再会
「みつけた」
くるくると表情を変える、所謂、世間一般的に魅力的と表現される令嬢の後ろに。
彼はかつての初恋を見つけてしまった。
彼はこの国の王太子と呼ばれる立場の人間である。
国を継ぐ立場故、周りは早々に王太子妃になる人間を見つけようと、頻繁に同じ年頃の令嬢とお茶会を開いては、幼い息子にどんな令嬢が似合うのかを見繕っていた。
王太子は大人たちのそんな思惑などいざ知らず、毎週開かれるそのお茶会に飽き飽きしていた頃。
周りの令嬢たちと違う一人の女の子を見つけてしまったのだ。
そんな王太子ソレイユは29歳を迎えた今もまだ独り身でいる。
国王も息子にまだ伴侶がいないから、と、未だに王位を次に譲ろうとはしない。が、本人的にはそれが気楽でいいらしい。
当然のことながら結婚を急かされているが、政略結婚は当たり前でよくある話の世界に住む彼はそうしたくなかった。
生きてきた分だけ、周りが望むソレイユを演じるのは上手くなった。上辺だけの誰にでも愛想のいい顔はいくらでも作れるし、物心つく頃からそうするのが当たり前だと教えられ、毎日を過ごしてきた。
だからこそ、自分が愛し、信頼した伴侶の隣では、何も隠さない自分を見せたい、と。
そう願ってしまうのは我儘なことなのだろうか。と。
そこだけはどうしても譲れず、ここまで独り身が長くなってしまった。
初恋を未だに引きずってしまっていると馬鹿正直に口にしてしまえば、幼馴染であり側近の男に馬鹿にされるのを分かっている為、口を噤む。
未だ結婚しない理由は体のいい言葉をそれらしく並べて躱してきた。
それらからも、もうそろそろ逃げられないところまできたので、誰かと添い遂げる覚悟をしなければならない、丁度よいタイミングで。
彼女は見つかってしまった。
***
社交界デビューで浮かれている妹、レジーネは父親とファーストダンスを踊った後、声を掛けてきた御令息と踊ったり、年の近い御令嬢方と楽しくお喋りをしたりと楽しい時間を過ごしている様子。
一方のソフィオーネは、並べられた料理に舌鼓を打ってからは、会場のあちこちを歩き回り、他の家族が満足するまで時間を潰そうとしていた。
「お久しぶりですね」
予想だにしない相手から声を掛けられたソフィオーネは一瞬言葉を失った。
農地の経営もままならず、一時は男爵まで爵位を落としたリムタス家の行き遅れ令嬢に声を掛けてもメリットなど何もない。
「ソ……レイユ王太子殿下」
あまり目立つ事が好きではないソフィオーネは、「しまった」という一瞬出た表情を笑顔で隠し、カーツィーを披露する。
元々、父親も他の家との交流が苦手で、だからこそ助けてくれる友人もおらず、没落しかけてしまった為、今回ばかりは、と、妻と並び、こうして社交シーズンが来ると積極的に参加し、ツテ作りに勤しんでいる。
タイミングの悪い事に、今はソフィオーネ一人、だ。
「今までなかなか顔を見られなかったが」
「お姉様」
ソレイユが一歩ソフィオーネに近付き、今にも逃げたそうにしている彼女を引き止めようと言葉を発した途端。
彼女を姉と呼ぶオレンジ色のドレスの令嬢が割って入ってくる。
「何処に行っていたんですか」
「何処って。ずっとこの辺りにいたわよ。それより」
王太子の存在に気付かないまま話を続けようとする年の離れた妹に、視線で合図を送る。
「ッッ。ソレイユ王太子殿下」
レジーネがその存在に気付き、礼を尽くすと、先程頭を下げたソフィオーネも並んでカーツィーを披露する。
隣に立つ妹をチラリと見てみると、目がキラキラと輝いて、まるで恋に落ちた物語の主人公のよう。
ただでさえ容姿端麗な王太子と一緒に居ると、目立ちたくないのに目立ってしまう、と、ソフィオーネは思考を巡らせ、思い至った彼女は行動に移す。
「妹のレジーネ・ジンガ・リムタスです。本日初めての社交場でまだ物の振る舞いが分からず、不安で私に助けを求めてきたみたいです。もしソレイユ王太子殿下さえよければ、レジーネの相手をして頂ければ、本日のいい思い出になると思います」
生贄、とばかりに妹を差し出したソフィオーネは、自分に声を掛けたそうな王太子に気付かぬ振りをしてその場を足早に去る。
「確かレジーネは王太子と恋に落ちるって言っていたわよね」
いつだったか、興奮気味で話していた不思議な予言を、ふ、と思い出したソフィオーネは、何の疑問も抱かずに行動に移す。
「きっと私、ナイスアシストをしたわ」
ソフィオーネはワイングラスを一つ手に取ると、心軽く、そのまま夜風に当たりにバルコニーへ向かって行った。
***
夜風は涼しく、耳に聞こえるワルツの音色がとても心地よく聴こえてくる。
行き遅れと影で囁かれているソフィオーネにわざわざ声を掛けてくる物好きな令息は勿論おらず、彼らだって、無駄に歳を重ねた女より、若くて愛らしい女の子に魅力を感じるに違いない。
と、外聞は特に気にしないが、騒がしいのが苦手な彼女は、会場から少し遠ざかる。
本当であれば庭園まで出て、羽を伸ばしたい所であるが、家族が自分を探しきれない範囲に行ってしまうのは申し訳ない。
ワインで一口喉を潤し、夜風を感じていると
「ソフィオーネ」
と、先程聞いたばかりの声が再び彼女の前に姿を現す。
レジーネは?
