5.交渉と取引
次の日。
太陽が天辺に位置する頃。
僕は昨日アリアに襲撃された荒野に佇んでいた。
僕の周囲にはアリアの手下である骸骨の兵士達。その後ろにはラーゼンの馬車があり、中にはアリアが控えている。
ラーゼンとの話がついたと知らされたのは今朝のこと。エイピック級の魔石と引き替えに僕のことを引き渡すと約束したらしい。
誘拐されたのは昨日の今日なのに随分と素早い対応である。それだけラーゼンは僕のことが大事――なのだろう。
夏季ではないが、日陰のない荒野で佇むのは不調の体には堪える。
早くラーゼンが来ないものかと額の汗を拭ったとき。荒野の地平線から三頭の馬が現れた。目を懲らすと、その背中にラーゼンと彼の腹心の部下二名が跨がっている。
「アリア。ラーゼンさんが現れたぞ」
「はいはい」
僕が馬車に向かって声をかけると気怠そうな返事が上がり、アリアが馬車から出てきた。彼女はローブのフードを被って顔を半分隠し、僕の隣に並ぶ。
三頭の馬は僕達から一〇メートルほど離れた場所で止まり、ラーゼンらは馬から下りる。
「ネクロマンサーよ。勇者を返して貰おうか」
ラーゼンの第一声はそれだった。
対するアリアは冷たい声色で、
「エイピック級の魔石と交換という話ですが?」
「魔石は今はない」
ラーゼンは実に堂々と宣った。
「どういうことですか?」
「これから我が軍は、グルーインベルク砦に侵攻する。あの砦は元々は王国の物だったのだ。記録によれば地下倉庫に最上級の魔石が保管されていたとある。それを一週間後に渡す」
「その記録は昔のことでしょう? 今もあるという保証は?」
「必ずある」
アリアの問いに対し、ラーゼンはただ力強く断言した。特に根拠はなさそうだ。
「……私としたことが、抜本的に取引相手の選定を間違えましたね」
アリアは頭痛を堪えるかのようにこめかみを押さえる。
ラーゼンの主張は僕から見ても色々とあり得ない。おおよそ人と取引ができる質ではなさそうだ。
「信じてくれ」
レジェンダリー級の魔石をエイピック級だと偽った男は、しかし、過去を振り返らず自信満々に言う。
対し、しばし考え込んでいたアリアはため息交じりに、
「信じはしませんが、その砦攻略まで待つことにします。では、一週間後にまたここで」
「待て、ネクロマンサー」
話を切り上げて帰ろうとするアリアとラーゼンは呼び止めた。
「なんでしょうか?」
「勇者は返して貰う」
「はぁ? なにを言ってるんですか? 魔石と交換という話ですが?」
「砦の攻略は勇者がいることが前提なのだ。勇者がいなければ攻め落とすのにどれだけ時間がかかるか見当もつかない。だから勇者を返してくれ」
かなり勝手な意見である。
「でしたら私が支払った魔石の代金も一旦返却して貰います」
「それはできない」
「……」
「出世の為には色々と物入りが多くてな。すでに使い果たしてしまっている」
「……」
「おーい、ネクロマンサー、聞いてるか?」
呆れて黙り込んでしまったアリアに向かって、ラーゼンは不思議そうな顔で声をかける。
しかし、アリアはそれには反応せず、彼女は僕の背中を軽く叩いた。
「もういいです。カイトくんは向こうに戻ってください」
「え、でも交渉は?」
驚く僕に、アリアは嘆息しつつ、
「やはりあんな男を信用した私がバカでした。この取引は商売には稀にある貸し倒れです。まぁ、この報いはいずれ受けて頂くことにしますが今日はもういいです」
「本当にいいの?」
「はい、どうぞ」
どうやら本当に僕のことを無償で解放するようだ。
どこか後ろ髪を引かれる思いを感じながら、僕はラーゼンの下へと進む。
すると、
