0-2 果たされてしまった約束
「近衛騎士団への任官おめでとう」
高等学院の卒業を半年後に控えた冬の放課後、校舎裏の日だまりで微睡んでいたアクセルは、マキシム・パルディのよく通る声でたたき起こされた。
「マキシム、それは非常に光栄だけど、きみからではなく教官から聞くべきことじゃないかな。そして、ぼくはまだそんな話を聞いていないし、聞いたあと、それを受けるかどうかも決めていない。突っ込みどころが多すぎだ」
高等学院も最終学年になると、どの学生も自分の卒業後のために真剣に動き出す。男子生徒の場合は三分の二ほどが通常の高等課程のほかに騎士予科に在籍しており、卒業後はいずれかの騎士団への任官を目指す。ただ、そのだれもが夢見る近衛騎士団への任官は、学生の希望とは無関係に王宮が候補者を精査し、任官者を決定する。それを受けるかどうかは学生の意思に任されているが、過去十五年にわたって辞退者は出ていない。
アクセル自身は進路として近衛騎士団にこだわってはいなかった。ただ、学院内はおろか国内を探しても彼に剣で勝るものはすでにないといわれており、座学の成績もまずまずで性格的にも問題がなく、王族のマキシムやシェリルとも親しい。近衛騎士団が彼を任官させることを疑うものはいなかった
「オレが昨日書類に署名したからな。間違いなど起こりようがない。たぶん明日には進路担当のメネス教官あたりから知らされるだろう」
「だとしても、ぼくが受けると決まっているわけじゃ……」
「あら、アクセルさんはわたしを守るのはゴメンだ、とおっしゃるのですか?」
マキシムのうしろから、彼の二歳下の妹であるシェリルが顔をのぞかせて言った。泣きそうな表情を作っているが、目が笑っている。それに、アクセルは幼稚舎三年で初めて彼女と会ったときから、彼女が泣いたところを見たことがない。
「シェリル、何度言ったらわかる? 近衛はおまえだけを守るものたちではないぞ? 少なくともアクセルはおまえの警護には就かん」
「どうして? 経験の少ない若い騎士なら、お父様やお兄様の警護よりは、いてもいなくてもたいして変わらないわたしの警護につく可能性の方が、絶対に高いと思うわよ? 官房の方にいっしょうけんめいお願いすれば、きっとかなえてくださるわ」
ふつうに考えれば、任官しても十年近くは王宮、それも外縁部の見回りに明け暮れるはずだが、シェリルが本気で希望すれば、おそらくそれは実現する。それほど彼女の人を動かす力は並外れている。そして、それをじゅうぶんに自覚しているシェリルは、決して自分の言ったことを実行しないだろう。
「だから、アクセルをおまえの都合でどうこうするな、と言っているのだ」
「自分の都合でアクセルさんを近衛に入れようとしてるのはお兄様でしょ?」
会話は、いつのまにか兄妹の言い争いになってしまった。これもいつものことで、アクセルが割ってはいるまで続く。
「だから、そもそも受けるとは……」
「あきらめなさいな、アクセル」
背中の方から、女性にしては低音の効いた美声がアクセルを窘める。高等学院から同級生となった、フルム帝国の第一王女クリスティーナ・フルムである。振り向いてみると、クリスティーナはいつもどおりルビエラをうしろに従え、腕を組んだ、これもいつものポーズで立っている。ルビエラは、これもいつもどおりクリスティーナの長身の影で気配を極限まで消している。
「マキシムと幼稚舎で出会ってしまったことで、あなたが決めるあなたの人生などというものはなくなってしまったのよ。どうしてもいやなら、フルムに亡命していらっしゃいな。ルビエラの使い走りとして雇ってあげる」
自分が直接話題に出たにもかかわらず、ルビエラの表情はみじんも動かない。それが、彼女の使い走りという立場の厳しさを逆に感じさせる。
「おいクリスティーナ、窘めるふりをしてアクセルを持ち帰ろうとするな」