そう思っても口には出さず、眉間に作ってしまった皺を笑顔で隠し、ソフィオーネはただ口元に笑みを浮かべる。
「君は僕と話したくないの?」
「話とは?私はただソレイユ王太子殿下とはレジーネの方が話が弾むと思っただけで」
「僕は君といたいのに?」
「え?」
「彼女を人質に僕から逃げたでしょ」
開いていた距離を徐々に詰められるが、ソフィオーネは負けてなるものか、と、何故か負けじと後退りはせず、その場から動かない。
何故そんな甘い言葉を吐いてくるのか。
物語の主人公ではないし、第一、妹の話では二人が恋に落ちると言っていたではないか。
ソフィオーネの頭の中にそんな思いがぐるぐると回り、だが、一国の王太子相手にそんな馬鹿らしい話をして信じてもらえる筈もない。
暗がりの中。
会場から漏れでる明かりだけでは彼がどんな表情をしているのか分からず、しかし、ただ自分より頭ひとつ分高い影が、跪いたようにスッと自分の足元に落ちたのだけは分かった。
「僕と結婚してくれませんか?」
「え?」
「僕はずっと君を探してた」
「それは私の家柄が王太子殿下にそぐわなくなってしまったからで、恐らく今もそんな感じで」
婚約も交際も飛び越えてのプロポーズ。
それどころか、幼少期のお茶会で顔を合わせただけの間柄の人間に突然何を言い始めるのか。
聞き間違えたのか。とも思ったが、聞き直して万が一にでもまた同じ言葉を言われると想像しただけで、引き返せない様な気がしてしまう。
いや。
独身が長いとそうなってしまうのか?
じゃあ、私も?
いやいや。
私は一人の方が気楽で。
などなど、突然の冗談の様な申し出に、何でも淡々とこなすソフィオーネの脳内が珍しく激しく動揺する。
「僕ももう年を重ねたし、父上たちだって僕が伴侶を見つければ大喜びで迎えてくれるよ?だから、結婚しよう」
「だ。だめです」
聞き直していないのに、再びプロポーズされてしまった。
「私は遠い辺境の地で幸せにしてくれる方が現れるみたいなので」
「あ……と。それは君に婚約者がいるという?」
「違います。とんでもない。こんな私なんかを見初めてくれる方がいらっしゃるなんて。ただ、妹がそう言うので」
「妹君……が?」
「はい。なんだか私がその内、妹を殺そうとしてしまう……らし、く」
「……」
相手の反応を目の当たりにし、「しまった。物騒な内容を言葉にしてしまった」と後悔しても時すでに遅し。
ソレイユは立ち上がり、体勢を正すと目を丸くしソフィオーネを真っ直ぐ見つめる。
「ソフィオーネ嬢。君は殺してしまいたい程、妹君を憎く思っているの?」
「まさか。レジーネのお陰でこうして再び社交界に招待されるまでになりましたし、感謝はすれど憎むなんて」
弁解しようと早口で捲し立てる。
「では何故?」
「何故ですかね?」
聞き返されたソレイユはムスッと不機嫌を隠そうともせず、言葉を放つ。
「その妹君とやらは先見の明があるのか?」
「どうでしょう。私にはわかりません。ただ、没落してしまった我が家を立て直すきっかけになったのは、レジーネの言葉なので、そう言われればそうかもしれませんわね」
王太子は何を考えているのか静かになってしまう。
「なので」
ソフィオーネはこれ幸いに、と、一歩後ろへ下がると先程よりも丁寧にカーツィを披露する。
「本当にそうなってしまうかもしれませんので、無礼に存じますが、今日の話は聞かなかった事にさせてください」
一方的に捲し立てたソフィオーネは、王太子が投げる言葉を考える間に、そそくさとその場を立ち去ってしまった。
「何だ。今のは」
素っ頓狂な声で呟いた王太子の言葉。
「断られたんじゃないですか?」
いつから。
どこから。
どこで聞いていたのか。
ソレイユの口から溢れた呟きの言葉を側近が拾い上げる。
「はっきり言うなよ」
「まだ距離も詰めていないのにプロポーズはないんじゃないですかね」
「うるさい」
言葉でそれ以上言うなと制されたソレイユの側近、フィーバーフューは笑いながら彼の隣に立つ。
「お前は……彼女の言葉を聞いてどう思った」
「どうって。その通りなんじゃないですかね」
「どういう事だよ」
楽しそうに言葉を濁すフィーバーフューにソレイユは怒りを隠しもしない。
「お前。昔も今も、ソフィオーネの妹みたいな訳の分からない同じようなこと言ってるよな。お前もこの世界を知っている、みたいな」
「だったらどうです?」
「その……。彼女が妹を手に掛け、辺境に飛ばされる、というのは」
「そういう選択肢もある、という事です」
「では、そうならない選択肢は」
ソレイユは真剣な面持ちでフィーバーフューに詰め寄る。
「多分この世界は彼女の知るそれとは違うものだと思いますけど」
「どういう事だ」
ソレイユはかつて自分の心を激しく動かした令嬢を逃すまいと、のらりくらりと明言を避ける男を睨みつける。
「まぁ、なるようにしかならないって事ですよ」
「なんだそれは」
「王太子様は自分の思う通りに動けばいいんじゃないですか。って事ですかねぇ」
まるで言葉遊びをしながら遊ぶ子どもの様にフィーバーフューは長年一緒に時間を過ごしてきた王太子の肩を叩く。
「あの指輪を彼女が着けてくれているのであれば、ここは貴方の物語ですから」