5.名探偵アンジェの事件簿3
「……ダメだ。寝れんっ」
目を瞑ると瞼の裏に蘇る、僕とおっさん達の○○。
名前を呼んではいけないあの人からの精神的攻撃に対して、僕はものの見事に打ちのめされていた。
ベッドで横になっても眠れないと悟った僕は、起きることを決断する。
部屋の窓を見ると、外は真っ暗。夜はまだ続いていくだろう。
「はぁ、水が飲みたいな」
そう思った僕は、上着を着て自分の部屋を出る。厨房に行けば夜番の従者がいる筈だ。そこで飲み水を貰おう。
僕は精神的な疲労から、時折すれ違う骸骨の兵士達よりも拙い足取りで廊下を進む。
そんなとき、カーペットの弛みに足を取られてよろめいてしまう。
「おっとと――あれ?」
体勢を立て直そうと柱に手をつくと、ガコンという音がして、柱が動いてしまった。しかし、普通人間が体重を掛けたくらいで柱は動いたりしない。
不審に思った僕はその柱を入念に調べて見る。すると、柱だと思っていたそれは隠し扉だったことが判明した。
大体のお城には、敵の襲撃に備えて隠し通路や部屋が作られているのは常識である。だから、ここに隠し通路へ通じる扉があろうとも何ら不思議ではない。城主のアリアならすべて把握していることだろう。
僕はそのままスルーして厨房へと向かおうとした。
「……」
しかし、その歩みを止めて再び隠し扉の前まで戻ってくる。
この二日間でアンジェと一緒にお城中を回って捜査をした。だが、隠された空間は例外だった。もしかすると、この先になにか手がかりがあるかもしれない。
そう思った僕は、ダメ元で隠し扉の中へと入ってみる。
そこは細い通路だった。登ったり、下ったり、曲がりくねったりしながら道は先へ延びている。
僕は狭くて暗い通路を道なりに進むと、やがて正面に光が射した。
しかし、今はまだ夜だ。するとあの光は人工的な物に違いなかった。つまり、あそこには誰かがいるのだろう。
僕は音を立てないように、そっと光へと向かった。
やがてその場所に辿り着く。
そこは窓のない小部屋だった。ただし、天井に備わった魔術式のランプに照らされて、部屋の中は昼間のように明るい。
そんな空間で、部屋の中央に置かれた作業机に座り、一心不乱に洋紙にペンを走らせる者の姿。それは見知った少女の背中だった。
「まさか、キミが名前を呼んではいけないあの人だったとはな……」
僕は彼女の背中に囁くように声をかけた。 不意打ちだったにも関わらず、向こうの反応は冷静だった。
彼女は手を止め、ペンを置き、ため息を吐く。
「はぁ……ついにバレてしまったのです。カイト様。どうしてここが?」
「本当にただの偶然だよ。キミのプレゼントのお陰で眠れなくてね。厨房まで水を貰いに行こうとしている途中で、つまずいてここへ繋がる扉を見つけたんだ」
「ふふふふ――策士策に覚えるとはこのことなのですね」
アンジェは冷笑しながらそう言うと、席を立ち体を反転させ、僕と対峙した。そこにある彼女の目は、獲物を狙う肉食獣のように恐ろしかった。
僕が今向き合っているのは、普段のアンジェとは違う、なにか途方もない狂気を孕んだ別の存在であるような気がした。
「キミは本当にアンジェなのか?」
だから、ついそんな質問をしてしまっても仕方なかろう。
「はい、アンジェは常にアンジェであり、それ以上でも以下でもないのです」
「だが、今のキミはなんとか言うか、言い方が悪いかもしれないが、異様なんだよ」
「異様ですか? ふふふふ――それは違います。なにも分かってませんねカイト様っ。これが芸術を極めようとする者の姿なのですよ!」
アンジェは高笑いをしながらそう豪語した。その様はどう見ても異様だった。悪魔でも乗り移っているかのようである。
どおりでフィルを含めた関係者各位から恐れられる訳だ。
