番外編 「黒塚兜はなかなか泣かない(前編)」
※今回の話は時系列的に二章と三章の間です。
「絶対、てめぇを泣かせてやっからな!」
黄金井爪にいきなりそう言われて、俺は困惑した。
「それは……、どういうことだ?」
「うっせぇ! そのまんまの意味だ! 明日覚えておけよッ!」
「おい、黄金井!」
「じゃあな! 俺はさっさと帰るッ!」
すたこらさっさと教室を出る黄金井を見つめながら、しばらく俺は呆然と座り込んでいた。
夕日がただ俺の背中を直撃している。扉が閉まった途端、沈黙が続いている。
何か間違えたか、俺は。
「全く、これじゃあ先が思いやられるな」
個人面談というのも楽じゃない。いくら俺でも、生徒三十人と一対一で会話するのは毎度のことながらそれなりに骨が折れる。生徒の性格は当然一人一人違うし、デリケートな年頃と、コンプライアンスだらけの世の中だから俺なりにかなり気を遣ったのだがな。
――何か間違えたか?
先ほどまで話した内容を思い起こしてみる。テストでどこかの0点小学生みたいに名前を書き忘れたこととか、それがなくても全問不正解だったこととか、女子生徒たちから無愛想すぎるとクレームが入ったこととか、こないだまでオトメリッサをボイコットしていた話とか、それぐらいだぞ? 思い当たる節としては。
ま、アイツの場合はオトメリッサ同士という繋がりもあるし、いつでも話す機会はあるのだが。
あれで繊細だからな、アイツは。気を付けないと――。
それにしても……。
「泣かせる、か」
そういえば最近ついぞ泣いたことなどないな。大人になったと言うべきか、多少のことなら動じなくなったというべきか。
最近はストレスを発散させるために“涙活”などという言葉もあるようだが。生憎そういった映画はあまり観ないほうだ。ううむ、たまにはそういうのにも触れておくべきか。
――おっと、いかんいかん。
まだ個人面談は残っているのだった。あとは、一人。それで全員だ。
えっと、最後は、っと……。
「真田蛍、か」
少しだけほっとした。彼女は普段あまり目立たないほうだが、悪い素行もない。ひとつ前が黄金井だったから尚更そう感じてしまう。とはいえ、もしかしたら何か悩みなどがあるかも知れん。。しっかり聞いてやらねば。
そう思っていると、教室のドアがガラガラ、と音を立てて開いた。
「失礼します……」
黒いお下げ髪の少女が入ってくる。
「おう、真田。最後にして悪かったな」
「いえ……」
俺の目の前に着席した真田は、じっと俯いたまま唇を震わせている。
なんだろうか、最近彼女はこんな調子だ。正直言うと、どこか様子がおかしい。気のせいかも知れんが……。
「どうだ? 何かクラスの中で困っていることはないか?」
「あ、はい。クラスでは特に……」
――『クラスでは』?
その言葉に俺はどことなく引っ掛かりを感じた。
確か真田は部活や委員会には所属していないはずだ。彼女の家は母子家庭で、学校からもかなり遠い。働いている母親を極力助けたいとアルバイトの許可も申請しているほどの苦労人だ。
「最近元気ないように見えるぞ? アルバイトが大変なのか?」
「いえ……。バイト先も大丈夫です。店長さんや他の店員さんたちはとっても優しいですし、こないだ時給も上がりましたので」
と、なると……。
家庭、か?
「お母さんに何かあったのか?」
「い、いえ……」
唇をあからさまに震わせている。俯いたまま、視界もキョロキョロとせわしなく動かしている。肩もすくみあがっている。
ふぅむ……。
「話したくなければ無理に話すこともないが……。ただ、もし何か困っていることがあればいつでも俺を頼ってくれていいんだぞ。勿論、俺じゃ不安なら他の先生やクラスメイトだって相談に乗ってくれるぞ」
「……」
やはり真田は黙り込んでいる。
何かあったのは確実だが……。放してくれそうにないな、こりゃ――。
「……お父さん」
ん?
お父さん?
って、言ったよな、今?
「何かあったのか……?」
「やっぱり何でもないです……」
そう言って、真田は立ち上がり、そのまま教室の扉へ向かっていった。
「おい、話は――」
「結構です。もうすぐバイトの時間なんで。それじゃ、また」
呼び止める間もなく、真田は外へ出ていった。
やれやれ――。
煮え切らないまま面談終わっちまったな。
家族の問題じゃ俺が介入するのも野暮なのだろうが……。
そういえば――。
以前、ふと小耳に挟んだことがあるが。
確か、真田の父親って――。
「うぃーっす! パパだよーん!」
「……何しに来たの?」
「そんな冷たい顔しないでよぉ! また、ちょーっと、お金貸してほしいなぁ、なんて思っただけで」
「……帰って! もうお金なんてない!」
「何言ってんの? アルバイトしてんでしょ? ちょっとぐらいいいじゃん!」
「だから……」
「るせぇッ! とっとと金を寄越せっつってんだよッ!」
――そういうことか。
俺はふと気になり、結局真田の家の近くまでつけてきてしまった。勿論教師として褒められた行動出ないことは重々承知だが、それでも気にせずにはいられなかった。
真田は学校からかなり離れた町のアパートで暮らしている。てっきり父親は既に亡くなっていたのだと思っていたが、こういうことだったとはな。
金髪の男は玄関の下駄箱を蹴り飛ばして、上に乗っている置物を散乱させている。当然のことながら、真田はびびりこんで壁に背中をつけたままだ。
「……分かった」
そう言って真田は一度奥に引っ込み、すぐに封筒を手にして戻ってきた。
「へへっ、あんじゃん。ちゃっかり現金で用意してくれてさぁ」
「……ホントはお母さんが友人の結婚式に渡すご祝儀なんだけど」
「あっそ。何でもいいけど、三万っぽちとかシケてんな。まぁ今日のところはこれでいっか。そんじゃ、ありがたく受け取っとくぜ! またよろしく!」
――なんて奴だ!
見てるだけで腸が煮えくり返ってきた。
男は何の悪びれもなく、アパートから意気揚々と去っていく。
当然のことながら、俺は今、猛烈に怒っている。
闇乙女族との戦いとはまた違った怒りだ。
この手は使いたくなかったが――。
教師、黒塚兜。ここらでちと漢気を奮発させてもらいますか!




