初恋
幼い頃の彼女の記憶しかなかったソレイユ王太子は、久しぶりに対面したソフィオーネの声や形を何度も記憶から呼び出しては、妄想に耽っていた。
「ソフィオーネは来てくれるだろうか」
「どうでしょうね。いきなりソレイユ様からお茶会の招待状が送られてきても、あの御令嬢は喜ぶどころか、戸惑って見なかった事にしたりするんじゃないでしょうか」
「フィー。……お前」
自分でも少し考えていた事をズバッと言われ、ソレイユは親友でもあるフィーバーフューをギロリと睨む。
「何ですか。その不満そうな顔は」
「いや。お前は時折、自分は何でも知っていて当たり前、という様な物言いをするからな。それがムカつく事に的確に当たっていたりするから、余計に腹が立つ」
「そんなに褒めても私からは何も出ませんよ」
「褒めてねーよ」
***
ソレイユがソフィオーネの存在を知ったのは、彼女が初めて参加したお茶会だった。
ソレイユは毎週絶対参加で、これは自分が結婚相手を選ぶまで続くという事を何処からか聞いて知ってしまった。
毎回同じ事の繰り返しで、飽きてしまっていたまだ幼い王太子は、その事実を知り、そろそろ誰でもいいから決めてしまおう、と、決心した日だった。
毎回思うのだが、この時ばかりはまるで女性の洋品店へ足を踏み入れてしまったかの如く、華やかで、着飾った幼い令嬢たちが、自らの装いを自慢気に他の令嬢の粗を探す。
そして誰よりも自分が一番と自信を付けた令嬢たちは、王太子と二人の時間を過ごしたいと競うのだ。
今回もそんな空気が見てとれ、ソレイユが人知れず視線を彼女たちから背けた時だった。
色とりどりのフルーツをふんだんに使ったタルトやケーキ、クッキーなどが所狭しと並べられたお茶会の席の遠い場所に彼女は居た。
まだお茶会の時間には早く、顔見知りの令嬢たちがそれぞれに集まり、牽制し合っている空間で。
ただ一人、何処から持ってきたのか、一冊の本に夢中になっている女の子。
ドレスもそこまで派手ではなく、むしろ控えめな場所に座る彼女らしい、まるで澄み渡った青空色のドレスは、一瞬でソレイユの意識を惹きつけた。
「ねぇ」
王太子とお近づきになりたい令嬢たちは我先にとソレイユの近くの席を陣取るのに、彼女は誰にも見つからぬ様、ひっそりとその場に座っている。
ソレイユは誰が見ているとか、周りの視線など気にせず彼女に話しかけた。
「その本、面白いの?」
「え?」
ソレイユは昨日までに覚えさせられた顔写真の中から、ソフィオーネ・プティ・リムタスの名前を引っ張り出す。
身分は低いが、ギリギリ王太子妃の候補に上がる家柄ではあった。
「何を読んでるの?」
「……」
「他の子たちとお喋りしないの?」
ソレイユの方が先に興味を持ち、話しかけたのは恐らくこの日が初めてだった。
それまでは相手の方がソレイユのお目に止まりたい、と、必死に会話の糸口を探ろうと必死になっていたが、今日ばかりはその逆のようだった。
「僕も本読むの好きなんだ」
「……」
「……」
「……」
打っても返って来ない会話に、ソレイユまでも止まってしまった時。
「おうじさま」
「え?」
今まで黙ってソレイユの顔を見ていたソフィオーネの頬が色付いた。
「それって」
ついに声を返してくれた。
と、嬉しくなった時。
ソレイユは気が付いた。
彼女の瞳が自分を映していない事に。
「王子様って」
「ソレイユ様の後ろに」
言われて振り返ったソレイユは、その友人と目が合い、絶句した。
確かに彼の見た目は王子に見える。
本の世界の。
だが、彼はただ、側近候補の一人で、かつ、幼い頃から勉学を共にする友人である。
こういった日も、令嬢たちが距離を詰めて来すぎないよう。勿論護衛は側に控えているが、ほぼ子どもたちだけの場であるので、人の捌きを覚える、という意味合いも兼ねてフィーバーフューも行動を共にしているのだ。
