4.名探偵アンジェの事件簿2
フィルの部屋を出ると、廊下で待っていたアンジェが駆け寄ってくる。
「カイト様、どうでしたか?」
「うん。事態は僕の想像よりも闇が深そうだったよ」
僕はフィルの性癖には触れず、名前を呼んではいけないあの人の存在だけをアンジェに伝えた。
「アンジェはそんな噂は聞いたことないのか?」
「残念ながらないのです。情報通のアンジェも知らない、名前を呼んではいけないあの人とは――むむむむっ、名探偵としての腕がなるのですっ」
アンジェは自棄にやる気満々だった。
彼女がそんな様子だったので僕は冗談交じりに、
「じゃあ、名探偵様に名推理を披露してもらいたいな」
と言うと、
「任せ下さいっ」
即答したアンジェは、目を閉じて思考の海へダイブし、
「――先ほどのフィルについて気づいた点があるのです」
「なんだ?」
「アンジェ達が部屋に入ってすぐのフィルはどこか余所余所しい感じだったのです」
「いきなり聞き込みに行けばそうなるわな」
「いいえ。その点を差し引いても、彼の態度は不自然でした。アンジェがいる間、彼は一歩もその場所から動こうとしなかったのです。カイト様と二人っきりのときはどうでした?」
「たしかに、フィルはずっと同じ場所にいたな」
部屋でのことを思い返して僕は同意する。フィルは部屋の隅、本棚の前でずっと小さくなっていた。
「いいですかカイト様。人は無意識的に隠したい物を体で遮ろうとする癖があるのです。つまり、フィルは本棚に見られたくない何かを隠していた」
「まさかっ」
「そうなのです。フィルはまだ見つかっていないエロ本を隠し持っているのですっ」
「アンジェはちょっと待ってろ」
僕は真偽を確かめるべく、フィルの部屋へと戻り、心苦しいながらも本棚を捜索した。すると、アンジェの言うように背表紙が偽装されたエロ本が出てきたのだ。
僕は物をチェックし、それがあまりにも過激な内容だったので、フィルを説得し、回収して戻ってきた。あとでアリアに渡そう。
「名推理じゃないかアンジェ!」
「なのです!」
僕の賞賛にアンジェは胸を張って鼻を高くする。
「この調子で、名前を呼んではいけないあの人のことも推理してくれ」
「それに関しては、考える材料が不足しているかと」
「まあ、そりゃそうか」
少し急かしすぎたようだ。
しかし、アンジェがいてくれるなら事件の解決もそんなに遠くはないような気がした。
「まずは情報収集が先決かと」
「そうだな。お城のみんなに聞き込みをしようか」
僕とアンジェは片っ端から従者達への聞き込みを行った。だが多くの者は、名前を呼んではいけないあの人を知ることはなく。稀に反応を見せた者でも、知らぬ存ぜぬを貫くばかりで、有力な手がかりは得られないまま初日は終わった。
◇◇◇
二日目の朝。
アンジェは僕と落ち合うなりこう告げた。
「一晩考えて見たのですけど。もしかすると例のあの人は、お城には住んでいないのかもしれないのです」
「どうしてそう思うんだ?」
僕の問いに、アンジェは僕が小脇に抱えている物を指した。それは昨日フィルから没収したエロ本である。
「カイト様がアリア様に渡すと言っておきながらまだ渡していない、そのエロ本」
「こ、これは、あの人へと繋がるヒントが隠されるかと思って調べる為に持っているだけであって、決して他の意味合いはないんだからなっ」
「昨晩はお楽しみでしたのです」
「なぜそれを知ってるんだ!?」
「適当に言ってみただけですよ?」
「……で、このエロ本がどうしたって?」
僕は何事もなかったかのように、話を元に戻した。アンジェの推理を聞かせて貰おうではないか。
アンジェも大人の対応で今し方のやり取りをスルーし、
「はい。絵を描くには、紙とペンがあればそれですむって話ではないのです。大小様々な画材が必要であり、同時にそれを置いておく場所も確保しなければならなりません」
