2.フレデリカの修行2
フレデリカは目尻に涙を溜めて呟く。
「……私、悔しいです。みんながこんなにも美味しい料理を食べてくれないなんて」
「マズいからな」
「……こんなにも美味しい料理をっ」
強情な娘である。しかし、その折れない心意気には感心するところだ。
僕はフレデリカの肩を叩き、真剣な声音で尋ねる。
「フレデリカ。キミは本当に美味しい料理をみんなに食べて貰いたいと思っているのか?」
「……はい、当然です」
「だったら、まずは認めなくてはならない。自分が作る料理がとんでもなくマズいことを」
「……っ」
僕の言葉にフレデリカは目を丸くする。
今まで目を背けていた事実。優しさのあまり、周囲が触れなかった事実。まずはこのことに正面から向き合わなければ成長はない。
「キミの料理はマズいっ」
「……!」
「クソが付くほどマズいんだよっ」
「……!!」
「とても人様に出せるような物じゃない。僕は二度と食べたくないと思ったよっ」
「……!?」
フレデリカは、僕の料理への罵倒に心が打ちのめされ、前のめりに倒れてしまう。
対する僕は、それに構うことなく反対に立ち上がり、フレデリカを見下ろした。
「しかし。立つんだフレデリカ。キミの気持ちが本物ならここで地べたに這いつくばっている場合じゃない。やるべきことがあるだろう? いきなりビーフストロガノフなんて難しい物にチャレンジしてどうする。まずは常識に沿って簡単な物から作るんだ。たしかにこの城の食卓は、いつもハイレベル過ぎる。それを知っていたら初歩的な料理なんてと思うかもしれない。だがな、料理だけじゃない、剣でも魔法でも美術でも、優れた技術の土台は、常に基本で成り立ってるんだよ。基本を疎かにしてその上はならずだ。僕も協力するから、さあ立つんだ!」
「……カイト様っ」
僕の思いが通じたのか、フレデリカは唇を噛みしめ、自らの二本の手を支えに、震える足でゆっくりと立ち上がる。
僕は、子鹿が自分の力で立ち上がるのを見届けると、
「よくやった!」
と、その努力を賞賛してフレデリカを抱きしめる。事案ではない。
「さあ、フレデリカ。輝かしい明日に向かって、二人三脚で邁進するぞ!」
「……はい、カイト様っ。どこまでもついていきます!」
こうしてフレデリカと僕の特訓生活が幕を開けた。
◇◇◇
僕はまず、フレデリカのなにが問題なのかを知るところから始めた。
「僕が見ているから、フレデリカはなにか料理を作ってくれ」
「……分かりました」
「ちなみに何を作ろうとしてる?」
「……白身魚のグリル焼きバジルソース仕立て、です」
「だから凝った物を作ろうとするな」
問題一――変に凝った物を作ろうとする。
「よし、作る料理は僕が指定する。そうだな……卵焼きを作ってみようか。いいな?」
「……はい、分かりました。卵焼きなんて楽勝です」
「じゃあ、材料を集めて取りかかってくれ」
「……よいしょ、よいしょ」
「卵と塩と砂糖と――黒胡椒に焼き海苔、そら豆、イチゴ、ベーコン、干し芋――おいおいちょっと待て、これって卵焼きだよな?」
「……こっちの方が絶対に美味しくなると思います」
問題二――いらんアレンジを加える。
「いいか、卵と塩と砂糖だけで十分だ。それ以外はなにも使うな」
「……で、でもこっちの方がいい感じな気が」
「自分の感覚は信じるな。常識に沿うんだ」
「……はい……分かりました」
「じゃあ、ボウルに卵を割って」
「……えいっ。あ、殻も沢山入ってしまいました」
「もう一度落ち着いてやってごらん」
「……それっ。あ、なんかグチャグチャになりました」
問題三――単純に不器用。
以上の問題点を踏まえ、僕達は改善を目指しつつ料理の腕を磨いた。
しかし、フレデリカの体に染みついた癖は、そう易々と落ちるようなものではない。フライパンのしつこい油汚れをたわしで擦り落とすがのごとく、根気のいるものとなった。
挑戦しては、失敗して。
それを踏まえて改善策を練り。
そしてまた挑戦。
そして失敗。
フレデリカは出口の見えない迷宮の中にいながらも、決して挫けず、前に進もうとした。
僕はそんな彼女の努力を形にしようと、全力でサポートをした。
僕達は手と手を取り合って、真理を目指して探求を続けたのだった。
◇◇◇
特訓生活が一週間を過ぎた頃。
僕は廊下を歩いてたアリアを呼び止めた。
「アリアちょっといいか?」
「ええ大丈夫ですど、どうかしたんですか?」
「実は料理を作ったから食べて欲しいんだ」
「あら、カイトくんが? どういう風の吹き回しですか?」
アリアは意外そうな顔をし、そこはかとない興味を示した。
しかし、僕は首を横に振る。
「僕じゃない。フレデリカだ」
