3、犬と寝落ち 1/2
ケン太はレポート制作の手を止め、伸びをする。
「ふう………あ、バイトの時間。………………………丁度いいか。気晴らしに行こう」
外は深夜だった。今日は月が細い。
月契約の、近くの畑でのバイトは好評だった。
昔からやっている、畑農家専用のアルバイト。
(のびのびと動けるし、お金も貰えるし、一石二鳥なんだよな。………よし)
「ワン! ワンワンワンワンワンワンワン!!!!」
「ブヒィィィィ!!」
深夜の畑を、一匹の芝犬と大き目のイノシシが駆けまわっていた。
諦めてイノシシが去ると、犬は誇らしげにお座りをし「ワオーーーーーーン」と一度、気持ちよさそうに遠吠えをした。
『犬神様!』
一匹のポメラニアンが、暗闇の中パタパタと柴犬へ駆け寄る。
『こちらも終わりました! 奴ら、もう今晩は来ないかと』
『わたあめ! お疲れ様』
「わたあめ」とはこの真っ白なポメラニアンの名前だ。
『チョコの奴の方は、今日は朝方に来るかもしれないから、遠吠えで報告するとの事です』
『そっか。分かった。じゃあ僕らはもう帰ろうか』
『はい! けど、あの。もしよければご一緒にお散歩でもしませんか?』
『………いいけど、君の所の飼い主さん、心配しないかい?』
『大丈夫です』
『そっか。じゃあ少しだけ遠回りで帰ろうか』
『わーい! ありがとうございます!!』
わたあめは嬉し気に尾を振る。
ここの辺りは農家が多い。
外飼いの犬も街中より多かった。そんな家の前を二匹が通ると、必ずと言っていいほど「ワン!」と話しかけられた。
『犬神様! 今晩もお疲れ様です!』
『犬神様! 今度はおいらも誘ってください!』
『あ! わたあめ! 犬神様と散歩何てズルいぞ! 俺も連れてけ!』
そんな彼らに会うたびに、わたあめは誇らしげに胸を張った。尾がちぎれんばかりにぶんぶんと振られる。
もう少しでわたあめの家に着くという頃、『そういえば』と彼が切り出した。
『犬神様の飼ってる人間は、ちゃんとご存命ですか? あの家、全く人が出てこないって噂ですよ』
『ははは。飼ってるわけでも飼われてるわけでもないよ。そうか、噂になってるんだ』
『はい。皆どんな人間か気になってますから。けど出てくるのは毎回猿かヘビ。犬神様の言う女の子ってのが、全く見ないんです』
『そうなんだよ………。彼女、全く家から出ようとしなくて。どうやら人が苦手みたいなんだ』
『人が苦手………。まあ、犬にも臆病な奴ってのはいますもんね。………………………あ、そうだ!』
『ん?』
わたあめは自分の家の前、「良い事を思いついた!」と真っ黒な円らな瞳を輝かせた。
『犬を飼うとかどうですか?! 散歩の義務があれば、きっとお嬢ちゃんだって出る様になりますよ! ねえねえ、犬神様! 僕なんてどうですか?!』
ハッハッハ、と期待のまなざしで見られ、ケン太は苦笑する。
『君はちゃんとした飼い主がいるだろう? 雪ちゃんの事、嫌いかい?』
『雪ちゃん?!! 大好きに決まってるじゃないですか!!!!』
飼い主の名前が出て、わたあめは嬉しい気持ちがこらえきれず、その場でぴょんと跳ねた。尾が千切れんばかりに大きく振られる。
『ほらね。なら浮気は駄目だ。さあ、もうお帰り。お家の人達を起こさないように気を付けてね』
『はい! 犬神様! おやすみなさい!』
わたあめは吠えないように気を付け、とことこと駆けて一階の窓の隙間へと入っていった。
中に設置された棚の上から、器用に後ろ脚で立って、窓の鍵を閉める。
「ふぁ~。さて、時間まで続き続き」
明日は3限からだ。それまでには十分終わるだろう。必要なら昼寝を取る余裕もありそうだ。
ケン太は使い慣れたノートパソコンに向かい直り、カタカタとタイピングをし始めた。
***
朝。
障子を透かし、明るい光が入り込む。
「………終わった」
大学に通うのは三度目。初めの頃は大嫌いなレポートも、今回にもなると流石に容量が分かり、ある程度は困らずに作れるようになった。それに自分は、将来のために頑張る必要もないので楽なものだ。単位を落としても取り直せばいいし、いざ卒業できなくても退学してしまえばいい。
障子を開けると、朝方の気持ちのいい風が入り込んできた。
ケン太は立ち上がり、朝シャンを浴びるべく風呂場へと向かった。
「縁側かぁ。良いもんだな………」
髪をタオルドライしつつ、人気のない縁側で横になる。初めは少し横になっているつもりだったが、気づけばそのまま眠りについてしまっていた。
7時になり、ミ貴雄の部屋の障子が開く。
目が覚めたので、冷たい水が飲みたくなり起きたのだが———
(ケン太君?!)
縁側で眠っている同居人の姿に、ミ貴雄はどきりと心臓を慣らす。
本来なら黒髪の20代前後の青年が眠っているべき場所。そこには、可愛らしい一匹の柴犬が、バスタオルに絡みついて眠っていた。
(い、今起こせばまだ間に合う。オーナーに見つからないうちに急いで………)
「———!!!」
ミ貴雄は息を吸い込みながら、声にならない叫びをあげる。
廊下から縁側へと、いつの間にか岩永が歩いて来ていた。岩永と鉢合わせ、ミ貴雄は困ったように立ち尽くす。
「お、おはようございます。はやいですね」
彼女はぼさぼさの頭を掻き、嫌そうに眉を寄せると「おはよう。喉乾いた」とぽつりと返した。
「は、はい。私も。よければご一緒に」
「犬」
「———………」
ミ貴雄は微笑んだまま硬直する。
「はい?」
「犬。ケン太の部屋の前。柴犬だ」
「………ほ、ほほほほほほんとうだ、可愛らしいですね。どこから来たんでしょう」
ミ貴雄の声が不自然に震える。
水を飲むのも忘れ、岩永は柴犬の方へと走って行ってしまった。
ミ貴雄は心の中力一杯に叫んだ。
(ケ、ケン太君ーーーーーー!!! 早く起きてえええええ!!!!)