第八話 矛盾
面倒事は勘弁だと頭を抱える自分がいる。
実際に抱えている訳ではなくて、心の中で苦悩しているだけだけれど。
妹のプレゼントの相談についてはすっかり忘れて、後で改めて事情をちゃんと説明した上で結瑞にでも聞くとして、清隆の姉の暴力沙汰、ヤクザの抗争なんていう平々凡々な一市民・一学生の身に余る事件からはキッパリと身を引き、我関せずの立場を取るべきなのだ。
理屈では理解している。
断れば清隆も分かってはくれるだろうけれど、彼が本日午後1時の待ち合わせに3時間遅れた時に、『家庭の事情』とだけ片付けた、本来他人には明かすべきではない内容を僕に打ち明けてくれたのは事実であり、それは即ち僕を信用し同時に期待しているに他ならないのだ。
多分、彼の筋書きはこうだろう。
僕の妹のプレゼントについて姉に聞く、そのかわりに今回の事件に何らかの捜査協力をさせる。
僕一人の力なんてたかが知れていると思うけれど、彼の家庭の事情に多少なりとも関わったことがある僕、に協力を仰ぐのは彼にとって何もおかしな部分はなく、ごく自然なことなのかも知れない。もっとも、それほどまでに窮地に立たされていることの証明なのかもしれないが。
あまり気乗りはしないが、聖カトリーヌ女学院に向かうタクシーに乗ってしまった時点で僕の運命は決まっていたようなものだ。
じゃ、僕はこれで。とタクシーを降りてそそくさと何事もなかったかのように帰宅するほど厚かましい性格はしていない。
やれやれと、小さくため息を吐く。
「それで、僕は何をすればいいんだい?」
その声を待っていたと言わんばかりに、清隆は口の端を上げて不敵に笑う。
目は細められていて、罠に掛かったネズミでも見ているかのよう。
自分が優位に立ったと感じた時に彼が見せる、余裕だ。
1、2秒その余裕を見せたあと直ぐさまもとの真剣な表情に戻るやいなや、胸ポケットから一枚の紙を取り出す。
「まずコレを見てくれ」
「ん?写真?」
横幅5センチメートル、縦幅7センチメートルくらいの写真にはブレザーを着、愛想笑いを浮かべている見た目中学二年生くらいの少女が写っていた。
髪は長く黒髪で、特にまとめられているわけではない。
育ちの良さを感じさせる整った顔立ち。
澄み渡った黒い瞳を見ているだけで吸い込まれそうになる、純粋な瞳。
一度見たら忘れない、魅力ある少女。
少女には見覚えがあった。
どこかの誰かさんが集合時刻になっても来ず、深い溜息を吐きながら入った駅周辺のファミレス、そこで偶然同席し、何故か意気投合し、何故か一緒にご飯を食べた少女だった。
その写真を見た僕は唖然とした。
今時刻は午後5時半を回っている。彼女と会ったのは約4時間前だった。
自分でも驚くくらいに動揺していた。
もし僕があの時彼女を引き止めていれば――なんていう、結果論の産物でしかない後悔が脳を襲う。
言葉を失った僕を見て、何かを感じ取ったのか清隆はそろそろと口を開く。
「……もしかして知り合いだったりしたのか」
「いや、違う」
知り合いと呼ぶほどの仲ではない。
互いに名前すら名乗りあっていない。
息が合った者同士ではあったが、互いのことを知ってはいない。
だが、何だろうこの重苦しさは。ものの数時間前に話していた少女が誘拐された?意味がわからない。
いや、待て――何か引っかかる。それ以前にこれは矛盾していないだろうか。
清隆が午後1時の待ち合わせをしたのに来ず、ファミレスで待っていたら少女と出くわした。
そこから約1時間ご飯を一緒に食べたり他愛もない話をしながら過ごし、午後2時ごろに少女はファミレスから一足先に出ていった。
その2時間後――午後4時に家庭の事情で遅れたと言いながら清隆が現れた。清隆が遅れた理由は誘拐事件の調査をしていたからなのは間違いないだろう。
一見矛盾はない。何か引っかかりを感じたが僕の勘違いだと断定しようとしたとき、全身に電流が走った。
心拍数が上がり、脳が加速していく。
『無理を言わんでくれな? 休日とはいえ俺もいつも暇ってわけじゃねーんだ。さっきまで野暮用があっ
たっつかウチの事情でどうしても外せなかったんだって』
清隆のセリフを思い出す。
僕が1時頃にメールしたのに、電車で30分の待ち合わせ場所に来ず、3時間も遅れた訳を聞いたシーンだ。
メールの確認が遅れた、とは言わずに用事があって遅れただけ、だと言った。
つまり1時頃、遅くとも1時半頃までにはメールを確認していた可能性が高い。
その時間帯は僕と少女が食事なり会話なりをしていた時間だ。つまり、事件が発生していない。
僕の推理に穴がある可能性も充分ある。
メールを確認したのが午後2時で確認が遅れたことにはあえて触れなかっただけなのかもしれない。
だけど、それを確かめるのは一瞬で済む。隣には本人がいるのだから。
「清隆、一つ聞きたいことがある」
「んー?なんや」
つばを飲み込んで、僕の推理を否定して欲しくて、僕はゆっくり口を開く。
「お前が、この誘拐事件を知ったのは何時だ?」
自分の心臓の音がいつもより大きく聞こえる。耳元に胸を当てられているようにさえ感じるほどに。
そんな僕の心境もどこ吹く風と坦々と喋り始める清隆。
「午前8時くらいだけどー?」
僕が見ていた少女は、双子か、それとも生霊か何かだったのだろうか。
何も察しがついていない清隆をよそに、僕はタクシー内の冷房を肌寒く感じていた。