75話 どうしてこのタイミングで……
「ぐぅ~」
わたしと遥の穏やかな空間に水を差すような間抜けな音が部屋中に響く。そしてその音の発生源はわたしのお腹だった。
「あ……」
遥はわたしに頭を撫でて貰うために密着していたから、わたしのお腹の音がハッキリと聞こえたはずだよね? は、恥ずかしい……。
「ふふ、大きくて可愛いお腹の音ですね」
そう言って遥はわたしのお腹に手を当てて撫で始めた。
わたしのことが好きだからといってお腹の音を褒めないで欲しいし、お腹を撫でないで欲しい。物凄く反応に困る上に何とも言えない気持ちになる。
「な、何ですか、可愛いお腹の音って、それにわたしのお腹を撫でないで下さいよ」
わたしはそう言って、遥の手を掴んで退ける。
「良いじゃないですか。今は私が瑠璃華に甘えているのですから。それに瑠璃華が私に甘える時によく私のお腹や胸に顔を押し当てたりするじゃないですか。それに比べたらお腹を撫でるなんて問題ないと思います」
「うっ……それを言われると反論できない……」
「ふふ、からかうのはこれくらいにしましょうか。お腹を空かせた瑠璃華をそのままには出来ませんからね。それじゃあ、今から夕食を作って来ますから待ってて下さい」
そう言って遥はわたしの頭を撫でた後、ソファーから立ち上がりキッチンへと向かった。
そんな遥を見送ろうとしたわたしだったが、今日は何となく遥の手伝いをしたいと思い立ったわたしは遥の後を追ってキッチンへと向かう。
キッチンでは遥が冷蔵庫から夕食に使う食材を取り出しているところで、わたしの気配に気付いた遥がわたしの方を見た。
「あっ、瑠璃華。もしかして飲み物ですか? 今、用意しますから待ってて下さい」
わたしが飲み物を取りに来たと勘違いした遥が冷蔵庫から、飲み物を取り出そうとしているのを見てわたしは慌てて止める。
「違います、違います。わたしは遥の手伝いをしようと思って来たんです」
「ああ、それでキッチンに来たんですね。それじゃあ、一緒に夕食を作りましょうか。私の隣に来て下さい」
こうしてわたしは遥と一緒に料理をすることになった。
「ふふ、瑠璃華と料理をするのは別荘でのバーベキュー以来ですね」
楽しそうに遥はそう言うけど、あれは一緒に料理をしたと言えるのかな?
「うーん。あれは一緒に料理をしたって言えるんですか?」
「バーベキューだって立派な料理ですよ。そんな事よりも始めましょう。ハンバーグ作り」
「はい。それでわたしは何をすればいいですか?」
「それじゃあ、瑠璃華は……」
遥の指示に従いながら、ハンバーグ作りは順調に進んでいく。そして今、わたしと遥はハンバーグの形を整える工程をしているところだ。
遥に教えられた通り、手に油を付けてからボウルからタネを適量手に取り、わたしはハンバーグの形を整える。
こうやって遥に教わりながら料理をするのは楽しい。わたしはあまり器用じゃ無いから、ハンバーグの形が少し歪ではあるけど、初めてにしては上出来じゃないかと満足している。
遥はわたしよりも綺麗に出来てるんだろうなと思ったわたしは遥の方を見て見ると、なんと遥はハート型のハンバーグを作っていた。
どう考えてもあれってわたし用のハンバーグだよね? しかし、あんなに楽しそうにハート型にしている遥が微笑ましく見えた。
「もしかしてそれってわたし用ですか?」
「は、はい。普通の形だけだと面白味が無いなと思って……」
遥は恥ずかしそうにそう答えた。
確かに折角の手作りハンバーグなんだから、形にこだわる理由もないよね。
「じゃあ、わたしも遥と同じ形にしちゃおうかな」
わたしは遥を真似てハンバーグをハートの形にした。でも、やっぱり遥みたいに綺麗には出来ないな。
「えっと……それ、私が食べても良いですか?」
「もちろんですよ。そのために作ってますから」
「そうですか。ふふ、とても楽しみです」
その後もわたしと遥は話をしながらハンバーグ作りを続けた。ボウルの中のタネが無くなった時には、ハート型のハンバーグの方が普通の形のハンバーグよりも多いことにわたしと遥は気付いた。
「さぁ、後は焼くだけですよ」
「そうですね。わたしもうお腹ペコペコです」
思いの外、ハンバーグ作りに時間が掛かったせいで、わたしの空腹は限界寸前だった。途中で何度もわたしのお腹が鳴って凄く恥ずかしかった。
「ふふ、作っている途中にもお腹が鳴っていましたからね」
「うぅ、言わないで下さいよ。恥ずかしいので……」
