81話 瑠璃華、限界寸前!
迎えた土曜日。約束通りやって来た遥といつものように過ごし、今は遥が作ってくれた昼食を食べ終えて、リビングのソファーで2人寄り添うように座っている。
わざわざ約束してまでわたしの家に来ているんだから何かしてくるのかと思っていたんだけど、遥は何もしてこない。
わたしの考え過ぎ? でも、あの遥が持ってきたスーツケースの中身が気になる……。もしかしたらあのスーツケースに遥がわたしの家に来た答えが入っているのかも?
「さて、そろそろ……」
スーツケースの中身が気になり過ぎて遥に聞こうと思った時、遥は何かを呟くとソファーから徐に立ち上がった。
「遥、どうしたの?」
「ふふ、気にしないで下さい。瑠璃華、脱衣所借りますね」
「は、はい。どうぞ」
「それじゃあ、少し待っていて下さいね」
スーツケースを手にした遥はそう言い残して脱衣所へと消えていった。
スーツケースを持って脱衣所に行くってことは着替えるってことだよね? 一体、今回はどんな服に? すごく気になる……。
期待に胸を膨らませながらわたしは遥が戻って来るのを待った……。
◆◆◆
しばらく待っていると脱衣所のドアが開く音がした。
「お待たせ。瑠璃華」
「えっ?」
この聞き覚えのあるカッコいい声は……まさか!?
声のする方へと顔を向けると先週男装喫茶で見た執事服姿の遥がわたしの目に映った。
やっぱり、この執事服姿の遥はカッコいい……。
わたしは見惚れて声も出せず、遥から目が離せない。
遥はそんな状態でソファーに座っているわたしの真横に腰かけるとわたしの耳元に顔を近付けてくる。
「ずっと私のことを見ているね。ふふ、もしかして見惚れているのかい? そうだと嬉しいな……る、り、か」
「ひゃ!?」
耳元でそう囁かれたわたしの身体はびくんと跳ね上がった。
「どうしたんだい? 可愛い声なんか出しちゃって。こういうのはもう慣れっこだろう?」
「ううぅ……」
確かに慣れているけれど、今回は今までとは全く状況が違う。だって男装したカッコいい遥がわたしの耳元で囁いてくるのだから正気でこの場に居られる自信が無い。
こ、ここは一旦この場から離れて気持ちを落ち着かせよう。うん、そうしよう。そうしないとわたしの精神は持たない。
「あ、あの……遥……」
「んっ? なにかな?」
「お、お手洗いに行きたくて……」
「ああ、良いよ。行って来るといい」
そう言って遥はわたしから少し距離を取った。
「そ、それじゃあ行ってくるから……」
わたしはソファーから立ち上がり、足早にトイレへと退避した。
「はぁ……ど、どうしよう……。流石にあれは反則だよ……」
間近で男装した遥を見て改めて理解した。遥と執事服の相性は途轍もなく良いということを……。そしてあの執事服姿の遥は今までのメイド服姿の遥とは一味も二味も違うということを完全に理解した。
いつも見ているメイド服姿とのギャップもあるんだろうけど、あの見た目に声と口調、そのどれもがわたしのツボに見事に刺さってしまっている。
「はぁ……やっぱり、カッコ良すぎるよ……。そ、それをあんなに近い距離で……」
あの空間で遥と2人きり……遥の所に戻ったら絶対にさっきみたいに囁いて来たり、わたしに触れて来たりするよね?
「うぅ、我慢できる気がしないよぉ……」
少しでも油断すると遥に抱き付いて、遥のことが大好きだと言って仕舞いそう……。
「と、取り敢えず深呼吸……。すぅー、はぁ~」
深呼吸したお陰で心なしか落ち着いてきたような気がする。
「よ、よし……。このままここに居る訳にもいかないし、戻ろう……」
大丈夫。わたしならあの執事服姿のカッコいい遥の誘惑にも耐えられる! だって遥の誕生日に好きだと伝えるって決めたんだから!
覚悟を決めたわたしはトイレから出て遥の待っているリビングへと向かった。
「お、お待たせ……」
「待ってたよ、瑠璃華」
遥はそう言いながら何故かソファーから立ち上がり、わたしの方へと歩いてきた。
「な、なんでこっちに来るの?」
どうして遥が向かってくるのか分からないわたしは後ずさる。
「瑠璃華の顔色が悪いように見えたから心配でね。瑠璃華こそ、どうして距離を取ろうとしてるんだい?」
どうしてと言われても身体が無意識にそう動いてしまうのだから仕方がない。
近付いてくる遥と連動してわたしはさらに後ずさりする。
「あっ……」
そして気付けばわたしは壁際まで追い詰められていた。
や、ヤバイよ! こ、この流れは非常に不味い!
「ふふ、もう逃げられないね。ねぇ、どうして私から距離を取ったのかな?」
わたしの目と鼻の先まで迫ってきた遥は壁に片手をついた。
ひ、ひゃ~!!! か、壁ドンだ! わたし、遥に壁ドンされちゃったよ!!! ど、どうすれば……か、顔も近いしこのままじゃ……。
「もう一度聞くよ。どうして距離を取るのかな?」
こ、これは何か答えないと解放してくれないヤツだ。と、取り敢えず今のわたしが思っていることを答えよう。
「そ、それは……その……い、今の遥がカッコ良すぎて、緊張しちゃったからというか……色々と心の準備が出来てなかったというか……。い、嫌だから距離を取った訳じゃないから……」
遥の顔を見られる状況じゃないわたしは俯きながらそう答えた。
「へぇ~。だから顔が真っ赤なんだ。ふふ、そうあたふたしている瑠璃華も可愛い……」
遥はそう言いながら空いているもう片方の手を俯いているわたしの顎に当てて優しく持ち上げた。
う、嘘でしょ!? こ、ここ今度は顎クイするの!? あぁ……は、遥の顔が近くに……。こ、このままじゃあ遥と、き、キスしちゃいそうだよ。
「は、遥……近いよ……」
「そうだね。ふふ、このままでは瑠璃華とキスしてしまうかも知れないね……」
遥は更にわたしとの距離を縮めて来た。吐息を感じるくらいの近さで、下手に動くとわたしの唇と遥の唇が本当に重なってしまうほどの距離だ。
は、遥がここまでするなんて思わなかった。こ、これも男装したせいなの?
