2.アリアのお仕事
「なぜだ!? なぜ僕はモテない!」
昨晩はこの情けない台詞を最後に僕の記憶は途絶え、次に気がつくとふかふかのベッドの上だった。
「はっ……ここは?」
ベッドから飛び起き、周囲を見回す。見覚えのない、広く豪華な部屋である。
先日の部屋とは違い、この部屋には窓があった。そこから外を眺めて見ると、見渡すばかり広がる沼地――景観はあまり良くはないようだ。
それはともかく、外は明るく太陽もだいぶ高くまで登っている。時刻はぎりぎり午前中といったところか。
僕はベッドから立ち上がると、じんわりと頭に痛みが響く。昨晩は飲み過ぎてしまったようだ。記憶が飛んでいるのもお酒のせいだろう。
そもそもあんなにお酒を呑んだことも生まれて初めてだ。アリアの食卓に出てくるワインは信じられないくらい美味しかった。軍にいては決して味わえなかっただろう。
「いやー、ホント、辞めて良かった」
「辞めた途端にぐうたら生活もどうかと思いますけど?」
「うわっ、びっくりした」
いきなりアリアの声が聞こえ、振り返るとそこに彼女が立っていた。
「勇者ともあろう者が油断大敵ですね」
僕の反応にアリアはちょっと嬉しそうだった。
「マジで気づかなかった……」
僕は結構ショックである。戦場だったら命取りだ。
「まぁ、最上級の隠遁魔法を使いましたから、殺気を上げなければ相当近くまで接近できます」
「なぜそこまでするのか……」
随分手の込んだ嫌がらせである。
げんなりとする僕に構わず、アリアはけろっとした顔で話を変える。
「それよりも無職のカイトくん」
そして、余計な装飾がひとつ。
「言っとくが僕は元々フリーの傭兵なんだよ。王国軍との取引を切っただけで傭兵辞めてないから無職じゃないもん」
「はいはい、言い訳ご苦労様です」
「言い訳じゃない、事実だ」
「なんでそこまで無職を嫌うんですか? 庶民感覚ですねー」
「うっ……」
いやまあ、根っからの庶民なのだから否定のしようがないのだが――この敗北感はなんなのだろうか。
「で、そんな無職で暇そうなカイトくんに朗報です」
「はい、無職で暇人です。朗報とはなんですか?」
僕はもう面倒になったのでアリアの嫌みを無心で受け入れる。期待をせずに次の言葉を待った。
「単発ですが、私から仕事の依頼があります」
一切の期待を捨てた途端に思わぬ朗報である。
「え、マジで?」
「マジです。昼から仕事に出かけるんですけど、護衛兼雑用係として同行して頂けませんか? 日当金貨一枚で」
「やる。やります!」
僕は二つ返事だった。金貨一枚とは王国軍にいたときの三倍の日当である。
流石、贅沢な暮らしをしているアリアだ。どこぞのケチな貴族とは違う。
「決まりですね。昼食後に城の玄関口で待っていてください」
◇◇◇
言われた通り、昼食後に城の玄関口でアリアを待つ。
護衛兼雑用ということなので、一応返して貰った剣を携帯している。この両刃の片手剣は伝説の聖剣――という訳ではなく、王国軍御用達の量産品である。戦いで酷使していると二、三ヶ月で折れてしまう。この剣はたぶん九代目くらい。
しかし、次に折れてしまうと代えの剣を自分で用意しなくてはならなくなる。
心機一転したことだし、どうせだ。お金が貯まったら自分のトレードマークになるような一品を買おうと心に決めた。
腰の剣を眺めながらそんなことを考えていると、
「お待たせしました」
アリアが城から出てくる。
その格好はこれまでのローブ姿ではなく、貴婦人が着用するような黒のドレスを着ている。怪しげなネクロマンサーの美少女から、妖艶な貴族の娘にクラスチェンジしていた。
「……美しい」
自然と言葉が漏れた。
それを耳にしたアリアは優雅な所作で軽くお辞儀をしつつ、
「ありがとうございます」
「さすが僕のヒロインだ」
「あんたのヒロインちゃいますよ」
どうやらまだ僕のヒロインではないようだ。あまりにも美しかったものだから先走り過ぎた。
「ところで改めてその格好はどうしたんだ?」
「王都にいる顧客のところへ行くんです」
「顧客って貴族?」
「はい。ですから失礼の無いようにです」
なるほど貴族に会うなら頷ける。
しかし、そうなると、
「僕はモロ冒険者って感じの格好だけど大丈夫?」
「大丈夫じゃないので、カイトくんの服は王都で調達します」
「左様ですか」
「では、足を用意します」
アリアはそう言うと、不意に大きく息を吸って――ふぅ、と吐き出した。
アリアの口から吐き出された息は美少女には似つかわしくない、黒くどんよりとしたもの。いや、それは息と言うよりも黒い煙だった。
黒い煙は意思を持っているかのように宙を飛び回り、やがて軌跡が意味のある形を描き上げる。
それは骸骨のドラゴンだった。
次の瞬間、骸骨のドラゴンは質量を持って具現化する。ドシン、という音を立てて地面に降り立った。
なかなか圧巻の光景である。
「ドラゴンの骸まで使役してるのか。すごいなぁ」
「でしょ?」
得意そうにアリアは微笑んだ。
ネクロマンサーは骸を魔術で加工して使役する。
人間の骸ならば戦場に赴けばいくらでも調達できるが、ドラゴンの骸になるとそういう訳にはいかない。
場合によっては一匹で小国ひとつ滅ぼしてしまうほどの怪物の死骸がそこいらに落ちている筈も無く、お金を積めば手に入るって物でもない。
本当にどうやって入手したのか謎である。
それはともかく、
「でもこれ、どこに乗るの?」
肉がついていないが故に直接跨いで乗るのはお尻が痛そうだ。
「見えない座席があります」
アリアが指さしたのはドラゴンのあばら骨に包まれた内側の空間。
なるほど、骸骨ならではの空間利用術である。
アリアの発想と技術力の高さに感心していると、今度はミシェルを含めた四人の幼い従者達が、大きな箱を四人がかりで持って現れた。
「アリア様~、お持ちしました」
それはまるで小ぶりの棺桶のようで、ちょうどミシェルくらい人間が一人分入るサイズである。
「ありがとうございます。いつものように口へ」
「はい~」
ミシェル達はアリアの指示に従って箱をドラゴンの口元へ運んだ。
すると、ドラゴンは大口を開けてその箱を丸呑みにする。これも空間活用術のひとつなのだろう。
「さて、それでは出発しましょうか」
「行ってらっしゃいませ」
ミシェル達の見送りを背に、僕とアリアはドラゴンに乗り込んで大空の旅路についたのだった。