52話 スタジオに入るとそこには……
スタジオに案内してくれる葵さんの後に続いて部屋を出たわたしと遥先輩。
すると、部屋を出て直ぐに遥先輩がわたしの手を握ってきた。
「ん? あ、あの、遥先輩……何でわたしの手を握るんですか?」
急に手を握られたわたしは少し戸惑う。
「い、良いじゃないですか……。瑠璃華さんが私を忘れてお母さんと楽しそうに話しているのが悪いのですよ。手を握ったのは、こうすれば私が居ることを忘れないだろうと思ってやっただけです」
やっぱり、遥先輩を置いて葵さんと話し込んでしまった事を少し根に持っているみたいです。
遥先輩はわたしの手を握る力を少しだけ強め、より一層遥先輩の手の感触と体温が伝わって来る。確かにこれなら忘れることなんて出来ないだろうけど、遥先輩は気付いているのだろうか?
葵さんがわたし達の事を、微笑ましそうに見ていることに……。
「わ、忘れませんよ。あれは話に夢中になってしまっただけですから。わたしが遥先輩の事を忘れる訳ないじゃないですか」
「……本当ですか?」
遥先輩はジト目と言う表現が似合うような疑いの眼差しでわたしを見てくる。
この時、わたしはゾクリと何とも言い難い気持ちになってしまった……。わ、わたしにそんな趣味は無いと思うんだけどなぁ……。
「あらあら、遥ちゃん。そこまでにしてあげたら? 瑠璃華ちゃんが困っているわよ。うふふ……私に瑠璃華ちゃんを一人占めされて嫉妬している遥ちゃん可愛い……尊いわ……」
葵さんは遥先輩にそう言った後、ブツブツと何か言っている。
「す、少し子どもっぽい事を言ってしまいました、すみません。でも、手はこのままでお願いしますね」
心なしか機嫌が良くなったみたいで、遥先輩のわたしを握る手がふわりと優しくなる。
その後、遥先輩と手を繋いだ状態でスタジオが在る5階までエレベーターで降り、廊下を歩いていると一つのドアの前で葵さんが立ち止まった。
「ここよ。2人共少しだけ待っててね」
そう言って葵さんはスタジオの中へと入って行く。しばらく待っていると葵さんがスタジオから出てくる。
「待たせたわね。さぁ、入って入って」
葵さんに促されてわたしと遥先輩がスタジオに入る。
すると……。
「やっほ~瑠璃華、待ってたよ~」
「……瑠璃華……元気だった?」
わたしの目の前には恵梨香と凛子の姿があった。わたしは2人が居る可能性をすっかり忘れていて動揺する。
「恵梨香、凛子……」
「えっと、確か……あなた達は、瑠璃華さんのお友達の……」
「こんにちは〜遥先輩。あたしは神宮寺恵梨香。よろしく~」
「私は一橋凛子、です……よろしくお願いします……遥先輩……」
2人は自己紹介した後。恵梨香は軽く手を振り、凛子は丁寧にお辞儀をした。
「よろしくお願いします。恵梨香さん、凛子さん。ところでどうしてお2人はここに居るのですか?」
遥先輩は2人の正体を知らないだろうから、この疑問は当然だよね。
「それはね、遥ちゃん。この2人がイベントに出演したVtubarだからよ」
「……えっ……そ、そうだったんですか!? でも、あれ? 瑠璃華さんはどうして驚いて無いのですか?」
「えーっとですね……わたしは最近、動画を観て気付きましたから……」
