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オロチ綺譚

滞在綺譚

作者: かなこ

シリーズ物です。上部「オロチ綺譚」より1作目「巡礼綺譚」からお読み戴けるとよりわかりやすいかと思います。

 エンテン星大統領サオトメ・エンテンに「オロチの修理には約一ヶ月かかるわ」とあっけらかんと言われ、船長の南は地上での商売を余儀なくされた。

 すぐにUNIONに連絡をとって預けているスイリスタルの荷物を届けてくれるよう頼もうとしたが、現在エンテン星は電磁波ベルトど真ん中のせいでそもそも通信が不可能であり、南は頭を抱えた。少なくとも通信が可能になるまではまともな商売ができない。

 仕方がないので南はクルーを連れてエンテン星の下町へ足を運んだ。

 今もまだイザヨイ星を守り続けているフェイクフィルタの設計者が住む、スラム街へ。



 生まれて初めてスラム街に足を踏み入れた宵待は、緊張のあまり喉仏を上下させた。

 殺伐とした町並みはまるで瓦礫の山ようであり、荒んだ匂いを漂わせている。だがそんな枯れた風景とは対照的に、そこで生きる人々の目はぎらついていた。どんな好機も見逃すまいとしているかのように、殺気にも似た生気を目に宿らせている。

 オボロヅキ星の廃墟に似ていると宵待は思った。もっともそこには自分と海賊以外の気配はなかったが。

 こんな危険な場所に宵待を連れて来るのを菊池は反対したが、宵待自身がどうしても行きたいと南に懇願した。もっと世界を見たい、知りたいという欲求が最近はいっそう強くなっている。電子画面だけでは世界を知る事はできない。知識だけでは経験には遠く及ばない。

 そう強く主張する宵待に南が折れ、武器を携帯する事を条件に連れて来た。

「大丈夫だ」

 不安げな宵待を見かねたのか、南は肩越しに振り向いて笑って見せた。

「この辺はまだそれほど危険じゃない。いきなり襲いかかっては来ないさ」

 ここより危険なところがあるのかと宵待は逆に驚いた。ここだって充分身の危険を感じる。オボロヅキ星が1番危険な場所だと思っていた宵待は認識を改めた。世の中にはもっと危険な場所があったのだ。きっと他にもたくさんこんな場所があるのだろう。

「それに俺達はUNION正規トレイダーの証を身に付けていないからな。金もチャンスも持ってないし、奪えるものは命以外に何にもない事は連中もわかっている」

 明るく笑う南に宵待は半笑いを返した。それって笑って言う事なのだろうか。シャレにならないのではと宵待は思った。

「大丈夫だって。俺がついてんだから」

「あんたがいるから不安なんでしょ」

 宵待の背後で火花を散らす柊と北斗に、宵待はまた半笑いを浮かべた。北斗は元軍人だし柊もUNIONの訓練は受けていると聞いているが、実際に肉弾戦をしているところは見た事がない。