彼の外見は、柔らかそうな金髪、緑の目、そして長く伸びた髪を後ろに結ぶ、優男。
ソレイユはこの日初めて、友人に恋敵認定を下した。
「あの。ソフィオーネ様」
その視線の意図に気付いたフィーバーフューが、彼女の名を呼び、口を挟む。
このままだと今日のお茶会はとんでもないことになってしまいそうだ、と判断したからである。
「王太子は貴女の目の前にいらっしゃるこの方でありますが」
「……ええ。存じ上げておりますわ」
当たり前じゃない。
そう言わんばかりに返されてしまっては、フィーバーフューも、次の言葉を継げない。
「そうか」
「え?」
「そうだよね」
フィーバーフューの傍らで、何かを納得したソレイユがポツリと呟く。
「僕はフィーバーフューに比べて頭の機転は回らないし、剣裁きだってフィーバーフューに勝てないし、物を覚えるのだってフィーバーフューの方が早い。そりゃ、フィーバーフューの方が王子様みたいだよね」
捲し立てて言い放つソレイユの周りは、気付けばお茶会に参加する令嬢たちが集まり、注目を集めてしまっている。
己の立場だとか、周りの視線の存在を忘れ、つい大きな声で叫んでしまったソレイユは、肩で息をしながらようやく自分の置かれている状況に我に返る。
顔を赤くして、子どもの様にただをこねて、まるで我儘な幼子ではないか。
こんな姿を国王に報告されては呆れられてしまう。
この場を走り去ってしまいたい。
今のこの状況を打開する術もなく、王太子らしからぬ態度を周りに見せてしまったソレイユは、ただただ呆然と立ち尽くす。
「そうですか?」
「え?」
その沈黙を破ったのは、この状況を作り出した登場人物の一人。
「私は何事も完璧に出来てしまうよりも、今のソレイユ様みたいな方の方が人間味があっていいと思いますよ。何でも目標やライバルがいないと成長できないと言うではないですか。きっとそちらのフィーバーフュー様は、ソレイユ様が大きく成長される時に必要な方なんですね」
「……」
淡々と。
そして柔らかく微笑みながら。
まるで今、自分が注目を浴びている事などどうって事ないみたいに話すソフィオーネは、ソレイユにとって誰よりも一番に輝いて見えた。
「……フォローってこれで合っているかしら」
と、呟いた彼女の言葉は、幸いにもソフィオーネの側に立つフィーバーフューにしか聞こえていなかった様で、聞こえてしまった彼自身も機嫌を直してくれた王太子の様子を見てホッと安堵した。
***
「ソフィオーネ嬢」
「はい?」
お茶会も無事終わり、招待された令嬢たちが王宮を去る時間になってしまった。
ソレイユは馬車に乗り込もうとする彼女を決死の覚悟で呼び止めた。
「何でしょうか」
呼ばれたソフィオーネは馬車に乗る姿勢から王太子に向き直り、対面した。
「これを君に」
王太子の小さく握った手は下に伏せられ、相手がそれを受けようと手を出してくれるのを待つ。
「何ですか?」
だが、その意図が汲み取れない彼女は首を傾げ、相手を凝視する。
「これをあげるって言ったんだ」
ずっとそうしているのも照れくさく、ソレイユは痺れを切らして自ら彼女の手を取り、それを握らせた。
「いいか。渡したからな」
「え?」
ソフィオーネは無理矢理渡された小さなそれをボンヤリと眺める。
「あの」
「宝石を渡してやったんだから、俺の方が王子様みたいだろ。次会った時に結婚してやるからな」
「あの」
顔を真っ赤にして一方的に捲し立てると、呼び止めたソフィオーネを見送る事なく、ソレイユは彼女に背を向けて足早に消えてしまった。
「ほしくない……です」
そのか細い呟きは、また王太子の耳には届かず、辛うじてソフィオーネに意識を集中していたフィーバーフューだけに聞こえていた。
「指輪……」
フィーバーフューは、彼女の小さな手が持つ、サファイアの石がついた指輪に視線を奪われ呟いた。