「ああ、それで瑠璃華さんは驚かなかったんですね。それなら、どうして私に教えてくれなかったのですか?」
「それは、人違いの可能性を考えたからです。別に遥先輩に隠していた訳ではないですから」
「むぅ……まぁ、確かに間違っていた時の事を考えたら、瑠璃華さんが言わなかった事にも納得出来ます……」
遥先輩は少し不満げでしたが納得してくれたみたいです。
「いや~。瑠璃華がここに来るって葵さんから聞いたから驚かそうと思ったけど、バレちゃってたか~」
「残念……どうして気付いたの?」
「カラオケに行った時、聞いたことがある歌声だなぁ~って思ったんだけど、その時は思い出せなくて。最近、歌配信のアーカイブを観て気付いたの。あの時は驚いたんだよ」
「瑠璃華には、あたし達の目の前で驚いて欲しかったんだよ。ねぇ~凛子」
「うん、期待してた……」
見るからに残念そうにしている恵梨香と凛子。
「もしかして、お母さんはこの事を知っていたの?」
「ええ、でも知ったのは今日よ。遥ちゃんとそのお友達が見学に来るって、話をした時にその事を知ったわ。2人から瑠璃華ちゃんの名前が出て驚いたわ~。世間って狭いわよね~」
葵さんは楽しげにそう話す。
確かに葵さんの言う通り世間は狭いなぁ~っとわたしも思う。
だって、通っているメイド喫茶のお気に入りのメイドが生徒会長の遥先輩だったり、学園を騒がせた謎の少女は遥先輩の妹の奏ちゃんで、その奏ちゃんに紹介された子はわたしの好きな動画配信者。仕舞いには仲の良い友達が人気のVtubarなのだ。世間が狭いにも程があると思う。
そんな事をしみじみと感じていたわたしに、葵さんは更なる事実を告げる。
「それにしても、恵梨香ちゃんがお世話になっているゲーム会社の社長の娘さんだったなんてね〜。私的にはそっちの方がもっと驚いたわ~」
葵さんがシレっとトンデモナイことを言いだした。う、嘘でしょ……。
「……へ? 恵梨香がゲーム会社の?」
「あっ、そういえば瑠璃華に言って無かったね。あたしは……」
恵梨香の話を聞けば、わたしも知っている有名なゲーム会社の社長の娘だった。恵梨香って本物のお嬢様だったんだ……。あまりの衝撃に開いた口が塞がらない。
思えば、有名なイラストレーターによるキャラデザや3Dモデルとそのモデルを動かす機材。どれもお金がかかっていて企業が関わっているんじゃないかと噂されていたけど。なるほど、そういう事だったのか……。
「あはは! 驚いてる驚いてる」
そんな驚いたわたしを見て、満足そうに笑って喜ぶ恵梨香。
もしかして、凛子も何処かのお嬢様なのかな?
「も、もしかしてだけど……凛子も?」
「ふふ……安心して瑠璃華……。私は普通の会社員の娘……。父親同士が幼馴染みで仲が良いの……」
「そう! そのお陰で凛子と仲良くなれたんだよ。お父さん達には感謝しないとね」
そう言いながら恵梨香は凛子に抱き付き、凛子は恵梨香に身を委ねている。恵梨香の表情や凛子の仕草を見れば、2人がどんな関係なのか容易に察する事が出来る状況である。
わたしは見慣れた光景なんだけど。初めて見たであろう遥先輩と葵さんはどんな反応をするんだろうか?