 宵待は左右に首を振った。2人とも船に乗っていてもあれだけの度胸の持ち主だ。肉弾戦だって相当強いに違いない。敵を蹴散らす様を容易に想像できる。

 思考を巡らせていた宵待は南が急に足を止めたので思わずその背中に顔から突っ込みそうになった。

「着いたぞ。ここだ」

 宵待が見上げると、そこには怪しげで小さな看板が掲げられたあばらやがこじんまりと構えていた。

「ええと……何屋?」

「ジャンク屋だ」

 そう言うと南は気軽に今にも崩れ落ちそうなドアを押した。しゃらりと金属が鳴る音がして、薄暗い店内がぼんやりと見えて来る。

「邪魔するぞ」

 南が足を踏み入れたので、宵待も恐る恐るその後に続いた。

 まるでガラクタのようなものが所狭しと並べられ、宵待にはそれがいったい何なのか見当もつかない。雑多な店内は北斗の部屋以上に散らかっているように見えた。

 こんな店を構えている人間など胡散臭い正体不明の人間に違いない。宵待が再び緊張を募らせて店の奥を伺っていると、やがて人影が現れた。

「あら! ゆうなぎさんやないの!」

 宵待は思わず上半身をのけぞらせた挙げ句に一歩後退した。

 出て来たのは筋骨隆々にメガネ、その上野太い声を無理やり高くしてオネェ言葉を駆使する若い男だった。

「久しぶりだな、カイコ」

「んもう、ゆうなぎさんったら最近全然ご無沙汰やないの。寂しかったわ」

「誰やカイコ!」

 奥から更にもう1人出て来た。こっちはまともであって欲しいと願った宵待だったが、 その顔に照明が当たって更にのけぞった。髪を赤黄青の3色に染めただけに飽き足らず金色のスーツに真っ赤な長靴を履いた派手極まりない男だった。

 これがエンテン星人なのか。いや国府ではそんな人間は1人も見なかった。というか目が痛い。視覚の暴力だ。宵待は少し混乱した。

「カジカ、久しぶりだな」

「ん? ああ、何や、南やないか。生きてたんか」

 カジカと呼ばれた派手男は途端に気さくな表情を浮かべた。

「生きてたんか、じゃあらへんわよ、カジちゃん。ゆうなぎさんはローレライを救った英雄よぉ」

 カイコは妙にくねくねしながらカジカに説明をした。どう見ても立派な男にしか見えないカイコがそういう仕草をすると強烈な破壊力がある。

「ああ、もしかしてコールドホールを凌いだミサイル持って来た船いうんはオロチやったんか?」

「一応な」

 南が照れくさそうに笑うと、カジカはそうかそうかと笑って宵待達クルーを薄暗い店内へ招き入れた。

「ローレライの救世主をそないなところに立たせたままにしとれへんわ。中へ入り、茶でも用意したる……ん?」

 カジカは宵待に目を留めた。

「……菊池、ちょっと見ぃへんうちにえらい大人びよったな」

「カジちゃんったら、そんな訳ないでしょ!」

 バシンと凄まじい音がしてカジカにカイコのツッコミが入った。まともに肩を殴られたというのにカジカはビクともせず、そのスーツはレアメタルでできているのではと宵待は疑った。

