シェリル・パルディ(1)
シェリル視点のサイドストーリーです。今後も時々はいるとおもいますので、こちらもお楽しみください。
「ぼくが行くよ」
近衛騎士団親衛隊長アクセル・デュバルが口にしたその一言は、現在の王宮の状況の中で王女シェリル・パルディがもっとも待ち望んでいたひと言であり、ひとりの女としてのシェリルが決して聞きたくなかった言葉だった。
兄であるパルディーリャ国王マキシム・パルディは,頻発する部族抗争に対する無策とも言えるその姿勢に批判が高まっており、マキシム個人に対する批判は次第にパルディ家、そして王宮に対する不満に転化しつつあった。シェリルは幾度か兄マキシムと話し合ったが、マキシムはそのつど曖昧な返事を返すのみで、シェリルの言葉を正面から受けとっているようには見えなかった。
(お兄様は変わってしまわれた)
そう考えるに至ったシェリルは、国内の状況をこれ以上悪化させないことを最優先する決心を固めた。そして、マキシムを実力で排除すべく、パルディーリャ全軍に睨みを利かせる憲兵隊長のモーリス・ジベットとはかり、クーデターを起こした。
しかし、情報の管理に気を使うあまり、シェリルは憲兵隊と近衛騎士団のごく一部の兵力しか投入できず、国内有数の剣の使い手である兄マキシムとその護衛二人、ピーター・ウィギンスとアンドレ・バルテルの武の力の前に、クーデターはあっという間に手詰まりになってしまった。ここでシェリルは自らの失敗を悟り、死を覚悟する。
しかし、本来ならばそこで逆襲があり、クーデターがただちに崩壊して不思議はない状況であったにもかかわらず、マキシムたちは国王私室に立てこもったまま出てこない。形勢を一気に逆転するための当然の行動をとらないマキシムの真意を、シェリルも、ジベットを含めた主要な面々も、誰も理解できない。
クーデターに関わらないことを明言していた親衛隊長アクセル・デュバルが現れたのは,そんな状況の中だった。
シェリルが初めてアクセルと会ったのは、八歳で王立幼稚舎に入舎してすぐのことだ。二つ上の兄マキシムの親友として彼女の前に現れたアクセルは、その瞬間から彼女を引きつけた。大人すらときには圧倒する剣の腕の持ち主であるマキシムをあっさりと打ち破る剣才を持ちながら,それをふだんは感じさせない人間としての力の抜け方、すこし他人と距離を置きつつ、もっとも欲しいときにさしのべられる手、兄を見えないところで支える気配りと、シェリルから見えるアクセルは、彼女を惹きつけ続けた。
シェリルのアクセルに対する思いは、アクセルが高等学院を卒業して近衛騎士団に任官されても、さらにその二年後に彼女が卒業して公務につき始めても褪せることなく、むしろつのり続けた。シェリルはその思いを封印することをせず、アクセルの妻となることを心の中で決意し、周囲の説得にかかった。アクセル自身が王宮内でも逸材と評価が高かったこともあり、彼女が王族を離脱することを含めて内々の調整は順調に進み、二年が経過するころには、シェリルは外堀を完全に埋めて、アクセルへの直接のアプローチの開始を待つばかりとなっていた。
だが、国王フェルディナンド・パルディが病により突然逝去し、兄マキシムが即位したことで、すべての歯車が狂い出す。シェリルの二人の姉はすでに国外に嫁しており、弟のロメルがまだ七歳と幼いこともあり、シェリルはマキシムが斃れた際の王位継承権第一位という立場になってしまった。もはや彼女が王族を離脱することはかなわず、彼女の結婚は彼女自身が決められる問題ではなくなった。そして、シェリルは自分の恋心を完全に封印した。
「でも、もともとアクセルは『自分は関わりたくない』と……。だからわたしもムリをお願いはしなかったのよ?」
アクセルが、内々に打診したクーデターへの参加を拒んできたとき、シェリルはひそかに胸をなで下ろしていた。兄を殺そうとする自分を間近で見られないですむという安堵、そして、アクセルを死地に追いやらずにすむという安堵が入り交じった思いだった。ジベット憲兵隊長は、その後もアクセルに計画参加を強要することを求めてきたが、「これ以上アクセルの望まぬことを強制しようとすれば、計画が危険にさらされる」という建前を押し通して突っぱねていた。