そう思い葵さんの方を見れば「あらあら、仲が良いのね」っと微笑ましそうに見ていて、遥先輩は……。
「ああ、羨ましい……私も……」
遥先輩は頬を赤らめながら何かを呟いている。遥先輩も2人の関係は噂で聞いたことあるだろうけど。直接目の当たりにして驚いたんだろうな。
「恵梨香ちゃんと凛子ちゃんは本当に仲が良いのね~」
「ええ、仲良いですよあたし達は、ねぇ~凛子」
「うん……例えるなら私と恵梨香は一蓮托生……」
「もう、凛子。それは言い過ぎよ」
あぁ……これはいつもの2人の世界に入る流れだ。普段は見守るんだけど、流石にここではマズイ……止めないと。
「恵梨香、凛子。2人の世界に入らないでね」
「えっ? ああ、ごめんごめん。つい……」
「……そうだった……私達の悪い癖……」
恵梨香は抱きつくのを止めて凛子から離れる。
「とりあえず、お話は一旦止めにしてこのスタジオの見学をしましょうか」
そうだった……わたし、スタジオ見学するためにここに来たんだった……。すっかり忘れてた。
「瑠璃華達がここに来たのは見学のためだったね。う~ん……そろそろあたし達も帰らないといけない時間だね」
「そうだね恵梨香……イベントお疲れ配信の準備もしないといけないから……帰らないと……」
「そう言う訳なので、失礼しますね葵さん」
「ええ、あなた達のお陰で本当に素晴らしいイベントになったわ。気を付けて帰ってね」
「はい、それじゃあ瑠璃華、遥先輩。見学楽しんでいってね。バイバ~イ」
「遥先輩、お先に失礼します……。瑠璃華、またね……」
恵梨香と凛子はそう言い残してスタジオから出ていった。
2人が出ていった後、わたしと遥先輩は葵さんの説明のもとスタジオ見学を行った。
「葵さんの説明、凄くわかりやすかったです」
「それは良かったわ。私、遥ちゃんと瑠璃華ちゃんに説明するためにスタッフに教えて貰って頑張って覚えたのよ。その甲斐があったわ~」
イベントの準備などで忙しかったと思うのに、ここまでしてくれるなんて……後でちゃんとお礼を言わないと。
「お母さん、そこまでしなくても良いのに」
「何を言っているの遥ちゃん。愛する娘とそのお友達が折角私の会社に来てくれるんだから、出来る限りの事をするのは当然でしょ?」
「そうだけど。お母さん、イベントの準備で忙しかったでしょ?」
「大丈夫よ。愛する娘のためと思えばなんて事ないわ。もし仮に遥ちゃんに好きな人が居たら、例え忙しくても出来る限りの事をするでしょ? それと一緒よ」
「なっ!? ど、どうして急にそんな話になるの!? す、好きな人なんて……」
遥先輩は顔を赤くしながら慌てている。
もし遥先輩に恋人が出来たらこの関係も終わってしまうのかな? 不意にそんな事を考えてしまい不安になった。仮に恋人が出来なくても来年には遥先輩は卒業してしまう……そうなれば、この関係は本当に終わってしまうだろう。
「遥ちゃんそんなに慌てなくて良いじゃない。仮にって言ってるでしょ」
「お母さんのその顔はからかっている顔よ。奏と同じ」
まぁ、そんな事は今は考えないで良いよね。いずれ、わたし達の関係に答えを出す日が来るかも知れないけど。今は遥先輩との楽しい時間を過ごせば良い。
まずは2人を止めるとしよう。
「あの遥先輩、葵さん。時間的にもそろそろ……」
「あ、私としたことがつい。熱くなってしまいました……」
「あらあら、もうそんな時間なの? 時間が経つのは早いわね……それじゃあ、約束通り瑠璃華ちゃんが見たがっていた。サービスワゴンを見せてあげるわ」
わたし達は再び最上階の葵さんの部屋に戻る。
約束通りサービスワゴンを見せて貰った。本物には風格や気品を感じ「おお……」と声が漏れてしまうほどだった。そんなわたしに葵さんが触っても良いと言うので触ってみたり動かしたりしたんだけど……。
そんな時に葵さんがこのワゴンの値段を口にして、わたしは驚いて固まってしまった。それを見た葵さんが楽しそうに笑う。その時わたしは葵さんは人が悪いと密かに思った。
「瑠璃華ちゃん満足したかしら?」
「そうですね……葵さんが急にあのワゴンの値段を言うまではですが……驚いて心臓が飛び上がる気分でしたよ」
「うふふ、ごめんなさい。つい、瑠璃華ちゃんを驚かせたくて」
