1、犬猿蛇と新生活 1/2
黒髪、短髪。人から好感しか持たれないような、爽やかな好青年。山上ケン太は、玄関から廊下を真っすぐ進んだ先にある、奥の「岩の間」の襖を開いた。
(外は明るいのに、相変わらずこの部屋暗いなぁ)
「岩永ちゃーん。今日の帰りスーパー寄ってくけど、何かおやつとか欲しい物………うわあ!」
誰もいないかのように見えた暗い部屋の中、人をダメにするクッションの下から視線を感じた。よく見ると、クッションの下から人の頭部がはみ出ている。
岩永だ。
大の字で仰向けになり、長い髪の合間から、見開いた片目をのぞかせていた。
「い、岩永ちゃん………驚かせないでよ。寝てたの?」
岩永から返事はない。
ケン太はそっと部屋に入り、岩永を覗き込む。静まり返った部屋、目を開いている彼女から、小さな寝息が聞こえた。
「ね、寝てたんだ。目乾いちゃうよー」
片手で軽く目を扇ぐと、それに反応し、岩永の目がぎょろりと動いた。
(あ、起きたかな)
一拍の沈黙。
岩永の黒目がわなわなと震える。
「き、………き、き………ぎゃあああああああああああああ!」
「わあぁ!」
この世の終わりのような岩永の叫びに、ケン太は尻もちをつく。
「うっせー! またか!」
部屋の外から、オレンジ頭のチャラそうな青年、石湯エン治が覗き込む。
「ご、ごめん。岩永ちゃんが目開けたまま寝てたから、つい」
ケン太は笑いながら頭を掻く。
「ほっといてやれって。お前散々叫ばれてんだから、ここ来るの少し控えたらどうだ」
「いやぁ。回数重ねないと慣れてもらえないと思って」
「ああああああああああああ!!!!」
「うっせーな!! いい加減黙れ!!!」
エン治の言葉に、ようやく頭も覚めたのか、岩永の叫びはぴたりと止まった。
喉に来たのか、ゴホゴホと咳き込む。
「大丈夫? 水持ってこようか?」
「ケン太、お前過保護すぎだろ。良いのか? そろそろ学校行く時間だろ?」
「あ、そうだった。岩永ちゃん、何か欲しいものある? 僕帰りスーパー寄るんだけど」
しゃがみ直し、改めてのぞき込んだケン太。岩永は顔半分をクッションに埋め、ぼそぼそと口を動かす。
「………肉。赤身の肉」
「肉ってお前………」
「ああ。じゃあ今日の夕食はステーキにしようか」
何も不思議に思わなかったのか、ケン太は「いいね!」というような肯定的な笑顔を浮かべる。
そのやり取りを、エン治は呆れ顔で眺めていた。
「おい。そのやり取りラインでいいか? 岩永、新入居者様だ」
「………ぇ、」
「へえ。早いね。今日来るとは聞いてたけど」
「………ひ、人が、人口密度が………」
岩永は苦しそうに頭を抱える。
「チャイム聞こえなかったね」
「ああ、チャイムなら、俺がちょうど外出たときに会ったから鳴らしてねぇ。ほら、玄関で待ってんぞ。さっさと行ってやれ、オーナー様」
「………分かった。明日出る」
「今出ろ。留守電とかじゃねんだよ」
都内の端。山が近く、畑に囲まれた日本家屋。つい先月からシェアハウスとなった岩永邸だ。
そこに今日、三人目の入居者が訪れた。
「どうも。白水しらみずミ貴雄きおです」
低く、耳触りの言い声。
玄関に立っていたのは、細身で長髪で和服の男だった。儚げとも、凛としてるともとれる顔つきだ。 美形ゆえに、はっきりとした年齢は分からないが、ケン太とエン治よりひとまわりほど年上に見える。
僅かながらの期間の、先住民である青年二人は、彼を見て一瞬目を合わせた。その一瞬で、何らかのやり取りが完結される。
岩永はぼさぼさな髪や、毛玉だらけの部屋着のロングスカートに、羞恥心を抱くこともせず彼を見上げた。
