高子の『出来心』 其の2
「頭ではわかっていても、つい手が出てしまった。なんて言い方がありますが、これじゃあ、やった方はともかく、やられた方はたまったものじゃありませんなあ」
「よう、どうだい。おまえ、最近色事の方はお盛んかい? 落語家たるもの、真面目一本やりじゃあだめだよ。ちゃんと、芸の肥やしの方もやっとかないとね」
「ああ、兄さん。まあ、ぼちぼちと。女遊びも芸の肥やしって、昔っから言いますからね」
「おや、こいつ。とぼけちゃって。色事が女遊びに限るなんて、そんな野暮なこと、今時、風流を解さない田舎侍だって言いやしないよ」
「えっ、どういうことですかい、兄さん。“色”と言ったら、女人の色のことじゃあないんですかい
「またまたあ、仮にも落語家たるおまえが、そんな無粋言うなんて、おまえも、なかなか面白いことが言えるようになってきたあじゃないか」
「いや、真面目な話ですよ、兄さん。女以外の“色”って、どういうことですか」
「おんやあ、どうやら本気で言っているみたいだねえ。しっかし、まさか、そんなことがねえ」
「だから、早く教えてくださいってば、兄さん」
「急かすなって、色遊びと言ったら、女に限らず、男とも、色欲にふけんなきゃあいけないってことさ」
「えっ、男同士でですかい、兄さん。いくらなんでもそれは……」
「何を言ってんだい。今時、男の色も知らないで、落語家を名乗っていられるかっての。おまえ、ちょっとそのへんで、適当な男、無理やり押し倒してこいよ」
「そんな、兄さん。無理やりだなんて、そんなの警察沙汰じゃあないですか」
「大丈夫、大丈夫だって。出来心で、ついムラムラっときて、やっちゃいました。とでも言っとけば問題ねえよ。男同士ならたいしたことにならないからな。せいぜい、強制わいせつ、あるいは傷害がいいとこだ。初犯、計画性なし、重々反省しているとなれば、まず実刑なんてつかねえよ。最悪執行猶予だな。そもそも、やられた男だって、男にやられたなんて、恥ずかしくて言い出せねえよ。被害者が被害届出さなければ、犯罪にすらならないさ」
「でも、兄さん……」
「なにがでもだい。おまえはそんなんだからだめなんだ。さっさと一発やって、度胸つけてこい」
「わ、わかりました、兄さん」
「とは言ったものの、俺、無理やりってのは、性に合わねえなあ。おや、あんな所のベンチに、都合よく男が眠りこけている。丁度いいや。こっそりあの男とやっちゃうとしよう。抜き足差し足で忍び寄ってと、すいませーん、お兄さーん、起きていますかー、寝ちゃっていますかー。起きていたら、返事してくださーい。うん、ぐっすり眠ってる。実にいい。しかし、このお兄さん、よく見ると、結構しゅっとした顔立ちしているなあ。目なんか切れ長で、鼻筋も通ってて、唇なんか紅を指してるみたいだ。背格好も、僕好みにすらっとしていて、なんか、いいなあ。兄さんのいう通り、こんなお兄さんと、いたしちゃったら、そりゃあ芸の道も深まるよなあ。まずは、手なんか握っちゃおうかな。へへっ、失礼しますよ。なんだかどきどきしてきやがった。ううん、悪くない。よしっ、お次は、口づけをしちゃおう。く、口づけをするんだぞ。俺はできる男だ。よしやるぞ、さあやるぞ、それっ」
ぶちゅう
「きょ、今日はこのくらいにしておこうかな。なんてったって、初めての体験だし、こんなものだよな。それにしても、兄さんのいう通りだなあ。男を知らなかった今の今まで、落語家でございなんて言っていたことが、今更ながら恥ずかしくなってきたよ。さっきまでの俺は、未熟者もいい所だった。これで、俺も落語家として、一皮も二皮もむけちゃったぞ。なんて晴れやかな気分だ。心に一点の曇りもないよ。ちっともやましいことなんてない気分だ。とてもこそこそなんかしていられない。潔ぎよく、警察に、自首するとしよう。携帯電話で百十番っと」
「はい、こちら警察です」
「ああ、警察ですか。俺、男と無理やりしちゃいました。強制わいせつです。傷害です。自首します。今すぐ来てください。場所はどこそこです」
ちりんちりん
「おや、自転車のベルの音だ。やあ、お巡りさんだ。もう来たよ、日本の警察は優秀だなあ」
「いま、通報を受けたのですが、こちらで、傷害か何かがあったそうで」
「はい、ありました。犯人は俺です」
「へえ、あんたが犯人ねえ。それで、被害者の方は」
「ええ、被害者の方は……あれ、いない。さっきまで、このベンチで確かに寝ていたのに」
「ベンチには、誰にもいないようですねえ。とりあえず、お話聞かせてもらってもいいですか」
「いいです、いいですとも、聞かせましょうとも。俺、さっき、このベンチで寝ている男にこっそり、いや、寝ているところをこっそりというのは、男らしくないな。俺はこっそりだなんて、そんな卑怯な真似はしない男だ。正々堂々、いやがって抵抗する男を、無理やり手篭めにしました」
「何を言っているか、よくわかりませんけど、とにかく、男に無理やりしたんですね」
「そう、無理やりしたの」