「今まで僕に協力をしてくれていたのは、捜査を攪乱させるためだったんだね?」
「ええ、その通りなのですよ! ただし、この瞬間に全てはおじゃんになりました――いえ、深夜この場所で二人きりとは、アンジェにとって好都合なのです!」
次の瞬間、アンジェは両腕を僕に向けて伸ばした。すると、彼女の手の平に仕込まれていた短縮魔術印が展開する。さらにそれに呼応して、あらかじめ部屋中に施されていた魔術印も同時に動き出した。
床から、壁から、天井から。
ありとあらゆる方向から、魔法で作り出された鎖が僕に襲いかかる。
「なんだとっ」
僕は一撃目を咄嗟の判断でかわした。
だが、魔法の鎖は、休む間を与えることなく次から次へと襲いかかってくる。
「ふふふふ――ここはアンジェのフィールドなのです。いくらカイト様でもこの場所では赤子も同然! さあっ、我が鎖の束縛を受けるのです!」
「しまった」
アンジェの鎖が僕の右足に絡みつく。
僕は瞬時に肉体強化魔法を発動させて、力尽くでその鎖を引きちぎった。
だが、刹那にせよ、足を止めたのが失策だった。右足に対処し終わった直後に、今度は左足と右手に鎖が巻き付く。僕は仕方なくこの二本も同じように引き千切るが、その間に今度は四本の鎖が僕の体を捕らえた。
後は倍々ゲームである。
抵抗しても抵抗しても、僕を縛る鎖の数は時間と共に数を増していった。
やがて僕は身動きもとれないほど、がんじがらめに拘束されてしまう。
「くっ、なんてことだ……」
「勝負ありなのです!」
「ぼ、僕をどうするつもりだ!? へ、変なことをするつもりじゃないだろうなっ」
僕は囚われたヒロインみたいな台詞を口走った。
「もちろん変なことをするのです」
アンジェは平然と答えた。
「え、マジで?」
「マジなのです」
「あのう、童貞だけは勘弁してください」
「勘違いしないでください。カイト様にするのはエッチなことではなくて単純に口封じなのです」
「ちっ……そんなことか……って、ちょっと待て。それってまさか――」
期待とは違う展開に落胆しつつ、僕は口封じという単語に嫌な予感が頭を過ぎる。
口封じと言えば、先日に鉱山事故の件で管理者の男にアリアが施した幻術魔法があった。たしかそのときの手伝いをアンジェはしていたと記憶している。
「はい、カイト様の想像通りなのです。アンジェはアリア様が使っていた術式をちゃんと覚えているのです。だから、カイト様にも使ってあげます」
頭から血の気が失せるのが分かった。
「待てアンジェ。それはマジでヤバイ。ガガールの奴はだいぶ頭がぱぁーになってたじゃないかっ」
「大丈夫なのです。健康には特に影響ありませんでした」
「健康を気遣う頭さえも無くなるんだよっ」
「むしろそちらの方が幸せに生きられるかもしれないのです」
アンジェはそんな難しいことを言いつつ、動けない僕へと向かってくる。本気で実行する気満々のご様子である。
「お願いぃ~、止めてくださいぃ~、アンジェ様ぁ~」
「いえいえ、こちらこそ申し訳ありません。けど、アンジェの秘密を守る為に、カイト様の頭には犠牲になって貰うのです」
僕の涙の訴えも虚しく却下され、いよいよ覚悟を決めなければならないのかと思ったとき、
「コラッ」
ごつん、といい音がした。
「あぅ~」
頭に拳骨が落ちたアンジェは、両手で脳天を押さえて床に蹲った。
「ア、アリア様……どうしてここに?」
アンジェの発言の通り、アンジェに天誅を下したのはアリアであった。
なんの前振りもなく現れたアリアは、酷くご立腹のご様子だった。そりゃそうである。
「あれだけ大騒ぎすれば、音が外に漏れますよ」
「なるほど! カイト様を始末することに夢中で失念していたのですっ」
「僕を始末することに夢中になるなよ……」
しかしなににせよ、アリアの登場で助かった。