「………どうも。オーナーの岩永です。この二人は入居者の人たちです」
「よろしくお願いします。大学3年の山上ケン太です。一階の『毬の間』に居ます。先月から入居してます」
「石湯エン治。フリーターだ。二階の『樫の間』に居る。三週間前に入居した」
ケン太は、時計を見て小さく「あ」と溢した。
「じゃ、じゃあ後はよろしく。すみません、僕は講義行ってきます。白水さん、夕食で改めてご挨拶しますね」
既に外出の準備が整っているケン太は、場所を開ける白水の横を、パタパタと駆けて行った。
「………講義?」と白水が不思議そうにつぶやく。
「あいつ、大学通ってるんだよ」
「そうですか。それは物好きな………」
「部屋、こっちです」
外出の住人に「行ってらっしゃい」の言葉もなく、岩永はさっさと歩き出す。
白水が希望した部屋は、不動産を通して岩永にも伝えられていた。入居する本人にも、間取りは渡っているため部屋の位置は分かるだろうが。一応オーナーとしての最低限の気づかいなのか、岩永は部屋まで案内をするつもりらしい。
白水は少ない荷物を持ち直し、先導する彼女の後を追った。
エン治は呆れたように頭を掻き、その二人の後に続く。
一階の12畳の和室。畳はまだ焼けておらず、青くきれいな柳色だ。庭に面した部屋で、L字型の外縁の縁側は、ケン太の部屋と繋がっていた。
庭には小さな池がある。白水はそれを見て小さく微笑んだ。
「とても、良い場所ですね」
「どうも」
テーブルの上に、このシェアハウスの説明や、近隣のスーパーや所要施設についての説明書が置かれていた。そのため、岩永は大した説明もせずに白水の元を去る。
「ったく。仕事が中途半端だなぁ」
エン治は、自室へと戻って行く少女の背を見て、呆れてまた頭を掻いた。
「オーナーは、学校に行く時間ではないんでしょうか?」
本人が去ってしまったので、白水は代わりにと、エン治に尋ねる。
「ないらしいぞ。平日ずっと家にいるし、中卒なんじゃないかって、ケン太………さっきの奴が言ってたな」
「そうですか」
白水は、岩永の事よりもさらに気になるのか、静かな視線をエン治に向ける。
「あの、あなた方について質問があるのですが………」
「あ、その話はあいつが帰ってからにしよう。どうせなら揃ってまとめての方が楽だろ? 夕食、いつもあいつが作ってくれるし。………白水だっけ。あんたも食うだろ?」
「そうですか。じゃあお食事は有難く。………ですが、話については、彼女がいるのでは?」
「大丈夫だよ。どうせケン太が呼びに行くまで、部屋から出てこねぇから」
「そうですか。ならそれで。………それまでは適当に、時間を潰してます」
「ああ。またな」
エン治は部屋を出て伸びをする。
(俺も、今日はバイト休みだし。散歩にでも行ってのんびりすっか)
***
「山上君! 今日、皆で飲みに行くんだけど、良かったらいかない?」
「根本。ごめん、今日家でみんなで食事するんだ。新しい人が来てさ」
「あー。この間シェアハウスに入ったって言ってたもんね。そうかぁ、残念。………あ、そうそう。今度皆で遊びに行っちゃだめかな? って、真里とか佳と話したんだけど」
(お客さんかぁ。岩永ちゃん、嫌がるかな。人と関わるいい機会になりそうではあるけど、無理強いは出来ないし)
「んー………。家の人たちに聞いてからでいいかな? あんま期待しないでもらえると良いんだけど」
「ホントに?! 分かった。じゃあダメもとで待ってるね。二人にはOKがもらえたら伝えるから」
彼女はご機嫌で手を振って去っていく。
(間に合ってよかった)
僕は講義室の適当な席に座った。
(相変わらず、前列は人気ないな。席探す必要なくて助かるけど)
