究極魔法の誤算
「──と言うように、他の淫魔のように堕落すること無く、魔術に人生を捧げ研究と鍛錬に没頭した私だ。しかし、百余年の眠りを経て、さらなる高みを目指すためにはやはり強く優秀な魂が必要なのだ……」
「ふーん。魔族も色々面倒ね」
いつの間にか座って話し込んでいる二人。
「この私が取り込む最初で最後の魂だ。手始めにこの近辺から優秀そうな男を攫ってきたのだが……。ふん、外見は整っていても魔力も知力も腕力も、全て及第点以下だ。魂を手に入れるに値しない。それに…………」
「それに?」
「…………いや、何でもない」
「何よ、言いなさいよ」
バルバロッサが問い返すと、ミミュレットは顔を赤らめてもじもじとしながら極小さく呟いたが、声が小さすぎてよく聞き取れない。
「はあ? 何? ちゃんと言いなさいよ」
「だから……! その……! …………怖い。はじめてだから……」
「………………ぶふっ!」
長い沈黙の後、我慢できなかったバルバロッサが思わず吹き出す。
「わ、笑うなぁ! だから言いたくなかったのだぁ……!」
顔を林檎のように紅くしたミミュレットが、その肩をポカポカと殴った。
「くく……! だって、どんなサキュバスよそれ……! あっはっはっは!」
「うう……。く、屈辱だ……」
腹を抱えて笑うバルバロッサを恨めしそうに睨むミミュレット。
「はー、笑った」
ひとしきり爆笑したバルバロッサは、おもむろに立ち上がった。
「じゃ、帰るわ。こーんな下らない事に付き合ってらんないもの。面白かったけどね」
踵を返して扉へと歩きだす。
「貴様、逃げるのか!」
「バイバイ。不要のイケメンたちはアタシの方で引き取って行くわよ」
背を向けてそこまで言ってから、バルバロッサはふと振り返って微笑を浮かべた。
「……アンタにも現れるといいわね、王子様。これはアタシの予感だけどね、アンタきっと〈いい恋〉すると思うわ」
「あ……」
「じゃあね」
「ま、待って……」
──背中を向けて去っていくバルバロッサを見て、ミミュレットの心はかつて無いまでに動揺していた。締め付けられていた、と言ってもいい。
一人で生きてきた五百年近い年月で、感じたことの無い感覚。
ミミュレットは初めての感覚をこう解釈した。『これは私の魔力が、この男の魂を欲しているのだ』と。
この魂を、なんとしても手に入れないといけない。ミミュレットは声を張り上げた。
「待て!! 今ここを去るならば……即座に男たちの命を奪うぞ!」
「……なんですって?」
背を向けたまま立ち止まるバルバロッサ。
「私が奴らを幽閉するのに魔術を使っていないと思うか……?」
立てた人差し指の上に小さな魔術陣が浮かび上がる。
「……何が望み?」
振り返って問う。
「改めて私と戦え! 貴様が勝てば、男どもはくれてやろう!」
「……。アンタが勝ったら?」
「貴様の魂を貰う」
邪悪で妖艶な笑みを浮かべて言うミミュレットに、バルバロッサは肩を竦めてため息をついた。
「はぁ……。処女でイモい魔術オタクのサキュバスなんて面白いと思ったけど、結局魔族は魔族ね」
「処女でイモいは余計だ!!」
「ま、なんでもいいわ。かかってきなさい」
やる気無さそうに剣を抜くバルバロッサを見て、ミミュレットは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
二人の頭上に同じ紋様の魔術陣が現れて即座に掻き消える。
「〈魔族の契約〉完了だ! 言い逃れは出来んぞ!」
「ふん。する気もないわよ、イモサキュバス相手に!」
「抜かせ! 食らうがいい! 五百年間封印し続けてきた、〈サキュバス〉族最大の魔術……!」
ミミュレットが両腕を高く掲げた。
再び雷鳴が轟き、パイプオルガンが鳴り響く。
「いちいち演出過多なのよ……!」
ミミュレットを中心に蔦が伸びるかのように複雑巨大な魔術陣が広がっていく。
同時に紫黒色のもやが周囲に立ち込め始め、剣を抜いて身構えるバルバロッサを包み込んだ。
「勝った……! 狂い悦ぶがいい! 〈アーク・チャーム〉!!」
「……っ!!」
勝利を確信したようなミミュレットの声と同時に、バルバロッサの鼓動が大きく跳ねた。
頭が熱を持ったようにぼうっとして、身体が上手く動かない。
すでに視界は紫黒の靄に包まれて何も見えなかった。
「精神魔術……!? 後の先を取ろうと思ったけど、甘かったかしら……!」
──最悪、『本気』にならざるをえない。
覚悟を決めようとしたその時、暗闇の中からミミュレットがゆらりと現れた。
それも全裸で。
「……!?」
面食らうバルバロッサに一糸まとわぬ姿で妖艶な笑みを浮かべて擦り寄ると、その頬を赤い舌でぺろりと舐めて囁いた。
『ねえ、私を見て? この身体を……』
脳に直接語りかけてくる、こそばゆい感覚。
耳にかかった吐息からは薔薇のような官能的な香りがする。
身体が芯から熱くなり、勝手に汗が吹き出してきた。
暗闇からは次々と裸体のミミュレットの分身が現れ、バルバロッサの四肢に纏わり付いた。もっちりとした素肌の弾力が汗ばんだ肌を通して伝わってくる。
『気持ちいいことしましょ?』
『ほら、触っていいのよ……?』
『全部、好きにして? ここも、ここも……んっ』
バルバロッサの手を取り、自らの身体を弄らせる。
官能の暴力とも言える誘惑。
正面に立つミミュレットが、片腕をバルバロッサの首に絡めながらもう片方を下半身へと伸ばした。
『ふふ、怖がらないで。だって、ほら。ココはこんなに…………こんな……あれ?』
妖艶な声から一点、素に戻った声で首を傾げた。
よく見ると小刻みに震えている手で、さらにバルバロッサの股間をまさぐって〈あるはずの何か〉を探している。
『あ、あれ……? おかしいな。魔術書では確か〈大きく硬い〉と……』
しばしゴソゴソと股間で探し物をした後、
「えーと………………?」
ミミュレットが恐る恐る視線を上げると、
「……あんたねぇ…………」
白けきった顔に青筋を浮かべたバルバロッサと目が合った。
「ひっ……!」
怯えると同時に、魔術のもやも他の分身も一斉に霧散する。
元の着衣状態に戻ったミミュレットが顔中に脂汗を流して沈黙する。
汗だくで目を泳がせる彼女に、バルバロッサの鉄拳が炸裂した。
「……出直して来なさぁぁぁぁいッッッ!!」
「きゃあぁぁぁぁぁぁ────!!」
悲鳴とともに勢い良く吹き飛ばされたミミュレットは、遺跡の壁を盛大にぶち破って月夜の美しい空へと消えていった。