ハエトリクモ(Jumping spider)の冒険その1
アダムはその蜘蛛を見ながら、意識を伸ばして蜘蛛の魔素を探った。自分と魔素でつながるように魔素を流しながら、「蜘蛛の目」 ”Aranea oculo”と唱えた。
視界が展開して一気に360度近い視野になった。
国教神殿から戻ったアダムは、頭に浮かんだ神文を確かめたくて、騎士団の寮の周辺で蜘蛛を探した。グラウンドや厩の近くの藪や立ち木の枝の周りを探したが、いつもは何気なく見つかるものが、探そうとすると中々見つからない。
ところが、がっかりして部屋に戻って机に座ると、窓際の桟に小さな蜘蛛が止まっているのが見えた。良く家の中で見つかるハエトリクモという蜘蛛で、英名をJumping spiderと言う通り、ハエや小虫に飛び掛かって捕まえる蜘蛛の仲間だった。
考えてみると都合が良い。蜘蛛の巣を張って止まって餌を待つ蜘蛛では話にならない。この蜘蛛なら活動的で動き回るから、ちょうど良いとアダムは思った。
アダムはその蜘蛛を見ながら、意識を伸ばして蜘蛛の魔素を探った。自分と魔素でつながるように魔素を流しながら、「蜘蛛の目」 ”Aranea oculo”と唱えた。
視界が展開して一気に360度近い視野になった。しかし完全ではない。蜘蛛には8つの目が有って、頭の前後に4個づつ付いている感じだが、特に正面の中の2つが大きくて優秀で、その左右に付いている2つの小さな目と後ろ側の4つの目はすこしぼやけている。
つまり360度の視界にはなったが、正面の2つの大きな目がカバーしている視界はハッキリとしているが、外周部はぼやけている。だから明暗や動いている物は感じるが、はっきり見るためには、頭を動かして、正面の2つの目を向けて見直す感じになるのだ。
蜘蛛になって見たが、人間のような動作をするのが面白いとアダムは思った。
考えてみると蜘蛛は昆虫ではないので、複眼ではないのだ。アダムはてっきりトンボのように360度にくっきりした視界があると思ったが違っていた。
窓の桟から見ると、アダムは視界の中にいたが、360度の開かれた視界でみると、相対的に小さく見えて、普通に見えた。蜘蛛からすればもっと巨大な怪物の様に見えるのかと思ったが、意外に違和感なく感じられた。
それと、アダム自身がリンクするのに慣れて来ているのだ。初めて神の目とリンクした時は視界を共有しただけだったが、次第に自分の意向に沿って動いて貰えるようになった。ククロウでは視界だけでなく聴覚も共有出来た。しかしリンクする部分が増えると、逆にククロウの気分も強く伝わって来て、遮断できず困ったこともあった。
今回は共有するだけではなく、自在に動かせるようになった。自分がこうしたいと思ったことが、頭の中で翻訳されて、手足を動かして移動したり出来るようになったのだ。悪く言えばロボットのように自在に操縦できるようになったと言えるかも知れなかった。
アダムにはもう一つ試したいことがあった。それが出来れば活動範囲が広がると思ったからだ。アダムは、ククロウに意識を向け、「闇の目”tenebris oculi”」と唱えた。意識を振り向けるように切り替えてククロウとリンクすることが出来た。
ククロウはガストリュー子爵家の窓の外から、アンがソフィーから楽器を習っているのを聞いていた。アンは国教神殿から戻って来て、音楽の個人授業を受けていたらしい。アダムは授業の復習をするからと、適当な理由を言って先に帰ったので、ドムトルはビクトールの部屋で一緒に遊んでいる事だろう。
ククロウは少し嫌がったが、アンのためだと言いくるめて、独身寮に飛んで来させることが出来た。やはり知能の差があると自我を主張するのかも知れなかった。
ククロウは雑食なので、蜘蛛を見て食べようとすると困ると思ったが、小さすぎて餌にもならないのだろう。1羽と1匹と1人でお互いを眺めると不思議な感じがした。蜘蛛の視線では相当近づかないと大きく見えないが、ククロウの足に捕まった時は、さすがに巨大な怪鳥の足に見えて迫力があった。
王城によってプレゼ皇女に挨拶するかとも考えたが、声の掛けようがないのが分かっているので、ククロウには真直ぐエンドラシル帝国大使館に向かわせた。ククロウと違って、蜘蛛は夜行性ではないので、暗くなる前に入りたかったのだ。