この大学に通い始めて、早三年。気づけば大学三年生だった。月日が流れるのは早いものだ。
山上ケン太。
―――僕は、犬神だ。
犬神とは、狐憑きなどと同じようなもので、人を祟り、財を奪い、主を裕福にする妖だ。人の世では、犬神や狐憑きというのは「憑きもの筋すじ」と呼ばれる、呪術を使った民間信仰の一つと言われているそうだ。
確かに過去、平安時代の辺り、何とかという貴族に使役されてた記憶はあるが。僕自身、いつ、どのように自分が生まれたのかは覚えていない。
気づいた時にはこの世に居て、崇められたり、恐れられたりしていた。
なぜ僕が今、こうして人として生活しているのかというと、ただシンプルに人が好きだからだ。
長い時間、僕は彼らを見てきた。人というのは儚い。短い寿命の中、彼らは懸命に生き、苦悩し、時に笑い、助け合える。他の生物たちに感情移入しては、時には身勝手に救おうとしたり、優しく見届けたり。そんな彼らを、つい愛おしく思ってしまう。
そして、人の世は楽しい。新しい技術、新しい娯楽、新しい価値観。
僕は、人の全てが大好きなのだ。
ただ一つ文句があるとすれば、野良犬が減った事くらいか。ここ最近は人に飼われた犬にしか会う事が出来ず、ちょっとした話し相手が欲しくとも、偶然出会った狸辺りが良い所だ。
あのシェアハウスを見つけるまでは、僕は、大学の寮で友人たちと暮らしていた。
更に遡ると、大学に入る少し前はサラリーマンを数年していたこともある。
どれも理由は、「単に気が向いたから」。
時間なら有り余っている。
「次は大学にでも通ってみよう」と、気まぐれで入試を受けたら、運よく通り、とんとん拍子で入学できたので今に至る。
(大学生活を楽しんだら、そのうちまた、適当な山にでも籠って考えようとか思ってたけど………あんな居心地のいい場所があるなんて。大学卒業しても、しばらくあそこに居るのも良いかもなぁ)
***
「やっぱ近くに山があるっていいよなぁ」
俺は木から木へ飛び移り、ここらで一番高そうな杉を見つけ、それに飛び乗った。
「中々いい高さだな」
登れるとこまで昇り、町を見下ろす。風が気持ちよかった。
こんな姿、人に見られたら当然驚かれるだろう。人間離れした身体能力。強靭な体。木登りは生まれながらに大の得意だった。
石湯いしゆエン治。今現在はフリーター。何を隠そう―――
俺は、猿神だ。
太陽神の使者だの、偉い人が吉凶を示すために取った姿だの、はたまた害をなす妖怪だの。色々言われては来たが、全部ぎりぎり事実だ。人が崇めてくれた時期は、そりゃ俺も嬉しかったから、あいつらの喜ぶようなことをしてやった。
けど、勝手に怯えられたり、祓おうとされたり。そんなことがあれば、俺は倍にして奴らに嫌がらせをしてやった。
(猿神っつったって、俺一人じゃないしな。けど、最近他の猿神には全く会ってねぇんだよな。あいつらには合わないってのに………)
俺は、木の上から、今住む、居心地のいい我が家を見つける。
(………………珍しいこともあるもんだな。こうも立て続けに)
***
美味しそうな夕食が食卓に並ぶ。
大学から帰ってきた、山上君が一人で作ったものらしい。
正直、食べ物の味はあまり気にしないのだが、これは中々にそそられた。
今まで、人里離れた神社や寺、渓流近くの適当な空間などに暮らしていた私にとって、久々に人間じみた光景だった。
人里にはたまに降りてはいたが、こうして暫く民家で暮らそうと思ったのは、本当に久々だった。
白水しらみずミ貴雄きお。無職。たまにトレーダーで、たまに書道家で、たまに歌人。
実は私は―――
「蛇神です」