高子と和枝、部室にて 其の1
屋上で、遊へ英子について、朗々と歌いあげた高子ですが、一仕事終えて、屋上を出て行く際にふと考え込むのでした。
「そういえば、和枝君も、米村君を教室から連れ出していたな。和枝君の行く先といえば、部室くらいしかないだろうな。ちょっと、行ってみるか」
そう考えて、部室に向かう高子の耳に、どこか聞き覚えのある落語が聞こえて来ました。思い当たる節があり、部室のドアの前で、こっそり聞き耳をたてる高子です。
「これは、米村君の『権助提灯』じゃあないか。誰かに聞かせているのか? だとしたら、相手は和枝君くらいだが」
高子がそうしていると、英子の『権助提灯』が終わり、和枝と英子の会話が聞こえて来ます。
「ありがとう、英子君。実に素晴らしい古典落語だった。それは素敵なひとときを過ごさせてもらったよ」
「そうかい、和枝さん。こんなもので良かったら、いつでも聞かせるとするよ。だけど、ひょっとしたら、和枝さんの知らない古典落語をしちゃうかもね」
「あんまり、いじめないでくれ、英子君」
「それじゃあ、私は教室に戻るとするよ。和枝さんはどうする?」
「僕は……おおそうだ、ちょいと、パソコンでやりたいことができたからね、しばらくこの部室にいるよ」
和枝は、何かに感づいたようですが、英子は、その何かにも、和枝が何かに感づいたことにも、気づいてはいないようです。
「そうかい、じゃあ、私はこれで失礼させてもらうよ、和枝さん」
「ああ。それじゃあ」
それを、部室の外で聞いていた高子は、慌てて隠れようとしますが、身を潜めることができるような場所はありません。幸い、部室の扉は、片開きの外開きで、開けた方向に階段があるので、英子はそちらに戻って行くはずです。つまり、蝶番のある、部室から出て行く英子に対して、ドアの影になる場所に隠れていれば、高子は英子に気づかれることがないというわけです。すると、英子が部室から出てきました。幸い、英子が高子に気づくことはありませんでしたが、英子が去っていったのを見計らって、部室から、和枝の声が聞こえてきます。
「そんな所にいつまでもいないで、部室に入ってきなよ、高子君」
「なんだ、気づいていたのかい和枝君。人が悪いなあ、まあ、米村君に内緒にしてくれたのは感謝しよう」
「高子君は、背が高いからね、そんな目立つ図体をしているんだから、こそこそ隠れるなんて、どだい無理な話だよ」
「そうか、それで、和枝君。米村君に、『権助提灯』を、聞かせてもらっていたみたいじゃあないか。それも、昨日とは、ずいぶん違う雰囲気だ。和枝君は、率直に米村君の落語を褒めているみたいだったし、米村君は、和枝君と妙に打ち解けているみたいだったよ」
「まあ、いろいろあったのさ。そして、英子君は、これからも僕に落語を聞かせてくれる、程度には、僕に好意を抱いてくれたみたいだよ。ところで、高子君。僕が英子君を引っ張っていった時に、君も遊君を連れていったみたいだったけど、どうしたんだい」
「こっちはこっちで、いろいろあってね。この高子さんも、昨日の米村君のことで、思うところがあってね。でも、米村君と和枝君の二人が、和気あいあいとしているのに、外野であるこのわたくしが、ああだこうだ言うのも、なんだか馬鹿らしいし、もう、そのことはどうだっていいや。それにしても、米村君の古典落語は、実にたいしたものだ。憎らしいくらいだよ」
「ああ、英子君の落語は、本当にいい。それにひきかえ」
そして、高子と和枝の二人の声が、揃って発せられるのです。
「この高子さんの話が一番だめだったな」
「僕の落語が、一番だめだったよ」
高子と和枝の二人は、思わず顔を見合わせます。
「何を言うんだい、和枝君。君は、曲がりなりにも、古典落語の『権助提灯』をやったじゃあないか。対して、この高子さんがやったのは、古典でもなんでもない、ただ話の設定を借用しただけの、二次創作じゃあないか。和枝君の『権助提灯』が落語としては上さ」
「いくら、ここが落語研究会だからって、冗談はほどほどにしてくれ、高子君。僕の落語なんて、つっかえるわ、しどろもどろになるわで、とても人に聞かせられるようなものじゃあないよ。だけど、高子君は、きっちり、人前でやるにふさわしいお話をしたじゃないか。高子君の話の方が、いいものだったよ」
「それはどうかな、和枝君。この高子さんのお話が、人前に出せるものだったとして、ただ好き勝手に喋ってるだけでは、それは落語とは言えないよ。少なくとも古典落語とはね。昔から伝わっている、古典落語の話の筋をまるでなぞっていないんだからね」
「それの何がいけないんだ、高子君。芸というのは、それを鑑賞する人間あってのものだろう。だったら、落語は、何よりもまずそれを聞く人がどう思うかだ。僕の落語は、古典ではあっても、ただ聞く人間を退屈にさせるものでしかない。高子君、君は観客を十分に満足させられるんだよ。」
「観客だって、和枝君。昨日のあれは、仲間内のものだったじゃあないか。そもそも、ここは落語研究会だよ。なら、落語であるかどうか、それが全てだ。和枝君、君の落語は確かに拙かったかもしれない。でも、一生懸命練習したものだということは、存分に伝わったよ。和枝君は、古典落語を練習して、古典落語をやった。この高子さんのやったことといえば、その場で思いついたことを、適当に吹聴しただけさ」
「いくら、事前に練習したかなんて、関係ないよ、高子君。お客さんの前でどれだけのことをしたか、それだけだ」
「とにかく、和枝君の落語の方が、この高子さんのお話より、出来がいい」
「いいや、高子君の芸の方が、僕がやるやつより、断然良いものだ」
「なんだって!」
「なにを!」
今にも、取っ組み合いを始めそうな高子と和枝の二人を、間に入って取りなす人物が現れました。怜先生です。
「はい、二人とも、その位にしておきなさい」




