剣聖オーディン 竜殺しの伝承
「いえ、ちょっと気になったのですが、違ったようです」
アダムは口ではそう言いながらも、その包みの魔素を探っていた。そろそろと自分の魔素を流し込んでみる。突然、頭の中に『蜘蛛の目』 ”Aranea oculo” という神文が浮かんだ。
巫女長が剣聖オーディンの竜殺しの伝承を話てくれた。
「剣聖オーディンは我がオーロレアン王国の起源となった古王国を興こしたと言われていますが、若い頃は不遇の内にすごしました。
彼は神の眷族と人間が共生していた時代に、神の眷族が建国した古王国の王弟の次男でした。
ところが長兄が戦死したことから悲劇が始まります。彼には他に妾腹の兄がいましたが、その兄は相続権を持っていませんでした。長男の戦死で悲嘆に暮れた正室が病死して、妾が正室になった後、継母に嫌われて苦難の生活が始まります。この話は彼が継母に苛め抜かれ、将来の希望を無くして、心を闇に閉ざしていた時代のお話です。
彼はこの竜殺しのお陰で勇名を馳せますが、返って継母の妬みを生み、後に毒を盛られることになります。彼は従者の機転で川に流されて一命をとりとめ、その後の新たな伝説を生むのですが、それはまた後の話なので、今は話を竜殺しの話に戻しましょう。
その時代の若い頃のオーディンは、心が荒んで生活も荒れたものになりました。この時代はまだ混沌とした創成期の時代で、神の眷族だけではなく、魔人も存在したのです。家を飛び出したオーディンは酒場で暴れる厄介者になり、悪党の恵みを受けて生活するところまで落ちていたのでした。
彼は元々現在のオーロレアン王国で言えば南西部に生活していましたので、現在のヒスパニアム王国との境に近い悪所に飼われていました。彼は職を無くして、ついには魔人の手下の世話をする仕事に雇われていました。その手下は人間と獣の合いの子である、獣人と言っても化け物に近い者たちでした。
彼は心を閉ざして、素性も偽って生活していましたが、生来の慈愛の精神を失ってはいませんでした。そのため、獣人に分け隔てなく食事を与えていたので、頭である魔人の横暴に反感を抱く者たちが、彼を仲間と認めて心を開いて行ったのです。彼はその獣人たちから色々な事を教わったと言われています。
特に、その化け物のような獣人の中に、魔人が面白がって蜘蛛と人間を掛け合わせた獣人がいました。その獣人は魔人から蔑まれるためだけに産まされたのでした。その蜘蛛人が彼に不思議な魔法を教えました。蜘蛛と心を通わす魔法です。
彼はその魔法によって、魔人の秘密を盗み見ることができました。彼は小さな蜘蛛を魔人の元に忍ばせて、魔人の秘密を探らせたのです。その時魔人は美しい姫を捕らえて慰み者にしようとしていました。姫は洞窟の奥に閉じ込められて、地竜によって守られていたのです。
オーディンはその姫に一目ぼれします。何とか魔人から助けようと考えた彼は、根気よく蜘蛛を使って魔人の情報を集めました。ある時魔人が遊びに来た魔女と酒を交わしながら自分が何故不死身なのかを自慢しました。
俺を殺すためには、年を経た地竜が時間をかけて生命を吹き込んだ硬い卵でしか殺せない。しかもその卵には神の力である光の力を込めなければ武器にならない。誰がそのために神や神の眷族を呼んでこようか。
しかも竜の腹から卵を取り出すためには、竜の腹から出て来た羊を殺すには狼で、羊の腹から出て来た兎を殺すには狐で、狐の腹から出て来た鳩を殺すには鷹を使って殺して、初めて鳩の腹から竜のたまごを取り出すことが出来る。誰がこんな手間なことが出来るだろうか。しかも繰り返すが、出て来た卵には神の力を込めなければならないのだ。とてもわしを殺すことは出来んさと言って、高笑いをしたのでした。
それを小さな蜘蛛を使って聞き出したオーディンは、魔人を憎む獣人たちに相談したのです。魔人の手下どもは、横暴な魔人に復習できると大喜びをして、魔人の宝物庫から変身の指輪を盗み出してオーディンに渡しました。
オーディンはその指輪を使って、魔人に化けると洞窟の奥に行って、地竜に餌の肉まんじゅうを食わせました。その中には火で赤く熱した石炭を入れておいたので、さすがの地竜も弱ってしまって殺すことが出来たのです。
殺した地竜の腹を裂くとそこから羊が出て来て、硬い蹄で蹴ろうとしました。オーディンは素早く狼に変身すると羊の喉笛をかみ切って殺しました。羊の腹を裂くと、今度は羊の腹から兎が飛び出して逃げようとしました。オーディンはすかさず狐に変身して兎を噛み殺しました。そして兎の腹を裂くと、今度は鳩が飛び出しました。飛んで逃げようとする鳩を、今度は鷹に化けて追いかけて殺したのです。最後に鳩の腹を裂くと、魔人の言った通り小さな硬い竜のたまごが出て来たのでした。
オーディンは神の眷族でしたから、その竜のたまごに神の力である光の魔力を込めて武器としたのです。魔人の前に出ると、魔人は力の源でもあった地竜が死んだことで、自分の力が損なわれていることを自覚していました。オーディンは力なく抵抗できない魔人の額にその硬いたまごを打ち付けて魔人を殺しました。そして助けた姫と一時の安息を得たのです。
しかし、竜殺しの名声を妬んだ継母によって毒を盛られて幸せな生活は終了するのでした」
巫女長の話が終わっても誰も話し出すものはいなかった。
本当に有った話かどうかは分からないが、何かの寓意や意味があるのかも知れないとアダムは考えていた。確かに神はいて、転生者のアダムはその神と話を交わしたのだから。
