第二話 くだらない過ちと許容
「君主のもっとも崇高な資質は過ちを許すことである」
インドのムガル帝国第3代皇帝、アクバルはこのような言葉を後世に残した。
帝国が不安定な最中就任したアクバルであったが、彼の治世の下、北インドが統一されたとかなんとか。
宗教にも寛容であったらしく、イスラム教徒以外に課せられる税の撤廃をしたりするなど、先の言葉を残すに相応しい治世をしていたようだ。
しかしながら、僕は別にどこぞの国治める訳でも大企業の御曹司であったりする訳でもないので、このような歴史上の人物のありがたい言葉を知っていようともそれに準じた行動をする必要など欠片もないのだ。
などというもっともらしい言い訳を心の中で呟きながらファミレスの席でため息をつく。
クーラーの冷気が最も得られるテーブル席の向かいには3時間も遅れて来たにも関わらずヘラヘラとした顔で窓を眺めている、僕の親友が座っている。
そんな彼の仕草に僕の堪忍袋の緒は切れる直前であった。
「なんで待ち合わせの時間に3時間も遅れんだよ、ほんっと理解できない」
「いやーすまんねぇー、1時に待ち合わせって話だったけど7時かと思っててさー。申し訳ない」
彼の名は待田清隆と云う。
少しちゃらんぽらんな性格をしており、時折単語を伸ばして喋るのが特徴的だ。
左耳に銀色のピアスをしていたり、髪を金髪に染め上げていたりといかにも不良といった格好をいつもしている彼であるが、喧嘩っ早いかというとそうではなく、不良の中でも極めて落ち着いているほうと言ってもいいだろう。
怒らせると怖いが。
彼は同じ高校に通う2年生で、僕と同い年にあたる。
彼のちょっと他人を小馬鹿にしたような喋り方(本人曰く、そういった意図は無いらしい)もあってか同じ学校の生徒からは敬遠されており、教職員からは問題児扱いされている。
もっとも、喋り方や態度だけが問題という訳でもないのだが。
おそらく一般的な高校生活を送っているであろう僕が、彼と関わるようになったのには日本海溝よりも深い事情があったりするがここでは触れないでおく。
さて、そろそろ本題に戻ろう。
清隆は先程、自分は1時に待ち合わせであるのを7時であると勘違いしていたと言った。
確かに口頭であれば『いちじ』と『しちじ』を聞き間違えることは往々にして起こり得る。
清隆はそれを言い訳にして自分が遅れたことを仕方のないものであると主張しようとしているのだろう。
だがそうだとすると不可解な点が二つ存在する。
「いいさ、一先ずは君の話が真実だとしよう。だけど君がこの喫茶店に来たのは4時だ。待ち合わせの時刻が7時だと思っていたのならどうして3時間も前に来たんだ」
「お前さー自分の出したメールの内容覚えてないっしょ、1時頃に喫茶店で待ってるって送ってきたじゃーん。あれみてああ待ち合わせの時刻は7時じゃなくて1時だったのかあって分かったんだってー」
「だとして何で3時間もかかるんだ、電車使えば30分で着くだろう」
そう返すと清隆は少し不機嫌そうな表情を浮かべて少し早口に話しだす。
「無理を言わんでくれな? 休日とはいえ俺もいつも暇ってわけじゃねーんだ。さっきまで野暮用があっ
たっつかウチの事情でどうしても外せなかったんだって」
家の事情とはまた上手い逃げ方だ。
こちらが踏み入って聞こうとすれば他人に話すのはちょっと……といくらでも逃げようがあるのだ。
それは百も承知であるが、ダメ元で聞いてみることにした。
「具体的にどういう事情があったんだ」
「んー、あんま言いたくねーんだけど。つか言っても問題ないならちゃんと話してるってーの。お前なら分かるだろ――」
そこまで言いかけて、清隆は右手を口にあて、目を細め僕を見据えた。
「あぁ、そうか」
僕の質問の意図をようやく察したのか、清隆は少し納得したように小さく頷き、口の端を上げる。
「――お前は俺が嘘を吐いてると思ってるのか」
『あの時』以来見なかった清隆の不敵な笑みに、背筋が凍る勢いだった。
クーラーが直接当たる席に陣取ったのが裏目に出た。
肌寒い。
「……あ、ああ、うん」
蛇に睨まれた蛙のごとく、僕は萎縮してしまい、戸惑いながら同意した。
清隆はふふっと小さく笑い、僕を嘲笑うかのような表情で、いつになく真面目な口調で言葉を続ける。
「親友を疑うということがどういうことか、お前には分かるか?」
僕の返答を待たずして、清隆はさらに続ける。
「確かに今回の件は俺が全面的に悪い。それは認める。だからちゃんと最初に謝った。だがその上お前は俺が嘘を吐いているなどと言う。一体何を俺に期待してんだ。俺が嘘を吐いていると証明して、そこから土下座でもさせようってのか? 真実を知りたいのは、お前にとって自然な感情なのかもしれない。だが、俺を疑うことのリスクを忘れていやしないか」
「……それは」
確かにそうだ。
親友である清隆の発言を疑い、それでもし仮に嘘だとして、僕は何がしたかったんだろう。
本当だった場合、彼を疑ったという事実は、彼にはどう映るだろう。
結局僕は、どこに向けていいか分からないイライラを、時間を間違えていたなどというくだらない過ちで有耶無耶にされたくなかっただけなのだ。
少し自己嫌悪に陥っている状態の僕を見てか、清隆はふっと表情を柔らかくし、先程までのくだけた口調で話を続ける。
「わりーわりー、ちょっと言い過ぎたわ。そもそも俺が遅れたのが悪いんだしな」
「いや、僕の方こそすまなかった。君が嘘を吐くような人間ではないと重々承知していたはずなのだが」
僕は軽く頭を下げる。
「いいっていいって気にすんなよー。親友じゃんかー。代わりと言っちゃなんだが俺の遅刻も気にしないでくれると助かるなー」
「お前なぁ……」
笑顔で僕の肩を数回叩いてくる彼は、僕のいつも知っている清隆であった。
清隆は確かに大遅刻という過ちを犯した。だが同時に僕も彼の発言を疑うという過ちを犯した。
その上、あろうことか僕は彼に自身の過ちを指摘されるまで、親友を疑うことが過ちであるとの考えすら持たなかった。
しかし清隆は、自身の過ち、そして僕の過ちを自分で見つけ、それらを許した。
その上、僕が彼を未来永劫疑えないよう、心に大きなトラウマまで残していった。
待田清隆――将来ヤクザの組長になることを約束された待田組の組長の息子で、平々凡々な僕の親友だ。