「新しいメンバー? んもう、ゆうなぎさんったらホンマに顔でクルーを選ぶんやからっ」

「わからへんで。菊池やないなら笹鳴の変装かもしれへん」

「だから違うでしょっ」

 再びバシンとカイコのツッコミが入った。見ているだけで体が四散しそうなほどいい音だ。自分がされたら即死すると宵待は思った。

「そういえば、朱己ちゃんと笹鳴先生はどうしたの? 姿が見えへんようやけど」

「ああ」

 南は小さくため息を吐いた。

「エンテン星着陸時に菊池が相当ダメージを受けてな。とても動かせそうにないので笹鳴共々置いて来た」

 2人は驚いて瞠目した。

「あらまぁ……それは心配ね。そうやのうても朱己ちゃんは小さくて細いんやもの。アタシだって4つにたためそうやわ」

「俺かて8つにたたんでアイロンかけられるで」

 菊池をハンカチか何かと勘違いしている。宵待は口を開く気力を集められず、挨拶ができなかった。

「うん、まぁそんな訳で2人は今いない。だがこれは持って来た」

 南は小さなメモリを取り出した。

「例のフェイクフィルタのデータだ」

「あらン、ありがとうゆうなぎさん」

 カイコは大きな手で大事そうにそのメモリを受け取った。

「これでまた素敵なモノが作れるわ」

「せやかてそろそろ耐久的に限界やろ。新しいの造ったろか? 南」

 南は小さく首を振った。

「いや。悪いがもう別口に依頼してある」

 カイコのメガネがきらりと光った。

「あら。アタシ達より上のものをこのエンテンで造るのは無理よ。って事は、その依頼先はスイリスタルね?」

 鋭い。宵待はそう思った。このカイコという男、アホみたいなキャラクターな割に頭は切れる。

「じゃあこれが最後のデータになるわけね。でもでも、またいつでも遊びに来て頂戴」

 しなを作るカイコに更にのけぞりそうになりながら、宵待は隣にいた柊にそっと耳打ちした。

「柊、この2人の技術って、そんなにすごいのか?」

 柊が答える前に、それを聞きとがめたカジカがふふんと笑った。

「こないなところに店構えてんけどな、こう見えても俺達の腕はエンテンイチやで?」

「そうよぉ。気に入らへん奴からの依頼は受けへん事にしとるから、あんまりお金は儲からへんけどね」

 あんた達と同じよ、と笑うカイコに南は乾いた笑みを浮かべた。確かに自分達はこの2人と立場が似ている。

「宵待、この2人の言う通り、彼らの腕はおそらくエンテン星イチだ。政府お抱えの技術屋なんぞじゃ太刀打ちできないだろう」

 おそらくって何よ、としかめっ面を作るカイコに思い切り引きながら、北斗も宵待を見上げた。

「そのくせ政府には従事しない変人だけどね」

「UNIONに属してへん自分らに言われたないわ」

 カジカに返す刀で切られ、北斗も不機嫌そうな表情を作った。

「政府なんかに登録したら、造りたないものを造らされるんやで。絶対ごめんやわ。アタシは自分の好きな物を造りたいの」

「じゃあ今は何を造ってんスか?」

 柊の何気ない質問にカイコは待ってましたとばかりに両手を腰に当てた。どうでもいいがこの2人はいちいちリアクションが大きいな、と宵待は本当にどうでもいい事を思った。

「よく訊いてくれたわね。いま造っているのは超小型転送機。ちょうど人1人を運べるくらいのものよ」

「え? それならもう設置している船があるじゃないっスか。宇宙船が降りられないような地表の惑星では、人だけを送り込めるようになってるってやつ」

「いやね、柊君。あない大げさでダサイ防護服を身に着けなあかん野暮なものと一緒にせんといて」

「せや。俺達は時空摩擦を相殺できるモンを造っとんねん」

 へぇ、と柊は目を丸くした。

 地表の隆起が激しい惑星や、着水できるような水質ではない場合、もしくは小型機での上陸が不可能な場合は、通常宇宙船は空中に待機して人だけを転送させる事がある。その際には必ず防護服を着用しなければ命にかかわるというのが現在の常識だった。着陸後の人体の保護もあるが、時空を移動する事によって生じる摩擦に生物の身体が耐えられないのだ。