「あんな人の下でこれからも働くんですねぇ。ご愁傷様です」
僕の背中を叩くアリアの言葉。
なんとも言えない気持ちになり、後ろを振り向いて見ると、すでにアリアは踵を返して僕とは反対側に向かって歩き出していた。
◇◇◇
僕のことと、ついでに馬車も返却してもらい、僕とラーゼンは馬車に揺られながら軍の駐屯地へと戻っていた。
「勇者よ、元気そうじゃないか。本当に良かった」
馬車の中でラーゼンは僕の肩を叩いて労ってくれる。
「あ、はい、なんとか」
「酷いことはされなかったのか?」
「割と丁寧な扱いでした」
軍にいるときよりも遙かに快適な生活だった。
「そうか。それは何よりだ。顔色も昨日より良く見えるしな」
「確かに疲れが少し抜けたような気がします」
「はははっ、怪我の巧妙じゃないか」
なにがそんなに可笑しいのか分からないが、ラーゼンは一人楽しそうに笑う。
僕もなんとなくその場の雰囲気に合わせて笑っておいた。
「それじゃあ勇者よ。もう働けるな?」
「え?」
が、次のラーゼンの台詞で僕の笑顔が凍りついた。休息期間は三日間で今日は二日目だ。この人はなにを言っているのだろうか?
「調子がいいなら戦線に復帰すればいいじゃないか」
誰も調子がいいなんて一言も言っていない。未だに絶不調のただ中である。
だがラーゼンは、次々と自分の都合のいい理論を組み立てていく。
「いやはや勇者が早めに復帰してくれて助かった。この調子で休まず侵攻できたら、今週中にグルーインベルク砦攻略。さらには今月中にアバラン平原まで侵攻も夢じゃない。至上類を見ない大戦果で間違いない。大臣就任も夢では無くなってきたぞ」
「あの、僕は?」
僕にもなにかいいことがあるのか?
そういう意図で聞いたのだが、ラーゼンはヘラヘラと笑いながら、
「ああ、これまで通り働いてくれたらいいよ。今後も私の手足となってくれ」
行き場のない怒りで体が震えた。
次の瞬間、僕は堪忍袋の緒が切れ、
「……もうまっぴらごめんだ。僕は軍から離れる」
今度はラーゼンの笑顔が凍りつく番だった。
「いきなりどうしたんだ勇者よ?」
「どうもこうもしてない。僕はもうあんたの下で働かない、それだけだ」
「あのネクロマンサーになにかされたのか? もしかして脅されているのか?」
「いいや」
僕は静かに首を振る。
「だったらなにが不満なのだ?」
「体壊してまでがむしゃらに働いて勇者って呼ばれたっていい生活も出来ないし、一つもモテないじゃないかっ。こんなことやってられっか!」
「モテないのは自分の問題だろ?」
妙に的を得ているのが余計に僕の怒りに油を注いだ。
「うっせぇ黙れ自分の出世しか興味のないくそ貴族っ」
「なんだと貴様っ。下手に出ればいい気になりやがって。下賤の血風情が、黙って私の命令に従っていればいいのだ」
「ああ、やっぱりそんな風に思ってたんだな! 今ので完全に決心がついた。僕は軍から去る!」
僕は馬車の扉を蹴り破った。
馬車を引いていたラーゼンの部下はびっくりして馬車を停止させる。
「待て、勇者!」
馬車から降りようとした僕をラーゼンが強く呼び止めた。
「なんだよ?」
「週に一回娼館に連れて行ってやる。これでどうだ?」
三秒だけ心が揺れたが、そのふざけた応急策にすぐにかっときて、
「ふざけるなっ。僕はな異世界転生してハーレムを作る予定だったんだっ。金だけの冷えた関係で満足できるかっ。舐めるなよ!」
僕はそう吐き捨てて馬車を降りた。
その後も後方でラーゼンがなにかを喚いていたが、すべて無視。
「これからは自分の為だけに生きてやる」
そう固く誓った僕は、荒野を歩き出した。
ここからが誰のためでもない、僕にとっての異世界生活が始まった。