1.過労の勇者
ここは荒野。
幾体ものトロールが僕の行く手を遮っている。
全長五メートル。筋骨隆々。成人男性を超える太さの腕に握られているのは巨大な棍棒。あれを食らったら体の原型を留めることは難しいだろう。
だが、僕は恐れない。
幾多の戦いを経て、敵を恐れる心はすり減ってしまった。
僕の後ろには人間族で構成された王国軍が控えている。
今、この場所で、王国軍と魔王軍の戦いは火蓋を切って落とされようとしていた。
僕の隣に立つ、王国軍の先頭に立つ指揮官が片手を挙げる。すると、それを合図に角笛が重厚な音色を上げて、王国軍は前進を始める。
「勇者カイトよ、いつも通り任せたぞ」
指揮官はそう言って僕の肩をそっと叩き、後方へと下がっていく。
「……ああ」
僕は呟くように返事をすると、腰に下げた使い古した剣を抜いた。そして、人間達の先頭に立ってトロールの軍勢へと突撃する。
王国軍と魔王軍は荒野で衝突した。
振り下ろされるトロールの棍棒の一撃。
巨体から繰り出されるそれは、人間のこの身からすると圧倒的に長いリーチであり、必殺の一撃。
だが僕はひらりと棍棒をかわし、横薙ぎの一撃をトロールにお見舞いする。その攻撃は的確に相手の急所を捉え、トロールの巨体を平服される。
僕の素早い剣捌きで、王国軍から歓喜の声が上がり、彼らの士気を高めた。
トロールと言えども恐れることはない。細腕の人間でも倒すことができる。僕は王国軍に実演を持ってそれを表した。
勢いに乗った兵士達は手柄を争うように、敵に向かって突撃していく。
僕も負けじと次の相手に向かおうとしたとき、
「……あれ?」
急に目眩がした。
戦場の砂埃で目を痛めたのかと思って目を擦って見る。だが、嵐の海のように揺れる大地は一向に治まろうとはしない。
敵からの攻撃は貰っていない筈だ。
なのに、どうして、視界が揺らぐのか?
そんな疑問が頭を過ぎったとき、すでに僕は地面に膝をついていた。
そして、その記憶を最後に、僕の意識は途絶えた。
◇◇◇
初老の戦場医師は言った。
「度重なる戦いによる疲れ……まあ、言うならば過労ですな。しばらく休めば徐々に調子も取り戻せるでしょう」
戦場での記憶が途絶え、次に目を覚ましたとき、僕は王国軍の野営に運び込まれていた。
「過労……そんなことが……」
信じられないとばかりに僕は医者に聞き返す。
医者は安心させるようににこっと笑うと、
「ひと月ほど休息をとってください。体と精神のためにも」
と、僕が休んでいるテントから立ち去っていった。
一人テントに残された僕は、そっとため息を吐く。
「休みかぁ。そう言えばずっと働き詰めだったな」
僕はこの世界の生まれではない。別の魔法のない機械文明が発達した世界で生まれ育った人間である。そこでの僕は本当に何の才能もなく、路傍の石のようなありふれた人間だった。そんな僕はある日、事故に遭い、気がついたらこの世界へと転生していたのだ。勇者として。
それからの僕の人生は激動だった。
予言に従って現れた救世主として祭り上げられた僕は、王国のために敵国である魔界との戦いの日々を送っている。
前の世界ではいてもいなくてもどちらでもいいような存在だった。
しかし、この世界での僕は多くの人間から必要とされる尊い存在である。
僕はそれがとても嬉しくて、とにかく皆の為に働いた。休みなんて全く必要とせず働きまくった。
その結果がこの様である。
「転生した際に肉体も強化されてたから大丈夫かなって思ったんだだけど、大丈夫じゃなかったか。過労恐るべし」
無双の勇者の力を手に入れた僕ではあったが、長きに渡って蓄積した疲労には勝てなかったようである。
僕が自分の不摂生に反省していると、テントに指揮官が入ってきた。その表情はとても浮かない。どうやら大分心配をかけてしまったようである。
「勇者よ、大事はないと医者に聞いたが?」
「はい。ちょっと疲れが溜まっていただけのようです」
「そうか」
「ところで、戦いの方はどうなりましたか?」
僕が尋ねると、指揮官は顔に暗い影を落とした。
「戦いには勝利した。しかし、勇者が抜けた穴が大きく、被害が想定以上に出てしまった」
「そうですか……申し訳ありません」
やはり僕が倒れたことで皆に大変な迷惑をかけてしまっていたようだ。猛烈に反省するばかりである。
「過ぎたことを悔やんでも仕方ない。それより、もういつも通りに動けるな?」
「え、いや、まだ体に力が入らなくて、ちょっと……」
「なんてこった!」
見栄を張らず真実を口にすると、指揮官は天を仰いで大げさに嘆いた。僕の不調がよっぽどショックだったようである。そこまで心配してくれるなんてと、僕は内心でいたく感激した。
「このままでは行軍に遅れがっ。ああ、兵を王から預かった私の信用が」
「……」
うん。まあ、王様からの信用は家臣にとって重要なことだ。まず先に口に出ても仕方ないね。
指揮官は必死の形相で横たわる僕に詰め寄った。
「三日!」
「えっ?」
「三日ゆっくり休めば回復しますよね? だってあなたは勇者なんですから」
「え、ああ、どうでしょうか」
医者には一ヶ月休むように言われたのだが。
「三日の遅れだったら後日カイトさんが頑張ればなんとかなります」
僕が頑張るのか。頑張るけどさ。
指揮官は僕の肩を掴んで叫ぶ。
「カイトさん!」
「は、はい」
「あなたは必要とされている存在なんです。誇って下さい」
「ありがとうございます」
「ですから、頑張って早く良くなって下さい」
「はい。頑張ります」
指揮官の熱い眼差しに見つめられ、僕もなんとなく頑張らないといけないな、という気持ちになった。
「……よし。では、私の馬車を用意します。近くに村があった筈なので、そこで急速に休息をとって、早急に戦線に復帰してください。お願いしますよ?」
「はい。頑張ります」
こうして僕は異世界に転生して数年ぶりの休暇に入ることとなった。