実は、リンは何日に1回はアンの様子を確認するためにガストリュー子爵の館に来ていたが、アダムはあの日以降はククロウに気が付かれないように、後をつける事はしていなかった。あのピエロと司祭に見上げられた時のことが忘れられず、ククロウでは気が付かれる心配があった。でも、この蜘蛛なら大丈夫だと思ったのだ。
ククロウの足から、光真教の神殿の屋根に飛び降りた。ハエトリグモは人間と違って、体長の何倍もの距離から落ちても平気なのだ。尻から出した蜘蛛の糸で風を受けて空を飛ぶこともあるのだ。
今日は慎重を期して、この段階でククロウとのリンクは切った。あの司祭は油断がならない。目は見えなくても、自然と周りの魔素を探って、かつての剣聖オーディンがそうであったように、周りの状況が分かるようなのだ。さすがにこんな小さな蜘蛛を識別できるとは思わなかった。
前回ククロウが入ったドーム屋根の格子窓の隙間から、今回も入った。蜘蛛は垂直な壁や、すべすべしたガラスの上でも歩くことができる。足の2つの爪の間に粘着性の毛束があり、それで落ちること無く歩くことが出来た。しかも、絶えずお尻からは糸も出しているので、それが命綱になって落ちる不安もない。偵察するには最適の動物だった。
ここでアダムは呼びやすいように蜘蛛に名前を付けることにした。蜘蛛の寿命は1年から3年程度なので、付き合う蜘蛛が1生の内に1号から何号になるか分からないが、呼びかけるにしても「ククロウ」や「神の目」と言った名前が有った方が良い。
「クロウ」にしようとアダムは思った。音の連想で出て来ただけだが、1字違いで、ククロウとクロウで呼び間違いもしない。今は丁度いいようにアダムは感じた。後でドムトルやビクトールからけなされるかもだが、良しとしよう。
アダムはクロウの意識を下に向けて、慎重に天井から壁へと移り、更に下へ下へと降りて行った。下では丁度、司祭が信者に説教をしていた。
「この世界の始まりは、混沌の母(母胎)から創造の神である光明の父が創られました。しかし何でもそうですが、初めから完全な物が作られる訳がありません。そうであれば地上は同じ顔の人間で溢れかえっていたでしょう。しかし何にでも個性があるように違う美点があって素晴らしいのです。そのためには、作っては壊すことが必要なのです。光明の父はそのために闇の御子をお創りになったのです。この世界に不滅のものはありません。光明の父は生きる意志であり、産み続けるイデアですが、絶えず色々な概念を取り込み変化し続けているのです。それが創造の偉大さです。ですが、そこに闇の御子が破壊神たるいわれがあるのです。闇の御子が創造的な破壊を担保することで、この世界は多様性を許され、色々な者が存在し続けることが許されているのです。人は罪を成しますが、それでも全ての人は神の前に許されているのです。
さあ、皆さんで唱和しましょう。
そうです、”闇の御子はいずこにおわしても見ておられる” 、と」
「闇の御子はいずこにおわしても見ておられる」
神殿にいる信者の唱和する大きな声がドームに響き渡った。
礼拝を終えて信者たちが帰って行く。闇の司祭は信者の居なくなったドームから控室に帰った。
アダムはクロウにその後を追わせた。1cmも無いクロウは扉の下の隙間から部屋の中に入った。
部屋の中には頭巾を被った獣人がテーブルに座って待っていた。闇の司祭がその前に座る。潰された眼に嵌っている黒いガラスの目が獣人に向けられた。その容貌を見た獣人がぶるっと身を震わせた。
「何かい見ても、その目は嫌だな。ちょっとずらしてくれよ、気味が悪い」
「はは、殺し屋が何を言う。盲のわしこそ怖いわ」
闇の司祭がクシャっと笑うと、目が皺の内に消えて、好々爺とした笑い顔になる。この司祭の怖さがアダムにはそれだけで伝わって来る気がした。善意と悪意が一緒にいて混じりあっている。光真教の教義そのものを体現している姿だと思う。
クロウを壁にはわせて獣人の顔を見える位置に移動する。
「言われた通りにしたぞ」
司祭を見た獣人の顔に見覚えがあった。ガイの鋭い眼光が闇の司祭の笑顔を睨みつけていたのだった。
次は、「 ハエトリクモ(Jumping spider)の冒険その2」です。
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