「もう、お母さんは……瑠璃華さんに嫌われるよ」
「それはダメよ。折角、私と話の合う子が出来たんだから。逃がす訳にはいかないわ。そういえば遥ちゃん、瑠璃華ちゃんと別荘に泊まるのよね?」
葵さんは急に別荘に泊まる話を切り出して来る。
「うん、そうだけど……それがどうかしたの?」
「じゃあ、お詫びに瑠璃華ちゃんと遥ちゃんが楽しめる様に色々と別荘に用意しておくわ」
わたし、別に葵さんに怒ってはいないのだけれど。それにそこまでして貰う訳には……。
「別にそこまでして貰う訳には……」
「良いのよ。元よりそうする予定だったんだから。瑠璃華ちゃんが気にする事じゃないわ」
「そうなんですか? なら良いのですが……」
「うんうん。それじゃあ見せる物も見せた訳だし、ここでお開きにしましょうか。タクシーを呼ぶからそれで帰ると良いわ」
葵さんはスマホを取り出しタクシーを手配した。
その後、ロビーまで降りてタクシーが来る間で待つ。
「来たみたいね。遥ちゃん今日はイベントの後処理と打ち上げで遅くなると思うから、食事はお父さんの分だけ用意すれば良いわ」
「わかった。それじゃあ、お母さん今日はありがとう」
「葵さん、今日は本当にありがとうございました。楽しかったです」
「そう、それは良かったわ。また、機会があったら沢山お話ししましょうね」
葵さんに見送られてわたしと遥先輩は『Dream』を後にした。
帰りのタクシーの中で……。
「瑠璃華さん今日はどうでしたか?」
「イベントもスタジオ見学もとっても楽しかったです! これもわたしのために色々と用意してくれた遥先輩のお陰です。ありがとうございます」
「そ、そうですか。ふふ、瑠璃華さんが喜んでくれて私も嬉しいです……」
遥先輩は照れくさそうに顔を赤らめながらそう話す。
「それにしても、遥先輩は葵さんの前ではあんな感じなんですね。普段の遥先輩と違って少し驚きました」
「えっ、あ、それはですね。お母さんの前だと調子が狂うと言いますか……瑠璃華さんはあんな調子の私は嫌ですか?」
不安気にわたしにそう問いかけて来る遥先輩。
「わたしは、あの砕けた感じの遥先輩も良いと思います。親しみ易いですし」
「そ、そうですか……それなら……」
「……?」
遥先輩は少し考えるような素振りをした後。
「あ、あの! 瑠璃華さん」
「は、はい。何ですか? 遥先輩」
「その……あの……えっと、ですね……な、何でも無いです……」
「? そうですか……」
「うぅ、私のバカ。はぁ……」
顔を両手で覆った遥先輩は何かを呟いている。一体、どうしたんだろうか……。
その後、いつもの調子に戻った遥先輩と今日の出来事を振り返っているとタクシーはマンションの前についてしまった。
「遥先輩、今日は本当にありがとうございました」
「ええ、私も楽しかったです。次は別荘に行く時に会いましょう。詳細は後で連絡しますので。それでは瑠璃華さん、また……」
遥先輩の乗るタクシーを見送ったわたしは、家に戻ると今日の疲れを癒すためにお風呂に入り。その後、ベッドに横になり改めて今日の出来事を振り返る。
今日はイベントもスタジオ見学もとても楽しくて、葵さんと話が合うことも嬉しかった。恵梨香や凛子が居た事にも少し驚いたけど、特に驚いたのは恵梨香がゲーム会社の社長の娘だったこと。
でも、わたしの中で一番印象に残ったのは、遥先輩の普段わたしに見せることの無い一面だ。
普段よりも積極的で口調も少し砕けた感じで、遥先輩がわたしに心を許していると感じてとても嬉しかった。
わたしと遥先輩の関係上。友達以上のスキンシップをしているのに会話は少し硬い気がしていた。まぁ、先輩と後輩なんだから仕方が無いんだけど……。やっぱり、精神的な意味で距離がまだあるような気がする。
「遥先輩ともっと親しく話せたら……」
ふと、七菜香先輩に相談された時の事を思い出す。七菜香先輩も怜先輩ともっと仲良くなりたい、先輩後輩の仲では無く友達になりたいって言ってたな。
今なら七菜香先輩の気持ちがわかる気がする。わたしも遥先輩ともっと仲良くなるために自分から行動するべきだと思う。
「よし、別荘に泊まる時にわたしも頑張ってみようかな……」
そう決めたわたしは、遥先輩ともっと気軽に話すにはどうすれば良いのかを考えることにした。