「でも、そんなもん造ってどうすんの?」

「馬鹿ね、北斗君。夢があるじゃないの。ロマンよ!」

 そのロマンわかんないっス、という北斗の言葉はカイコに届く前にカジカに踏みつけられた。

「応用すれば緊急時における船からの脱出にも使えるさかい、特許取って大もうけや」

「……お金に興味なかったんじゃないの?」

「そんな事一言も言うてへん」

 カジカはしれっとしてそう言い切った後、「せやけど」と続けてため息をついた。

「システム自体はもうできたも同然なんやけど、設計上それに耐え得る材質がないんや」

「そうなのよねぇ。ウンカイ星のレアメタルくらいの強度と軽量化ができれば最高なんやけど」

「なんだ、どれだけあれば足りるんだ?」

 気軽な南の言葉にカイコとカジカは悄然とした視線を向けた。

「手に入れたいのは山々やけど、とっても手が出ないわ」

「せやな。ここの機材全部売ったかて自分らに買うて来てもらうだけの量は頼めへん」

 肩を落とす2人に南は柔らかい苦笑を見せた。

「今までフェイクフィルタをタダで貸してくれた礼だ。調達してやるよ」

「だからそのためのお金がないのよ」

「金はいい。今は持っていないが、UNIONに預けた荷の中にちょうどウンカイ星のレアメタルがある。少しなら分けてやれると思うぞ」

 カイコとカジカは目を合わせた後、何故か手を取り合って南をじっと見つめた。

「……本当なの? それ」

「騙されて紛いモン掴まされたわけやあらへんやろな」

 南は笑った。

「大丈夫だ。ウンカイ星政府の証明書があるから品質は保証する。ただ、高価なものなのでそんなに分けてはやれないんだが」

 カイコとカジカは両手を取り合ったまま2秒ほど見つめ合ったかと思うと、宵待には理解できないダンスを踊り始めた。

「ありがとうゆうなぎさん! 愛してるわ!」

「浮気か! カイコ!」

 宵待はドン引きしかけてかろうじて表情を取り繕ったが、北斗と柊は隠す事なくドン引きした。

「1キロもあれば大丈夫やと思うんやけど、何とかなりそう?」

 くるくると踊りながら尋ねて来るカイコに南は今にも後退しそうな足を何とか地面に縫いつけてうなずいたのを見て、平気なふりをしているけど船長も内心は必死だったんだな、と宵待は安堵した。この2人を相手に平然としていられない自分が間違っているのかと思い始めていたからだ。

「あ、ああ。1キロくらいならお易いご用だ」

「やったわ! カジちゃん!」

「やったな! カイコ!」

 意味不明な歌を口ずさみながら踊る2人に、宵待は世間の広さを身に染みて体感した。



「俺にかまわず船長達と一緒に行ってもよかったのに」

「アホ。そないな状態の朱己を置いて行けるかい」

 笹鳴は菊池の点滴を確認しながら苦笑した。

「高熱が1週間、肺に雑音も聞こえとる。食事の経口摂取も難しい自分をどないして置いて行けんねん」

「でも、もう熱はだいぶ下がったよ」

「平熱になるまではあかん」

 笹鳴にぴしゃりと言われて菊池は申し訳なさそうに眉をへたれた。それをクラゲが心配そうに見つめている。

「……自分にははよ元気になって欲しいねん。北斗を見てみぃ、朱己の作ったもんに口が慣れとるからエンテン星での食事がえらい偏ってきてんで。南かて何も言わへんけど朱己の作ったみそ汁が恋しゅうてかなわんて顔してはるやろ。柊かて宵待かて、かくいう俺もそうや」

 自分もだと言わんばかりに、クラゲもきゅうと鳴いた。

 笹鳴は笑って菊池のアイスピローの温度を確認し、少しぬるくなって来たので部屋に備え付けてあった冷凍庫から新しいものを取り出した。

「ごめんな、ドクター」

 心から謝罪する菊池の枕を取り替えて、笹鳴はその前髪をなでた。

「謝らなあかんのは俺達の方や。こんなに無理させてしもて、ホンマにすまんかったな」

 絶対零度と電磁波の嵐の中、オロチの周囲という近距離にバリアを張るだけでも菊池の能力的には限界だった。その上クラゲの力なしに宵待の低周波をオロチにしがみつく氷塊に叩きつけ、更に墜落時にはオロチを持ち上げようと試みた。菊池の能力を最大限に発揮する為には最低でも10キロの距離が必要だが、いくらオロチが大きな船と言っても全長10キロもある訳がない。菊池は相当無理をしていた。

