好きになったのは
「お姉様ぁ。どうしましょう」
昨夜。
ソフィオーネが社交場に戻った時、妹からはいつもの明るさが消え、どこか少し戸惑っている様な空気を纏っていた。
それからは気分が良くない、と、両親に声をかけ、帰りの馬車に乗っても今日の社交界デビューを楽しそうに話すレジーネの姿すらなく、皆、静かに振動に揺られ、自宅に戻った。
久しぶりの賑やかな場所へ放り込まれたソフィオーネも、ベッドの中で本を読む時間も持たずに眠ってしまった。
それが一夜明けた今朝。
普段を取り戻したレジーネは自分が起床するや否や、姉の部屋を訪れた。
「私、ソレイユ様でなく、他の方にときめいてしまいました」
「……」
起きがけの頭で突然そんな事を告白されても、血の繋がる他人の気持ちなんて分かる筈もない。
そんなの知らないわ。
と、言ってあげたくても、言ったら言ったでレジーネ劇場が更にヒートアップした状態で開幕してしまう。
ここ最近は、あのとてつもない熱量の言葉の羅列を聞かなくて済んでいたから、ソフィオーネにとってとても静かでいい読書日和が続いていた。
「だって私はソレイユ様に見初められて、王室に入る筈だったのよ。なのに、彼の隣にいる側近の……」
「フィーバーフュー」
「そう!フィー様にドキドキしてしまうの。あの冷たく切長で独占欲の強そうな碧色した瞳。輝く黄金の髪に、普段はあまり感情を表に出さなそうな口元。全てがあのソレイユ様より煌めいて見えてしまって仕方がないの」
考えすぎて夜も眠れないわ。
と、舞台女優の様に語っていたが、寝不足を主張する割には肌艶の状態は良好そうに見える。
ふぅ。
と、頬杖をつきながら物憂げなため息を吐く。
恋する乙女の様なリアクションをする妹。
ソフィオーネはベッドに座りながら艶やかなレジーネの髪を撫でた。
「ずっと思っていたのだけれど」
正面から真剣な面持ちで見てくるソフィオーネに、レジーネは背をスッと伸ばす。
「いくら未来が決まっているからといって。今までレジーネの言う通りになってきたからといって、もし、それが自分の望むものではなかったら、未来を頑張って変えてみる努力をしてみてもいいんじゃないかしら。最悪、貴女が知っている未来と同じ結末を辿ってしまったとしても、仕方のないことなのではないかしら。それは、きっとそうなる運命だったという事で」
「お姉様」
「貴女は私がなすがままに、流れるままに生活してきた日常を、少し贅沢ができる程に風向きを変えてくれた。私の想像していた未来を貴女が変えてくれたの」
分かるでしょう?
と幼い子どもに優しく語り掛ける様にソフィオーネは微笑んだ。
「今まで貴女が話してくれた、未来に起きるかもしれない出来事のように、私は愛する貴女を手にかけるような事はこれからだってしないし、多分その罪によって僻地に行く事はきっとない。だって、私がそう信じているから」
今まで、妹のその不思議な言葉で助けられた事は事実。
しかし、だからといって全てをその通りに行動するのかと問われてしまえば、それは当事者である今の自分自身の問題。
ソフィオーネ自身、今以上の幸せを掴もうとは思ってもいなかった。
毎日本が読めて、天気の良い日は領地に足を運び、散歩しながら、そこで働く人たちと他愛もない話をする。そこでピクニックシートを広げ、お気に入りの本を読み、家に帰って美味しい食事を家族で楽しむ。
そんな毎日でいい。
「……そうよね」
そんな姉の思いを汲み取ってくれたのか、妹も俯きながらポツリと呟く。
「そうね。だからレジーネは」
自分の思うままに動いてもいいんじゃないかしら。
と続けようとした姉の言葉を遮り、勢いよくパッと立ち上がると、呆気に取られてしまった姉を見下ろし、彼女らしい言葉を流れる様に吐き出す。
「お姉様は昨夜、ソレイユ王太子様から声を掛けられていましたわよね。お姉様、王太子様とお知り合いだったのね。なら、お茶会とか誘われたりしないのかしら。もしその時は私も一緒に連れて行ってくれないかしら。そうすれば私もフィー様とお近づきになれるのに」
突然何を言い出すのかと思えば、あまりにもご都合主義的な妄想。
「ええっと……。多分そんな事はないわよ」
「どうして?」
「声を掛けられたと言っても、顔を合わせたのは幼い頃だけよ。それに昨日、社交界に顔を出したのだって、10年……近く前のデビュー以来だもの。その時だって王太子様に挨拶しただけで会話なんてものはなかったし」
「でも!それでもお姉様の事を覚えているって事は、ソレイユ様の心にお姉様が存在しているって事でしょう?ガンガン攻めてしまえば、お姉様がソレイユ様の一生涯の伴侶になれるんじゃない?」
途中から自分の話ではなく、ソフィオーネの話に論点がずれてしまっている事に、恐らくレジーネは気が付いていない。
「そうと決まれば、次に王太子様が参加される社交界がどこなのか聞いてみないと」
「え?」
「だってお茶会に招かれる様な間柄ではないのでしょう?それならばこちらから行動しないと会いたくても会えないじゃない。ソレイユ様が来て下されば絶対フィーバーフュー様もいらっしゃるもの」
聞いていない様でいて、姉の言葉はしっかりと聞いていたらしい。
何やら両手でグッと拳を握ると「お姉様ありがとう」と、一方的に感謝の言葉を言い残し、風の様に去ってしまった。
「あの……私は別に王太子様に興味はないのだけれど」
部屋にポツンと一人残されたソフィオーネの言葉は、誰の耳にも届かぬまま、消えてしまった。
そうして、同じ日。
妹のレジーネが姉のお部屋訪問終了後。
再び彼女の部屋の扉をノックする音が聞こえ、ソフィオーネは入室を許可をした。
今日は何だか朝から騒がしいわね、などと思いながら侍女から手紙を受け取る。
それはとても手触りの良い封筒で、封蝋は何処から送られたものかを識別する為、一度確認してからそれを弾く。
ソフィオーネはよくよく知るその印璽を見て、動きを止めた。
「……王室から?」
一体、自分は昨日何かしでかしてしまったかしら。と、記憶を辿りながら、ソフィオーネは恐る恐る手紙の中身を確認した。
それは、レジーネが望んでいたお茶会への招待状。
そのあまりにもタイミングのよい知らせを妹に知らせるべきか、はたまたなかった事にする為に早々に参加しない旨を手紙にしたためるべきか。
ソフィオーネはしばらく手紙の文面と睨めっこを続けていた。