「アクセルさん、大人気ね? うらやましいわ」
この言い争いの引き金を引いたシェリルが、そんなことは忘れた、と言っているようなけろりとした顔で言う。アクセルは、なにを言うのもバカバカしい、という思いで、ただため息をつく。
「だが、真面目な話をすれば、時間はあまりない。アクセルには『決めてない』などと世迷い言を言っているヒマなどないはずだ」
マキシムは少し表情を引きしめる。
「意味がわからない。時間がない、ってどういうことだい?」
「父上はあまりお体が丈夫ではない。早ければ、十年ほどでオレが王位を継がなければならなくなる」
「それは……そうだね」
マキシムとシェリルの父親である、現王のフェルディナンド・パルディは知性と思慮にあふれた賢王であるが、その健康については多くのものが危惧している。もちろん、王家は全力でフェルディナンドの健康を支えていくだろうが、最悪の事態は常に想定しておかなければならない。それは、王太子として常にもっているべき覚悟だ。
「考えてもみろ。おまえはそのときに近衛騎士団長になる。そのためには、五年以内に親衛隊長まで駆け上がっていなきゃならない。まわりから異論が出ないだけの実績を作らなきゃならないぞ。時間などいくらあっても足らん。おまえがいてこそ、オレは安んじてこのパルディーリャを争いのない国にするためのあれこれに専念できるんだ」
マキシムの統治者としての夢が「争いのない国」の実現だと言うことは、アクセルはこれまでに何度も聞かされている。そこに異論は全くないアクセルだが、それとこの話は別だろうとも思っている。
「マキシム、アクセルの肩を持つわけではないが、それはすべておまえの都合ではないのか?」
「お兄様、いろいろ台無しです……」
クリスティーナとシェリルは深くため息をつく。アクセルも気持ちは全く同じだ。
「無茶を言わないでくれ、マキシム。いま親衛隊で一番若い隊員が任官四年目で、異例の速さだっていわれてたじゃないか。どういう実績があれば五年目で隊長になって、異論が出ないっていうんだよ?」
「前例など知らん。とにかく、オレは五年でおまえを親衛隊長にする。そのときにふさわしい実績がなければ、恥をかくのはおまえ以上にオレだ。オレと一緒に体面を失うのがイヤなら、おまえが頑張れ」
「滅茶苦茶だよ……」
「まあそう言わないでやれ、アクセル。この男はどうしてもおまえにそばにいてほしいのだ。わたしとしては男同士のそういうのは少々気持ち悪いと思うが、心情は理解できないでもない」
「そ、そばにいてもらいたいとか、そういう話ではない! オレは……」
クリスティーナの軽口にマキシムはムキになって反応し、彼女の指摘が正しかったことを証明してしまっている。
「わかったよ、マキシム」
アクセルは助け船を出すかのようにマキシムの言葉をさえぎる。
「親衛隊長になることも、騎士団長になることも約束なんか出来ない。だけど、きみが死ぬそのときまで、ぼくはきみが呼べば駆けつけよう」
「ア、アクセル、そんなことを言ってしまってよいのか? 永遠に生きなければならなくなるぞ?」
これまで妙に上から目線だったクリスティーナが少し慌てている。
「クリス、おまえ人をなんだと思っている! ……まあいい。アクセル、約束しろ。おまえはぼくが呼べば駆けつけると言ったな。ならば、一日でもいい、オレよりも長く生きろ。決してオレより先に死んではならん」
「約束しよう。きみが逝くまで、ぼくは死なないよ」
(約束は果たしたのだし、マキシムが最後にあんなことをぼくに言わなければ、このままシェリルに死刑台に送られてもかまわなかったんだけど……)
アクセルは、憲兵たちの陣形を観察し、スキを探っている。だが、頭の中には先ほどまでの出来事が勝手に再生されてしまう。
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