「ふふ、もう言いませんよ。私がハンバーグを焼くのでその間に瑠璃華はサラダを用意して下さい」
「わかりました。えっと、これを切れば良いんですよね?」
「ええ、それを適当な大きさに切って盛り付けて下さい」
わたしはサラダ用の野菜を手に取り、それをまな板の上に乗せて包丁で野菜を切っていく。その間にキッチン内は食欲を刺激する美味しそうな香りが充満していく。
ああ、早く食べたい。そう思いながらわたしは切った野菜をお皿に盛りつけた。
「遥、サラダの用意が出来ました」
「そうですか。ハンバーグの方もあと少しで焼き上がるので、待ってて下さい」
「はい。ああ、早く食べたいです」
しばらくして、ようやくハンバーグが焼き上がり。わたしと遥でお皿に盛りつけ、テーブルへと運んで席に着く。
「やっと、食べられますね」
「ええ、そうですね。瑠璃華のお腹も限界でしょうから、早速食べましょうか」
「「いただきます」」
わたしは早速、遥の作ったハンバーグを口に運ぶ。ジューシーな肉汁が口の中に広がり、とっても美味しい。
「遥、このハンバーグ。とっても美味しいです。これならいくらでも食べられそう」
「ふふ、それは良かった。この瑠璃華が作ったハンバーグも美味しいですよ」
遥はそう言っているけど、わたしは手伝いをしただけで、味付けなどの工程はほとんど遥がやっていた。だから実質遥一人でこのハンバーグを作ったようなものだ。美味しいのは当たり前じゃないかな?
「ほとんど遥が作ったようなものですし、美味しいのは当たり前だと思いますよ?」
「それはそうですけど、瑠璃華が形を整えたこのハンバーグには瑠璃華の気持ちが込められているような気がしたので……」
確かに愛情は最高のスパイスだと聞いたことがある。遥が言いたいのはそういうことだよね?
もしかして、わたしは無意識の内にハンバーグに愛情を込めていたのかな? 遥はわたしの気持ちが込められているような気がするって言ってたし……。
「どうしました? もしかして生焼けでしたか?」
「いえ、違います。このハンバーグにも遥が愛情とかを込めたのかなって思っただけですよ」
「もちろんです。私は常に大好きな瑠璃華のために愛情を込めて料理を作ってますから……って、私は何を言ってるんでしょうね。ふふ」
遥は顔を赤らめてそう言った。
「そ、そうですか……嬉しいです」
生徒会室でわたしと話し合った後からの遥は恥じらいながらも自分の気持ちをストレートにわたしに伝えてくる。会話でも送られてくるメッセージでも。
その度にわたしは感情が揺さぶられることが最近よくある。
今だってそうだ。遥にストレートに大好きと言われて、心の奥底から何かが沸き上がってくるような感じがする。
「でも、どうして急にそんなことを?」
「それはさっき遥がわたしの気持ちが込められているような気がしたって言ってたから気になっちゃって。ほ、ほら、愛情は最高のスパイスって言うじゃないですか?」
「ああ、なるほどそれで。恥ずかしいのであまり何度も言いたくはありませんが、私は常に瑠璃華のことを思って料理を作っています。それが私の瑠璃華に対する好きの気持ちを伝える手段の一つですから。それに私が作った料理をいつも美味しそうに食べてくれる瑠璃華を見るのが私は大好きなんです」
遥は照れながらそうハッキリと言って、わたしに笑顔を向けて来る。
その遥の笑顔からは、わたしに対する愛情がとても強く感じられるほどのもので、今までわたしが見てきた遥の笑顔の中でも一番と言っていいくらいの最高の笑顔だった。
「っ!?」
そんな遥の愛情に満ち溢れた笑顔を見たわたしの心はこれまで以上に大きく揺さぶられた。その結果、ある感情が心の奥底から沸き上がって来るのを感じた。
な、何でこんなタイミングで……。
どう考えてもこのタイミングじゃないだろという、わたしの気持ちとは裏腹にその感情は次第に強くなって行き、ついにその感情の正体をわたしは知ってしまった。
それを今すぐにでも言葉にして遥に伝えたいと強く思ったわたしだったが、その言葉を口にする前にどうにか飲み込むことが出来た。
「う、うん。ありがと……遥のその気持ちは十分伝わってるよ」
「それなら良かったです。と、取り敢えずこの話はやめにしましょう。色々と気恥ずかしいので……」
「そ、そうですね。ご飯も冷めちゃいますからね……。はぁ……」
その後、どうにか気合いで持ち直したわたしは、普段通りに遥と接することが出来きたお陰で、遥にわたしの気持ちを悟られることの無いまま、遥は家へと帰って行った。