「どう繋がるか分からないが、変身の指輪と言うのは気になるね」
ペリー・ヒュウはこの話の始まりとなった変身する怪盗の話から意見を述べた。
「うむ、剣聖オーディンが獣人から蜘蛛というか、獣と心を通じさせる魔法を習ったというのは興味深いな」
プレゼ皇女がアダムを見ながら言った。貴族組はアダムの神の目やククロウの魔法を知らないので一般的な話として聞いただろうが、アダムやアン達はプレゼ皇女の意味深な言い方に苦笑いをした。
「何か参考になりましたか。そうであれば良いのですが」
神官長が他に何かありますかと言った。
「巫女長、竜のたまごは魔人を倒す武器以外に何か使えるというような話はあるのか」
「いいえ、プレゼ皇女。オーディンの伝説は他にも色々ありますが、竜のたまごに関する話はこれだけです。学者の話ではこの話に出て来る魔人とは、広く悪人を言う寓意なのか、本当に魔人のことなのか説が分かれています。これは魔神だという説もあるそうです」
「顔の無い神(名前の無い神)が冥府に侵攻して暗闇を創り、死んだ魂を堕落させ魔人を転生させるという説があるそうですが、この伝承の魔人と同じでしょうか」
アダムがユミルから聞いた異端神話との関係を聞くと、巫女長は神官長と顔を見合わせて口を噤んだ。そして改めて口を開いた。
「アダムはユミルからその名前を聞いたのですね。その学説は二元論的な宗教観を持った説なので、現状は認められていません。ですが、この伝承に出て来る魔人は神と神の眷族の敵として描かれているので、そのように読み取れるのだと思います。ですが、その通りかは分かりません。エンドラシル帝国の光真教で言う『闇の御子』のようだという学者もいます」
「闇の御子、、、、」
アダムは顔の無い神と闇の御子の共通点が気になった。地球の宗教でも共通の神を宗教によって別の呼び名で言う例があった。巫女長の話は非常に率直な回答だとアダムは思った。
巫女長は光魔法として神託を代々引き継いでいると聞いている。神託とはどのような形で受けるのかを聞きたいと考えているが、大勢の人間が聞いている今は止めた方が良いだろうとアダムは考えていた。
神託とは神の言葉として聞くのであれば、神と会話するのだろうし、神意としてイメージが湧くだけかも知れない。これは聞いてみたいことと従来から考えていた。
アダムはそんなことを考えながら、何気なく聖遺物を見ていたが、今目にしたものをまじまじと見直して、動悸が高鳴るのを感じた。
「神官長、その聖遺物を包んでいた錦織を見てよろしいですか。ちょっと触ってもいいですか」
「どうぞ、いいですよ」
神官長はむしろ、顔の無い神の話を中断した方が良いと考えたのか、直ぐに手に取ってアダムに渡してくれた。
アダムが気になったのは、その錦織の包みの刺繍だった。端の方に蜘蛛の巣の意匠を形どった刺繍が見えた気がしたのだ。だが渡された布を手に取って見ても、蜘蛛の巣の意匠は見当たらない。
「どうしたアダム、何かあるのか」
すかさずプレゼ皇女が聞いて来た。アダムが不自然に話を中断したように感じたのだろう。
「いえ、ちょっと気になったのですが、違ったようです」
アダムは口ではそう言いながらも、その包みの魔素を探っていた。そろそろと自分の魔素を流し込んでみる。突然、頭の中に『蜘蛛の目』 ”Aranea oculo” という神文が浮かんだ。もう疑いは無かった。聖遺物は本物では無かったかも知れないが、錦織の包みは本物か、本物を模した正しい刺繍がされていたのだ。一連の続きのような刺繍柄の中に、少し色の違う蜘蛛の巣の意匠の刺繍が混じっていたのだ。アダムの魔素に反応してそれが浮き上がって見えた。やはりさっき見えたような気がしたのは錯覚では無かったのだ。
「どれ、わしにも見せてみよ」
プレゼ皇女がアダムの手から錦織の布を取り上げて、子細に眺め出した。しかし、違いに気が付かないのだろう、直ぐにそれをテーブルに戻した。
アダムの魔法を全員に知らせる必要はない、今は黙っていて、後からプレゼ皇女やアンに報告することにして、アダムは何事もなかったかのように黙った。早く寮に戻って蜘蛛を探さなければならない。
「これ以上はここでは分からぬな。みんな戻ろうかの」
プレゼ皇女の話で、改めて神官長が聖遺物を包み直して桐箱に仕舞った。それを巫女長がやはり前にあった部屋に戻しに行った。巫女長が戻って来るのに合わせて、みんなが立ち上がった。後は逆戻りに外の通路に出た。心地よい春の日差しがそこにあった。爽やかな青空に緑の風が吹いていた。
アダムの言った通り、下に降りる時に、全員がふわっと身体が浮くような浮遊感を感じた。
「面白い、不思議な感覚だ」
ドムトルだけが面白がって声に出したが、貴族組は慣れない感覚に不安が先立つようだった。
「また皆さんいらっしゃってください。今度は是非、地下の霊廟をご案内しましょう」
最後に神官長がみんなに声を掛けた。
「アン、月巫女様から渡すように言われている物があります。また一人で遊びに来てください」
巫女長がアンの傍らに来て小さな声で言った。
「わかりました。また参ります」
アンも小さな声で返したのだった。
次は、「 ハエトリクモ(Jumping spider)の冒険その1」です。
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