ど、どうしよう。本心で言えば今直ぐにでも遥とキスしたい。でもそれは今日じゃない。ああ、どうしたら……。
どうすれば良いのかと頭の中で自問自答していたら急に力が抜けてわたしは床にへたり込んだ。どうやらわたしの頭がこの状況に耐えられなかったみたいだ。
◆◆◆
奏に壁ドンと顎クイというのを教えて貰っていた私は今なら出来るんじゃないかと少しの期待と軽い気持ちでトイレから戻って来た瑠璃華を適当な理由で壁際まで追い詰めてやってみたはいいものの、まさかこんなことになるとは思っていなかった私は目の前で急に床にへたり込んでしまった瑠璃華を見てやり過ぎてしまったと後悔した。
「る、瑠璃華大丈夫?」
慌てて私は床にへたり込んでしまった瑠璃華の様子を確認する。
「だ、大丈夫です。少し驚いただけですから心配しないで下さい」
そうは言っても顔は赤いし少し息も荒いような気がするけど、本当に大丈夫なんだろうか?
「と、取り敢えずソファーで休みましょう」
そう言ってわたしは瑠璃華を立ち上がらせて、瑠璃華の身体を支えながらソファーに座らせる。しばらく瑠璃華をソファーで休ませると顔色もいつもの状態に戻ったことに私は一安心した。
「瑠璃華。落ち着きましたか?」
「は、はい。迷惑かけてすいません」
「いえ、私の方こそごめんなさい。まさかこんな事になるなんて思っていなくて」
「気にしないで下さい。それでどうしてあんなことをしたんですか?」
瑠璃華にそう聞かれてしまっては答えないという選択肢は無い。瑠璃華をあんな状態にしてしまったんだから。
「えっと、それは……偶然、壁ドンと顎クイというのを知りまして。瑠璃華にやったら私のことを好きになってくれるかなと思ってやってしまいました……」
「そうだったんですね。生まれて初めて壁ドンと顎クイを経験したので凄くドキドキしちゃいました。えへへ……」
照れくさそうにそう話す瑠璃華。そんな瑠璃華を見て私は確かな手応えを感じた。
「ふふ、それじゃあ、もう一回やってあげようか?」
声と口調を男装時の状態に戻してそう冗談交じりに瑠璃華に聞いてみる。
「あ、あれはわたしには刺激が強すぎたので一回で充分です……はい……」
「そっか。それじゃあ、何かして欲しいことってあるかな?」
「そうですね……。膝枕が良いです」
「膝枕? いつもやっていることだろ? それで良いのかい?」
「うん。執事服姿の遥にして貰うのは初めてだから……。それといつもみたいに頭を撫でて欲しいな。わたしにはそれくらいがちょうど良いと思うから」
瑠璃華はほんのりと頬を赤く染めながらそう話した。
「分かったよ。それじゃあ瑠璃華。私の膝に頭を乗せて……」
瑠璃華は私の膝に頭を乗せる。いつもと変わらない重さと感触が私の膝に伝わって来る。
私もこうしている時が一番落ち着く。やっぱり、私達にはこれが最良なのかも知れない。そう思いながら私は瑠璃華の頭を優しく撫でた。
◆◆◆
すっかり日も落ちて、外が暗くなった頃。夕食を終えたわたしと男装から普段の姿に戻った遥はソファーに座っていた。
「そういえば来週は文化祭ですね」
「そうですね。瑠璃華のクラスは大丈夫そうですか?」
「はい。ちゃんと計画を立てて準備してます」
「そうですか。それなら安心ですね。それでその……文化祭当日の事なんですが、一緒に文化祭を回りたくて……」
どうやら遥はわたしと文化祭デートをしたいみたいだ。でも生徒会長である遥とわたしが一緒に回るのは目立つんじゃないかな?
「わたしは良いですけど。目立ちませんか?」
「大丈夫です。私、変装して目立たない様にしますから。少し校則を破る可能性がありますが……」
声が小さくて最後の方は聞き取れなかったけど。遥は目立たないように変装してでもわたしと文化祭デートしたいことだけはわかった。
「それじゃあ、シフトが決ったら遥に教えるので空いた時間に文化祭を回りましょうか」
「はい。ふふ、瑠璃華と文化祭デート……楽しみ……」
今度の遥の小さな呟きはわたしの耳にハッキリと聞こえた。
わたしも遥との文化祭デートは今からとても楽しみだ。それに文化祭が終わったらついに遥の誕生日。どうやって遥をお祝いして告白の返事をするのかは、ある程度は考えが纏まってきたけど。本格的に準備するのは文化祭が終わってからだね。
その後、明日はバイトがあるという遥は帰り。一人になったわたしは執事服姿の遥に壁ドンと顎クイされたことを思い出してしまい。又しても寝不足に陥ってしまうのだった……。