◆◆◆
遥が帰った後。わたしはこのタイミングで自身の遥に対する気持ちに気付いてしまったことが未だに現実だとは信じられず、放心状態でソファーに座っていた。
しばらくそうしていると急にスマホが鳴り、わたしは強制的に現実に呼び戻されることになった。ちなみにスマホが鳴った時、わたしは驚いて「うひゃ!?」っと変な声が出たのは内緒。
恐る恐るスマホを手に取り確認すると、遥からメッセージが送られていた。
内容はわたしと一緒に過ごせて良かったという簡単なメッセージだったが、今のわたしにとって、この遥のメッセージですらわたしの感情を揺さぶって来るほどの破壊力があった。
わたしは昂る感情を抑えながら遥に返信するメッセージを入力しようとしたのだが、普段なら直ぐに文章が思いつくのに今回はいつも以上に時間が掛かって返信が遅れてしまった。
まさか遥にメッセージを返信するだけでこんなに気疲れするとは思わなかったよ……。
「はぁ……。あっ、もうこんな時間……」
ふと時計を見れば、いつもならお風呂に入っているであろう時間を過ぎていた。わたしはそんな時間になるまでソファーで放心状態だった上に遥へのメッセージの返信に時間を掛けていたみたいだ。
「お風呂入ろ……」
お風呂に入れば少しは気持ちの整理が出来るんじゃないかと思ったわたしだったのだが、体を洗い湯船に浸かってもそんなことにはならなかった。
「はぁ……何であのタイミングで気付いちゃったの……」
本当にどうしてハンバーグを食べている時なんかにこの気持ちに気付いてしまったの? わたしが愛情は最高のスパイスだという話をしたのが原因なのは確かだけど。
まさかその話をした結果、遥はわたしに対しての素直な気持ちを言葉にして伝えた上に、最後にはわたしが今まで見た中でも最高と言っても良いほどの笑顔を不意にわたしに向けてきたのだ。
あの笑顔を見た瞬間、わたしは遥のことが大好きなのだと思い知らされた。あんなに素敵な笑顔を向けられたら、誰だって一撃で惚れてしまう。それくらいあの時の遥の笑顔には破壊力があった。
遥のことが大好きだとわかったことは、わたしにとってとても嬉しいことだ。でも、あの状況で気付いてしまうのはどうかと思う。
だってわたしの家でハンバーグを食べているタイミングでだよ? これが夜景の綺麗なレストランとかだったらわかるけど。
ああ……現実ってドラマや恋愛アニメみたいに都合良く、ロマンティックにことが進まないんだなと痛感した。
「はるかぁ……。わたし、遥のことが大好きだって気付いちゃったよ……」
お風呂の中でそう言ったところで遥には伝わらない。
遥のことが好きだと気付いた瞬間、わたしはその事に気付いた勢いのまま、遥に好きだと言いたかった。だけど今は言ってはいけないと思い止まり、好きという言葉を飲み込んだのだ。
何故なら……。
「はぁ……遥の誕生日に告白の返事をするって約束したから言えなかった……。わたしはどうしてそんな約束をしちゃったのかな……」
あの約束さえなければ、今頃遥と恋人同士になっていたんだろうなと考えてしまったわたしは頭を抱えた。
「もっと早く遥のことが好きだって気付いていたら、こんなに悩まなくても良かったのに……」
そう考えたところで後の祭り。わたしは遥の誕生日までこの好きという感情を遥に伝えることを我慢しないといけない。
「どうしよう……あと一か月以上あるんだけど……。わたし我慢できるかな?」
この際、約束を無視して好きだと伝えようかという考えが頭をよぎった。だけどそんなことをするのは遥との約束を破ることになる。それにわたしとしても遥の誕生日という特別な日に好きだと伝えたいと思った。だからわたしは我慢することに決めた。
だけど……。
「好きだと伝えられないことがこんなに辛いなんて思わなかったよ……」
遥もわたしに告白する前はこんな気持ちだったのかな?
「あぁ、はるかぁ……」
お風呂から上がった後も、わたしは遥の誕生日まで自分の気持ちを伝えることを我慢出来るのだろうかという不安に苛まれたわたしはその日、一睡も出来なかった。
この時のわたしはすっかり忘れていた。わたしと遥は誕生日までは今まで通りに接すると約束したことを……。
そしてわたしが遥のことを好きだと気付いたことを知らない遥が、わたしに対して今まで以上のアプローチを掛けて来るだなんて思いもしないのだった。