「……ふぅ、急に用事を思い出してしまいましたねぇ」
「まあまあまあ、落ち着け逃げるなアリア」
僕は逃げようとしたアリアの両手を、後ろから掴む。
「カイトくん放して下さいっ。私には世界を揺るがす重要な用事があるんです!」
見え透いた嘘を並べるアリアを強制連行しようとしていると、廊下の向こうからミシェルがやってきた。
「あー、カイト様がアリア様を襲ってるぅ~」
「ミシェル、見てないで早く助けて下さい」
「かしこまりましたぁ」
「おい、ミシェル。それならお前がアリアの代わりにフレデリカの料理を食べるか?」
「……」
ミシェルは無言で回れ右をすると、そのまま主人を置いて走り去ってしまった。
そこまで皆から避けられているのか。
フレデリカの料理、恐るべしである。
「ああっ、あの子はもう!」
「さあ、観念してこっちに来るんだ」
「嫌です、嫌ですってぇー」
◇◇◇
僕は大広間の食卓までアリアを連行した。
逃げられないように、椅子に座ったアリアの両足と胴体を縄で括り付け、さらには僕が彼女の背後で睨みを利かせ、余計な動きを封じる。
食卓の周りには、骸骨の兵の残骸が散らばっていた。アリアの抵抗の痕跡である。しかし、勇者を前にこの程度の抵抗は無意味でしかないのだ。
「ぐすん……。カイトくん、ほっぺにチューで私を逃がして下さい」
「大変魅力的な提案だが、今日ばかりは受け入れられないな」
なにせこれから、少女の汗と涙の結晶を披露するのだから。
大広間と厨房を繋ぐ扉からフレデリカが顔を出した。
「……準備できました」
「アリアの準備も万端だ。持って来てくれ」
「……分かりました」
僕の呼びかけに頷いたフレデリカは、一旦顔を引っ込めて厨房へと戻る。
「心の準備がまだです……」
アリアの嘆きは誰にも受け止められることなく、そして、フレデリカが扉の向こうからお皿を手にやって来る。お皿は銀蓋で閉じられており、どんな料理が乗っているのかは現時点では窺えない。
「……アリア様、心を込めて作りました」
フレデリカは、アリアの食卓にお皿を置いた。
「ありがとうざいます。フレデリカの気持ちは、とっても嬉しいです」
アリアは涙しながら言った。
「うん。アリアも涙が出るくらいフレデリカの料理が待ち遠しかったようだな」
「……では、早速開けます」
フレデリカはお皿の上の銀蓋に手をかける。
「あっ、ああっ……」
アリアは嬉しさのあまり、言葉にならない呟きを漏らした。
銀蓋が開かれる。今、フレデリカの料理の全貌が明らかになった。
「こ、これは……ライス、の、塊?」
お皿の上の料理を目にしたアリアは、驚きと疑問を交差させる。
無理もない。アリアはどんな禍々しい物が出現するのだろうかとビクビクしていた筈だ。しかし、文字通り蓋を開けてみれば、そこにあったのは何の変哲もないライスの塊――おにぎりである。
「さあ、食べて見るんだアリア」
「ごくり……」
いい意味で予想を裏切られただろうアリアは、僕とフレデリカが見守る中、ゆっくりとおにぎりに手を伸ばす。
アリアの手がおにぎりに触れた。
しかし、躊躇う。
アリアの目はフレデリカの方へ向かう。そこにあった真剣なフレデリカの表情を目にし、こちらも覚悟を決めた顔になった。
勢いよくおにぎりを掴み、ぱくりと齧り付いた。
アリアは刮目する。
「そ、そんな……食べられる……マズくないっ……」
アリアは最初の一口に続いて、二口目、三口目とぱくぱく食べた。おにぎりはすぐにアリアの口の中へと消えてしまった。
「ただのライスの塊かと思っていました。しかし、表面に付着していた塩が良いアクセントになって、これだけでも十分に美味しく食べることができました」
「……あ、ありがとうございますっ」
アリアの言葉を聞いたフレデリカは、感激のあまり目尻に大粒の涙を浮かべる。
アリアも今度は嬉し涙を流した。
「よくぞここまで頑張りましたね」
努力への賞賛。
そう、おにぎりは実に簡単な料理だ。
しかし、フレデリカの最初の状態では、おにぎりさえも変な具を混入したり、調味料過多だったりと、まともに食べられる物は完成しなかっただろう。
だから、このアリアが食べたおにぎりは、紛うと無くフレデリカの成長の証であった。
「フレデリカ、こちらへ」
縛られているので動けないアリアはフレデリカを呼び。
「……アリア様」
フレデリカはそれに応じてアリアの胸に飛び込んだ。
固く抱き合う主人と従者。
「良くやった……良くやったぞ、フレデリカ!」
そんな感動的な風景を目の当たりにしながら、僕も共に涙をしたのだった。
ちなみにこのあとで僕は、この件のご褒美としてアリアとフレデリカからほっぺにチューをして貰えた。生きてて良かったと思った。