び出したい気分だった。
おかしい。おかしい。絶対におかしい。
自分に言い聞かせた。
「………ニゲルナ……オマエ…ハ…シッテイル………」
ぶつ切りの音声が次第に言葉になっていく。
「ニガサナイ………ニガサナイ………ニガサナイ!!!!」
吠え立てるような声が響く。
「ツミヲツグナエ!!!!!!」
「アあ"ぁ"ぁァァァァあッァぁぁ────!!!!!!!」
堰が切れた様に斎藤は叫んだ。
アクセルを狂ったように踏み込んだ。
グングンと景色が後ろにすっ飛んでいく。
交通法規などクソ喰らえだとでも言うかのように
車を最高時速で走らせた。
およそ先程まで普通になっていたカーラジオが
明確に自分を殺そうとしているという
奇っ怪な状況に耐えられなかったのだ。
罪を犯した覚えなどないのは分かっている。
ただただ逃げ出したかった。
後輪をドリフトさせながら、古ぼけた軽自動車は
暴走している。
ガリガリとグラインダーでも当てているかのような
音でテールランプをのり面にこすりつけながら
ひたすらに、やたらめったらに爆走した。
だが、それもやがて止まった。
バギィィィイッ!!!!
斎藤の軽は、ガードレールを突き破った───
「先生!斎藤さんが目を覚ましました!」
看護師らしき女性の声が響いた。
斎藤は────目を覚ました。
病院のベッドの上で。
手足は折れているものの大した欠損もないようだった。
(…あれは………)
カーラジオから聞こえたあの声は
子供のようにも、大人のようにも聞こえた。
怒りのこもった叫び声は今でも耳にこびりついている。
ギプスの装着された手足が重くベッドに沈み込む。
暫らくすると先程の看護師が
「先生」であろう白衣を着た壮年の男と
もう一人、初老のスーツ姿の男を連れてきた。
いやに目つきが鋭い。
獲物を見る鷹の如き目だ。
「…救護して貰いありがとうございます。」
「いえいえ、目を覚ましてくれて良かったです。
怪我も酷かったですが、それ以上に
随分うなされていたので心配していたんですよ。
…どうでしょう?変な所はありますか?」
銀縁の眼鏡をかけた医師の目つきが
少し緩まったように見えた。
話してみよう。
そう考え、斎藤は思いっきってあの日の夜の出来事を
話してみた。
突然鳴り出した特撮のような曲。
トンネルの中でも鮮明に聞こえるうえに
電源が落ちても聞こえるカーラジオ。
あの、声。
なるべく細かく説明した。
幻覚なのかも知れない。
だが、あの経験を共有しないと今後寝ることなど
出来ないと思ったのだ。
全て話し終えたときの、「先生」の顔は
曇っていた。
「…なるほど……そういうことが…
…実はそのことでお話があるのですが……」
「……何でしょうか?」
「これは警察の方から聞いた話なのですが…
……一昨年の7月、近くの市で子供が
轢かれる事件があったでしょう?」
「はぁ……あの事故ですか…
8歳の子が亡くなったっていう……」
「………あの事故に使われた車…
まだ見つかってませんよね?」
「…そんな話でしたね。」
「……確かアレ、古い軽自動車だったらしいですよね?
斎藤さん」
「さっきから何が言いたいんです?僕が犯人とでも?」
「いえ、そんなことは……
違うと分かっているなら警察の方にも
しっかりとお伝えしたほうが良いと思い
お話させて貰いました…お気を悪くされたなら
失礼しました…」
「先生」が居なくなった二時間後
山田と名乗る警察官が部下らしき男を引き連れて
事情を聞きに来た。
斎藤はその時に聞いた。
カーラジオには事故による損傷以外
なんの故障もなかった事。
少年は特撮のファンで、自分でヒーローを考える程
大好きだった事。
ひき逃げ事件の被害者の少年の父親が自殺した事。
何回かの問答を警察官と繰り返し、数時間した後
斎藤は出頭した。