「そういう段階じゃないみたいだ。とにかく終わらせなければ、先に進めないだろう?」
アクセルの言葉は正論だった。兄が廃されるか、シェリル自身が報いを受けるか、いずれの結果であっても、とにかく一刻も早く決着をつけなければ、それだけ国が傷んでいく。
「それはそうなのだけど……」
「シェリルはこのあとのことを考えて欲しい。今回のことが人々を苦しめる結果にならないように」
(ああ、この人はすべてを見通している)
シェリルは、アクセルの言葉に含まれる意味を理解し、自分も覚悟を決めた。クーデターが頓挫しかけている状況で王のもとに赴く親衛隊長がとることを期待される行動、そして、そのあと事態を収束するためにシェリルがとるであろう行動、そのすべてをアクセルは承知している。彼女は、自分の恋があとかたもなく砕け散る音が聞こえたように感じた。
「わかったわ」
シェリルは、アクセルが決して自分を許すことはないだろうと思いつつ、毅然とした表情で彼に答えた。
「国王陛下、警護二名の死亡を確認しましたが、アクセル・デュバルの行方が不明です。部屋のどこかにある脱出路から外に出たものと推察されます。捜索命令を出したいと思いますが、よろしいですか?」
ジベット憲兵隊長は、淡々と報告を行いながら、探るような目つきでシェリルを見る。シェリルは、自分が試されていることを理解した。横には捜索の指揮をとるであろうボウマン副長も控えている。ただ、彼には、この混乱の首謀者がアクセルであると説明されていた。
「お願いします。彼の立場が依然として親衛隊長であること、これまでの彼の貢献に鑑み、王家が彼を一方的に処断するつもりはないということを、部下の方々に徹底させてくださいね? また、デュバル親衛隊長を発見したら、それをはっきり伝えてください」
そう言いつつも、シェリルは、アクセルがそんな世迷い言に騙されないということを知っている。だが、ボウマン副長は救われたような表情を一瞬浮かべ、退出していく。彼女は、ボウマン副長がアクセルとよい関係を保っていたことを思い出した。
「デュバルは乗ってきますかね?」
ジベットは、またも探るように尋ねてきた。
「あなたはどう思うのですか?」
「ボウマンが言えば、乗ってくる可能性はあるでしょう。わたしが言っても決して乗ってこないでしょうけどね」
(ジベット憲兵隊長は、アクセルを本当には理解していない。彼は決して乗ってこない。なぜなら、あの人は、わたしがあの人を処刑するつもりだということを知っている)
だが、シェリルはそのことをそのままジベットには伝えなかった。
(わたしの思いは、こんな人には教えてあげない)
「ジベット隊長、捜索が振り切られたときの追跡にあてる人員はそろっていますか?」
「まだ不十分ですね。ここまで情報を隠してきたのが裏目に出ています。説明が難しく、少しずつしか集められていません」
「急いでください」
「捜索を振り切ったとして、彼はどこに向かいますか? やはりフルムですか?」
普通はそう考えるだろう、とシェリルは思った。クリスティーナはアクセルが頼れば無下にはしない、ということは、シェリルたちの交友を知っている人なら想像できることだ。それを防ぐには、正式な文書でアクセルの逮捕を依頼しなければならないが、手続きとして時間がかかる。
「決めつけるのは危険です。どこで彼を捕捉出来るか、それによって柔軟に動けるようにしてください。アンセルムの可能性も忘れないように」
「さすがにあそこには向かわないのでは? ひとつ間違えば完全に逃げ場を失います」
「わたしたちがそう思うことを、あの人は知っていますよ」
「わかりました。また動きがありましたら報告に参ります。賢明なご判断とご指示、安堵いたしました。失礼します」
ひとり残されたシェリルは、ジベットが退出していった扉をじっと睨みつけた。そして、自分の心が泣き崩れるのを感じ、唇をキュッとかみしめた。
お読みいただいた方へ。心からの感謝を!