 副作用のない薬がないように、物事というのも何の反動もなしという事はあり得ない。

 墜落時には意識を失うほど菊池の身体はダメージを受けていた。それからしばらく高熱が続き、先日やっと口が利けるまで回復した。

 笹鳴は思う。

 オロチはあのスイリスタルが金に糸目を付けずに造り上げた最新鋭機だ。速度、攻撃力、ワープ出力、その他どれを取っても軍艦に匹敵する。

 だが戦闘時に最終的にクルーが頼りにするのは、結局菊池や宵待の力だ。

 クラゲがかなり力になっているとはいえ、菊池や宵待の体力はオロチのように燃料を補給すれば大丈夫というものではない。能力以上の限界に気力で近づこうとしてしまう。

 今回はクラゲの力が最終的に宵待の能力を保護する形になったので、宵待は丸1日の昏倒ですぐに体力を回復させた。

 しかし菊池はもうすでに1週間は寝込んでいる。回復も遅い。

 これから先も菊池や宵待やクラゲには無理をさせてしまうだろう。その際に力になれるのは、医師である自分しかいないと笹鳴は思っている。

 本能で病を見分け、本能で薬を調合し、本能でオペをする事ができる、今は無き惑星ミヤコの生き残りの自分しかいないと。

「朱己は俺の言う事だけを聞いて大人しゅうしとったらええ。俺がなんぼでも治したるから」

「うん、ありがとう。ドクターがオロチのクルーで本当によかったよ」

 熱のある潤んだ瞳で見上げられ、笹鳴は笑い、そしてクラゲに手を伸ばした。

「クラゲも頑張るんやで。朱己がおらへんかったら、どこに叩き売られてたかわからへんのやからな」

「きゅう!」

 クラゲは鼻息も荒く笹鳴の手を握り返した。

「しかしクラゲは丈夫やな。1日寝込んだだけで復活しはったし」

「きゅうきゅう! きゅきゅう!」

 何を言っているのかわからない。

「日頃から栄養のあるものを食べているからだって。……ありがとう、クラゲ」

 菊池に頭を撫でられ、クラゲは気持ち良さそうにつぶらな目を細めた。

「でも、ドクターのような優秀なお医者さんがもう他にいないだなんて、本当に宇宙の喪失だよな」

「ん? 俺以外にも生き残りはぎょうさんおるで」

 あっさりと言った笹鳴に菊池は瞠目した。

「え? そうなの?」

「当たり前や。宵待みたいに乱獲された訳やあらへんし、惑星が破壊された訳でもあらへんからな。ミヤコが滅んだんは、言うなればみんなが出稼ぎに出てしまったからや」

 まぁ悪どい取引で奴隷同然に連れて行かれた者もおるけどな、と笹鳴は苦笑した。

「せやけど、ほとんどはいい条件を出されて契約を結び、専属医師として色んな組織に所属しはって、それでミヤコを出てってしもうたからや。宵待みたいに悲劇的な訳やあらへん」

「そうだったんだ……。俺てっきり悲惨な目に遭ったんだと思ってた。じゃあ、ドクターもそんな感じでミヤコ星を出たの?」

 んー、と最初は濁した笹鳴だったが、やがて労るように菊池を見下ろした。

「俺は専属とか言う身分が好きやのうて、両親が亡くなってからはふらふらと宇宙を旅しとってん」

「ドクターにも両親がいないの?」

「朱己もか?」

 うん、と菊池はうなずいた。

「ほんで、南と出会ったんや。その頃は南はまだ1人で商売してはってな。商売内容も貿易言うよりは運び屋やった。ある場所で感染症が大流行して大変な事になってな、そこに医師団を運ぶう時に出会って、興味本位で俺も乗ったんや。役に立てる事もあるかと思うてな」