「そうだな」
王都に行けば道端で風景画を描いてる芸術家を見かけるが、彼らは一様に大荷物である。
「昨日は、アンジェとカイト様の部屋も含めて全ての従者の部屋へ行きましたが、誰の部屋にも画材らしき物は見当たりませんでした」
「なるほど、アンジェは良く観察してるな」
僕なんかはうろ覚えである。
「つまり、このエロ本はお城では作られていないと考えるのが妥当だと思うのです」
「そうなると外部犯の可能性さえ出てきてしまうぞ」
「はい。昨日までのアンジェ達は、お城の中だけという狭い視野で物事を見ていたのです。しかし、この世界はとっても広い。未来には沢山の可能性が眠っているのですから、アンジェ達も広い視野を持って行動しなければと思うのです。世界は無限大、容疑者も無限大!」
アンジェは両手を高らかと掲げてそう言い放った。
すごくいいことを言ってると思う。
「だが、推理モノでそれを言い出したらキリがない」
僕の言葉にアンジェは刮目する。
「た、たしかになのです。我々はより狭い方へ可能性を絞り込んで行かなければならないのでした……」
「人間とは愚かなものだな」
しゅんとするアンジェを僕は慰める。
それから、本日の捜査を開始した。
今日も基本的には聞き込みを主軸に活動を行う。しかし、日が落ちても目立った成果は得られなかった。
「やはり、例のあの人はこの城にはいないのかと」
一日が徒労に終わり、アンジェはそう呟いた。
僕もそんな気がしてくる。
「でもそうなると、どこまで捜査の手を広げたらいいのか見当もつかないな……」
「お城の外まで及ぶと、アンジェも他に仕事があるので、お手伝いは難しくなるのです」
アンジェは残念そうに肩を落とした。
「気にすることはない。今まで僕を助けてくれてありがとう」
僕はそんな優しいアンジェを労った。
「……ということは、捜査は打ち切りですか?」
アンジュは上目遣いになり、おずおずと尋ねてくる。きっと、これまでの苦労が無駄になるのが悲しいのだろう。
しかし、そんな懸念を払拭するように、僕は力を込めて頭を振った。
「いいや。僕はそれでも諦めない。絶対に地の果てまで行ってでも探し出してやるっ」
「すごい気迫なのです。なにがそこまでカイト様を駆り立てるのですか?」
「決まってるじゃないか。アリアからの疑いを晴らす為だよ。僕のヒロインはアリアだと確信してるから、一日も早く彼女と結ばれたいっ。その為には、二人を隔てる障害を取り除かなければならないんだ!」
「下半身の話なのですねっ」
「違う、愛の話だっ」
その後、今日は解散となり。僕は大広間で夕食を食べてから自分の部屋に戻った。すると、部屋が大変なことになっていた。
「これは一体……」
部屋の壁面には鮮血を思わせる赤い塗料で「事件から手を引け!」と殴り書きされていた。
そして、足下には無数の洋紙がばらまかれている。
僕は散らばった一枚を拾い上げて内容を確認して見ると、
「な、なんじゃこりゃ!」
紙面の内容に度肝を抜かれた。
それは僕そっくりの人間が、知らないおっさん達に代わる代わる○○に○○○を○○されている絵だった。目にするだけでおぞましい光景を、繊細で鮮やかなタッチで描かれている。才能の無駄使いも甚だしい。
これは紛うことなき、名前を呼んではいけないあの人からの警告だった。
僕はぞっとした。
全身の毛が逆立ち恐怖を体現する。
これはヤバイ。
決して触れてはいけなかったこのお城の暗部に、僕は足を突っ込んでしまったようだ。
フィルの言っていた通りである。これ以上の捜査は命がけになるかもしれない。果たしてそこまでして続ける必要があるのか?
だが、ここで諦めてしまっては栄光の未来から遠ざかってしまう。
「ああ……僕はどうすればいいんだ……」
僕はその夜、あまりのショックになかなか寝付けることが出来なかった。




