90話「緑山葉はひたすら特訓して速くなりたい⑤」
9月10日 雨
今日、パールラが僕の目の前に現れました。
「あー、ついてないなぁ。まさか日直の仕事がこんなにあるなんて。っていうか、傘忘れちゃった……」
それはリレーメンバー決めの一件が起きる少し前の、学校の下校途中。
天気予報に裏切られて、僕は夕立のにわか雨をくぐり抜けて雨宿りをしていた。
人通りの少ない道、もう誰も住んでいない商店の軒下。閑散とした雰囲気と、冷たい雨の湿った匂いが僕の鬱屈とした気分を刺激していた。
――そういえば、もうすぐ運動会だったな。
思い返せば、運動会はいつも父さんと柳田が来てくれたっけ。柳田はあんな姿になってしまったけど、ちゃんと来てくれるのだろうか?
正直、あまり気乗りがしなかった。元々そこまで好きじゃないイベントだけど、今回は特に参加したい気持ちが皆無だった。いっそ今日みたいな雨で中止になってしまえばいいのに。
柳田の記憶に残らない運動会なんてなくなってしまえば……
運動会どころか、このまま世の中が壊れてしまえば……
「いやいや、ダメだ」
何を考えているんだ、僕は。
絶対に柳田を元に戻すんだ、って決めたじゃないか!
今はとにかく、できることをやっていこう。
それだけもう一度言い聞かせて、頬を叩いた。
「それより、いつ雨が上がるんだろう?」
さっきよりも雨が強くなっている気がする。果たしてこれは止むのだろうか……
そんなことを考えていると、僕の不安はより一層強くなってしまっていた。
「クスス……雨宿り、ご一緒してもよろしいですの?」
――なっ!?
本当に突然聞こえた、妖しい少女の声。
いつの間にか僕の傍らに立っていた、白いワンピースの少女の姿。
僕と目線を合わせるなり、目を細めて笑い出した。
「パー……ルラ……」
「葉くん、お久しぶりですの」
僕は思わず軒下から出て、パールラと間合いを取ってしまった。
「何しに、来た……?」
冷たい雨に打たれながら、僕はずっと彼女を睨み付ける。
「あまり怖い顔をしないで欲しいですの。ちょっとだけお話がしたいだけ、ですの?」
「話? お前と話すことなんか……」
「知りたくないですの? 柳田さん、でしたの? あの方を元に戻す方法」
――ッッッ!?
僕は言葉を詰まらせて、その場に硬直してしまった。
罠の可能性も高い。それぐらい分かっている。でも、もし本当に柳田を元に戻せるなら……
いや、コイツが素直に漢気を返すとは思えない。これは間違いなく罠だ。
「……誰が、お前の言うことを信じるか!」
「あらあら、強気ですの? 良いんですの? もうすぐ、私の計画を決行するというのに」
「計画、だと?」
「クスス……その顔、いいですの。やはり貴方は素敵な方ですの」
――何だ!?
何がしたいんだ、コイツは!
僕はぐっと拳を握りしめ、意を決した。
もうここまで来たら、これしかやることはない!
「オトメリッサチャージ! レディーゴーッ!」
いつも以上に強く声を張り上げて、淡い光に包まれた。
そして、いつも通り、僕は緑色のチューブトップ状の衣装に包まれて、オトメリッサへと変身していった。
「クスス、やる気満々ですの。その気概は本当に男らしいですの」
「やかましい! 漢気、解放ッ!」
僕はすぐさまGODMSをかき集めて斧を作り出した。
「まぁ待ってくださいですの。相手をさせていただくのはわたくしではございませんの」
「なっ……」
僕が目を丸くした瞬間――
バシャッ、と水しぶきが目の前に広がり、僕の視界が一気に水浸しになった。
車なんて通る気配もなかったのに……
「おうおうおうおう! どこのメスブタが相手かと思ったら胸がでけぇだけのガキじゃねぇかッ!」
怒号に近い叫びが聞こえてきた。
雨粒の中に現れた、一体の闇乙女族――
鼻と口元が突き出しており、顔中が毛むくじゃら。大きな鼻で息を震わせ、掛けたサングラス越しに睨みを利かせてきている。
そして、手足に何故か、タイヤのようなものが付いている。
「ご紹介いたしますの。わたくしの右腕、ボアアクジョさんですの」
「ブフッ! おうおうおう! ナメてたらいてこまいしたるぞクソガキがああああッ!」
そう罵声を浴びせるな否や、ボアアクジョと名乗った闇乙女族はすかさず四つん這いになり、
ブオン!
と強烈なエンジン音を効かせて僕の方へと飛びかかってきた。
「うわああああああああああああああッ!」
避ける間もなく、僕は地面を滑りながら背後へと押し出される。
「こんなもんかッ! ああんッ!?」
ぐっ、と僕は声を出すこともできずに後ろの塀へと激突してしまった。
頭がクラクラする。どれだけ速い動きだったのか、もう思い出せない。
「おと、こ、ぎ……だいかい……」
「させるかよおおおおおおおおおおッ!」
僕は首根っこを掴まれ、声を出すことも阻まれた。
――こんな。
――こんなのって。
――アリ、なの?