「そりゃあドクターなら役に立っただろうけど」

「ほんま、役に立ったでぇ」

 笹鳴は意地悪げな笑みを浮かべた。

「行く途中に肝心の南が感染症にかかってしもてな。他に誰も操縦できひんし、俺が治したってん」

 菊池は瞬きを繰り返した。

「南の奴、病気が治ってから何て言うたと思う?『タダで身体に抗体ができて儲けた』言うたんやで?」

 アホやろ、と呆れる笹鳴に菊池は乾いた笑みを浮かべた。南はその頃からまったく変わっていない。

「それ聞いて、ああこいつはアホや、俺がついとっておかんともっとどんどんアホになる思うて、それから一緒におんねん」

 菊池は笑った。

「じゃあ、ドクターは船長のお目付役なんだね」

「そんなたいそうなもんやない。ただのお守りや」

 笹鳴は本気でお守りだと思っている。

 南と初めて出会ったあの頃、中央管理局はある太陽系の完全閉鎖を宣告していた。

 その太陽系で未確認の感染症が大流行したからだが、半年の間を置いてやっと治療薬が開発されたたものの、ワクチンの開発が遅れていた。

 ワクチンのないまま感染症のはびこる惑星へ治療薬を運ぼうとする船など当然のように存在しなかった中、南はたった1人だけ、医師の搬送を引き受けた。

 治療薬を持ってその太陽系へ行こうとしていた医師達は、全員がボランティアだった。医師である誇りにかけて、そこに患者がいるなら治療するべきだと、自分達の危険も顧みずに行く事を決めたのだ。

 南はその心意気に打たれたのだと、後日笹鳴に語った。

 ホンマにアホやと笹鳴は思った。

 そういう事はUNIONや中央管理局に任せるべきだ。一介の民間人が安い報酬で引き受けられるほど低いリスクではなかった。

 それでも、医師団に恩を売るでもなく、ただそうしたいから運ぶんだと言う南に、笹鳴は最初呆れた。

 だが船の中で共に時間を過ごすうちに、こういう男がいてもいいのではないかと思い始めた。どうせ当てもない旅なのだから、この男と共に過ごすのも楽しいかもしれない。苦労はするだろうが退屈はしないだろう。

 そうして「しゃあないからついてったるわ」と笹鳴が頼み、南が「え? 給料少ないぞ?」と了承した。

 それから北斗が加わり、柊が加わり、菊池が、宵待が、クラゲが加わった。求人募集なんかした事もないが、それでもこんなに素晴らしい仲間に出会えた。

 南がいたから。それだけは笹鳴も認めている。

 このメンバーの中心にいるのは南だ。彼という星の元に、自分達は集った。

「誰か1人が欠けてもあかんのや。……はよ治し」

 菊池は小さく笑ってうなずいた。



「ただいまー!」

「静かにしぃや」

 賑やかに病室に飛び込んで来た柊へ、笹鳴は静かな視線を送った。今ベッドの上では菊池が小さな寝息を立てている。

「さっきやっと平熱近くまで下がったところや」

 途端に柊は足音を消してベッドに近づいた。

「……朱己、もう大丈夫なんスか?」

「薬もよう効いとるし、明日には食事もできるようになるやろ」

 笹鳴は組んでいた両手を解いた。

「すり下ろせばそれも喰えるようになるで」

 柊の手にあるみずみずしい赤い果実達を見て、笹鳴が小さく笑った。

「そっか、よかった。朱己のためにって買って来たんだ。早く元気になって飯作ってもらいてぇから」

 柊はカゴごと菊池の枕元へ果実を置いた。

「エンテン星の食い物は確かに美味いけど、そろそろ朱己の味が恋しいぜ」

「俺もや。他のみんなは?」

「船長はまた通信室を借りてるっス。北斗と宵待はオロチを見に」

「そぉか」

 笹鳴はメガネを指先で押し上げて笑った。通信はあと一週間は復旧しない事がわかりきっているし、修繕を見守ったところで完成が早まる訳ではない。

 誰もが宇宙へ戻りたいと思っている。やはり自分達は飛んでいる方が似合いだ。いつまでも地上につなぎ止められているのは性に合わない。

 笹鳴は窓から空を見上げた。エンテン星の天気は、今日は晴天だ。

「あー……早く宇宙へ帰りたいっスね」

 思った通りのセリフに、笹鳴は笑みを隠すように再びメガネを押し上げた。

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