荒城の〈招かれざる王〉
超高温の炎の矢が男の頬を掠める。
広間の明り取りから冷たい月光が射し込んでいた。
太古の昔に役目を終えたはずの荒城に巣食う〈招かれざる王〉は、掲げた腕に今しがた放った魔術の残滓を燻らせたまま圧倒的な存在感でそこに佇んでいた。
黒いマントにすっぽりと覆われた身体は小柄。深く顔を隠したフードで表情は分からない。
それにただ一人対峙する男の、日に焼けた顔。短髪の黒髪に、きれいに整えられた髭。革の軽鎧の隙間から覗く、ヘラクレスの如く鍛え上げられた筋肉。腰に下げた無骨な長剣。
その男──バルバロッサの姿と纏う風格は、一見して百戦錬磨、屈強な戦士のそれだ。
「さあ、戦士よ。お主の力、如何程か──」
魔術師が腕を高く掲げると、その背後に幾本もの炎の矢が出現した。
「見せてみよ!」
炎がバルバロッサに殺到する。
「……っ!」
無茶苦茶な軌道を描いて襲いかかる矢を、バルバロッサが驚異的な瞬発力で避ける。
しかし、それ自体が罠だった。
一見ランダムな攻撃は、巧みにバルバロッサを広間の一点へとおびき出していく。
それにバルバロッサが気付いた時には、その足元の床に設置型の魔術の紋様が浮かび上がっていた。
「……! しまっ──」
吹き上がる爆炎がバルバロッサを包み込んだ。
「……。所詮ただの人間か……」
魔術師がつまらなそうに言い放つ。
興味を失ったようにそのまま踵を返して立ち去ろうとした、その時──
収まりかけた爆炎の中から、バルバロッサが疾風のように飛び出してきた。
一瞬で間合いを詰め、抜き放ちざまに剣を斬り上げる。
「むっ……!?」
魔術師が咄嗟に展開した魔力障壁と剣がぶつかり合い、分厚いガラスがぶち割れるような騒音が鳴り響く。
物質のように砕け散る魔術陣を残し、魔術師がふわりと距離を取った。
バルバロッサはそれ追うでもなく、剣を構え様子を見ながら小さく悪態をついた。
「ちっ……。マルコスのヤツ、なーにが『悪い魔術師』よ。魔族級じゃないの……!」
魔術師は愉快そうに肩を震わせた後、声高にバルバロッサを指差した。
「くく……。面白い! 待っていたぞ、貴様のような屈強な男を……!」
対するバルバロッサは、妙に内股で『コツ、コツ』と二歩ほど前進して、
「一つ、間違ってるわ」
「なに……?」
真っ向から剣先を突きつけて言った。
「アタシは女よっ!」
「…………? えーと………………?」
一瞬、と言うにはだいぶ長い沈黙が流れた後、
「…………戯言を!! 行くぞ……!!」
「かかってきなさいっ!」
魔術師は一旦、全て聞かなかった事にして戦いを進めた。
強大な魔術師と、最強の戦士が再びぶつかりあう。
ことの発端は、おおよそ三日前────
◆
神歴658年。
グランディール公国を含む五つの国を巻き込んだ激しい戦乱の時代が終わりを迎えた。
何年もの間続いた、血で血を洗う戦。
正義と正義。国同士のエゴ。そして欲望。様々なものが煮えたぎった、血のスープのような時代だった。
そんな中、数多の戦場を渡り歩き、数え切れないほどの武勲、名声を手に入れた一人の戦士がいた。
一度戦場にその男が姿を現せば、死と破壊の渦が全てを飲み込む。
数百の騎兵を一刀のもとになぎ払い、高位の魔術師団が為す術もなく打ち倒された。
その男の率いる部隊は、死をも厭わぬ恐るべき士気で修羅の如き猛攻をみせるという。
〈羅閃騎士〉と呼ばれたその男は、やがてグランディール帝国による大陸統一の大きな礎となる。
そして、統一元年…………羅閃騎士は忽然と姿を消した。
約束された大将軍の地位を捨てた男は新たな戦いと死地を求め海を渡り、亡霊のごとく新天地を彷徨い歩いているという────
「──と、もっぱらの噂の〈羅閃騎士〉殿と見込んで、貴殿に一つお願いをしたいのですが……。あの、聞いてますかな?」
騎士然としたプレート・メイルを着込んだ初老の男性が、向かいに座る男に問いかける。
暗黒大陸イシェルヴィアの辺境にある小都市〈バハラキア〉。
さらにその街の隅っこにあるこの酒場は、昼時だと言うのに大した客もおらずのどかな雰囲気が漂っていた。
その雰囲気を体現するかのように、騎士の向かいに座る男──戦士バルバロッサはうつらうつらと居眠りをしていた。
「……あの。バルバロッサ殿?」
男性が改めて声を掛けると、バルバロッサは一度カクンと首を折った後、「はっ」と目を覚ました。
「あらやだ。アタシ寝ちゃってた? ごめんなさいね、マルコスさん。だって、アタシのプロフィールを延々話してるんだもの。全部知ってるわよ、自分のことくらい」
口元に手を当てて、ころころと笑いながら謝る。
「い、いえ……」
マルコスと呼ばれた男性が引き攣った笑顔で返すと、バルバロッサは怪訝そうに首を傾げた。
「何か変かしら?」
「いや、その……。思っていたイメージと少し……いや大幅に違ったものでして……」
「そう? 予想より綺麗でびっくりしちゃった?」
髪も無いのに耳元を手で払う仕草で言う。
「は、はは。こう、もっと無骨な方かと……。なんというか……思ったよりも女性的な方なのですね」
「的、じゃなくて。女性よ?」
「は……はぁ……?」
難解な前衛詞でも聞かされたような顔のマルコスを気にするでも無く、バルバロッサは『ぐでっ』と机に突っ伏して愚痴を吐いた。
「はー。ショックだわー。ここなら誰もアタシの事知らないと思って悠々自適に暮らしてたのに」
「いやはや、〈羅閃騎士〉殿の武勇とご高名は、遙か海を越えて伝わってきておりますからな」
尊敬の眼差しを送ってくるマルコスに小さな溜息で返しながら、改めて彼を観察した。
マルコスは身なりの通り騎士──では無く、ここバハラキアにある〈冒険者ユニオン〉の所長だった。
『冒険者』とは、この大陸イシェルヴィア特有の職業で、未踏地域や遺跡を調査、開拓していく事を生業とする者たちのことを指すらしい。
グランディール公国がある大陸から荒れる海を遥かに超えた先にある、未開大陸イシェルヴィア。
そこは殆どが手付かずの大地であり、その北方は恐るべき魔族の領域〈魔領〉と接している。
古代より残りし遺跡。そこに巣食う魔領由来の生物〈モンスター〉。
闇深い大自然……。
その余りにも広大な〈未知のエリア〉を開拓するために存在するのが〈冒険者〉であり、ユニオンがそれを統率している。
まぁ言うなれば、血の有り余ったゴロつきを管理するための組合だ。
グランディール公国にも同じような組織はあった。
と、その胡散臭い〈冒険者ユニオン〉の所長が、自分に何の頼みごとがあるのか。
おおかた、というか確実に面倒事だろうとバルバロッサは思った。