「おせえおせえおせえおせえッ! そんなんでこの闇乙女族随一の走り屋、ボアアクジョ様に勝てると思ってんのかッ!?」
「ぐっ、が……」
必至で振りほどこうとするが、力も圧倒的に相手の方が強かった。
「いい顔してんじゃねぇか! あんッ!? 憎いか!? いいぜ、憎めよッ! 憎んで憎んで、本気出しやがれってんだッ!」
「う、が……」
――もう、ダメだ。
負けを確信した、その時。
「そこまでですの、もう大丈夫ですの」
「何ッスかパールラの姉御!? こんなんで終わりとか勘弁してくだせぇよ!」
「クスス、本番はまだ後にしておきましょう。ね?」
ボアアクジョはバツが悪そうに、僕の首を掴んでいた手を徐々に緩めていった。
僕は「ゴホッ!」と咳き込みながら、その場へと崩れ落ちてしまう。
「チッ、面白くねぇ。こんなガキが相手じゃ身体鈍っちまいますよ」
「あら、この方を甘く見ていると痛い目みますの」
「ホントっすか? 信じられないッスね」
「いずれ分かりますの。では、これにて失礼しますの」
「ケッ、あばよッ! このノロマがッッッッッ!」
――クソッ!
クソッ! クソッ! クソクソクソクソクソクソクソクソッッッッッッッ!
薄れゆく意識の中、僕は雨ざらしのままその場にひれ伏すのだった。
僕は、負けた――
その後はほとんど記憶にない。気がついたときには雨が上がっていて、倒れている僕を親切な人が声を掛けてくれた。なんとか意識を取り戻した僕は、確か貧血ですと誤魔化しておいて、どうやって帰ったのかも分からないまま、いつの間にか家の床に突っ伏していた。
微かな意識の中、僕はずっと考えていた。
アイツに勝つには、それを上回るスピードが必要だと。
僕の最大の弱点を突かれ、そして「ノロマ」と罵られてしまった。僕にはどうすることもできない。
僕は、無力だ――
自分のプライドをズタズタにされてしまった。完全に相手の思うつぼになってしまった。ノロマの僕に、何もできることはない。
そんな思いを抱えたまま、あの運動会のリレー選手決めが訪れてしまった。
けど、これはチャンスかも知れない、と僕は思った。これをきっかけに特訓すれば、僕は自分の弱点を克服できる。そう信じていた。
結果は、上々だ。
リレーは無事に優勝して、速くなるコツを掴んだ。
今なら、僕は勝てるかも知れない――
それから特訓を経て、自信を持って。
ついに、その日が来た。
9月19日 晴れ
僕は、一人でオーストリッチアクジョを倒しました。
「漢気、解放……」
運動会の前日、深夜。
僕はGODMSで作り出した斧を構え、校舎の周辺で待機していた。
僕の読みが正しければ、きっと現れるはず……
「いつになったら私は走るのを止めるのでしょうかいえ、やめませんともええ! わたしはダチョウであるが故に走るのを止めるときはすなわち……」
「死ぬとき……」
「そうです死ぬときなので……」
「漢気、大解放!」
僕が意識を集中すると、GODMSの粒が集まり、葉っぱの盾を作り出していく。
いつもの大きさではない。いつもよりも更に大きく、それは巨大な壁ともいえる物体へと形成していった。
思った通りだった。闇乙女族のルートを辿ったところ、ほとんど僕の学校の周囲をただグルグルと走り回っているだけだった。こんな単純なことに気付かなかった自分に今更ながら呆れ果てている。
「葉っぱの壁ですか、ですが私は壁にぶち当たろうともそこに走り続けなければ……」
一瞬、オーストリッチアクジョはブレーキをかけて脚を止めた。
――今だ!
「オトメリッサ・漢斧一断!」
僕は力を緩めて相手へと斧を振るい下ろした。
「ぐああああああああああああああああああッ!」
断末魔のうめき声を挙げて、オーストリッチアクジョは倒れ込んだ。
まだ相手は消えてはいない。だけどもう戦うことはできないだろう。ひたすら苦悶の表情を浮かべながら、オーストリッチアクジョは地面にもがいている。
「最初からこうしておけば良かったんだ……」
こんな簡単な戦法に気付かなかった自分もどうかしているけど、今はそれよりも……
「あ、あなた一体、どれだけ恐ろしい顔をしているんですかこんなことをしてタダで済むと……」
「やかましいなぁ、もう」
もう少し遊んでやろうかと思ったけど、最早興醒めだ。
多分、今の僕は誰よりも冷徹な目を浮かべているだろう。
だけど、そんなのはどうだっていい。
「あ、悪魔……」
「何とでも言えよ」僕は溜息混じりに、「オトメリッサ・漢斧一断」
もう一度、斧を振るい下ろし……
「ぎゃあああああああああああああッ!」
オーストリッチアクジョは、倒れた。
「日記、最後のページになっちゃったな」
ちょうど今書いている箇所で僕の日記帳は使い切った。これからも僕は日記を書くことは忘れないようにしたい。
もう一度、僕はこれまでの日記を読み返した。成る程、特訓したおかげで僕は確実に強くなっている。
オーストリッチアクジョと戦ったときの感触は、今でも消えずに手に残っている。
「あは、あはははははははははは!」
なんだか笑いがこみ上げてきた。
僕の目標は、決まった。
――これでいい。
今度こそ、あのボアアクジョと……そして、パールラを。
いや――
違う。
日記帳の最後の余白に、こう書くのだった。
『僕はきっと、闇乙女族を、全員、ぶっ殺してやります』




