1-8 選択肢
「質問を聞いてみないと答えられないですわね」
命を材料にアクセルが持ち出した取引に、女はなお顔色を変えることなく確答を避けた。それが、目の前の女が頭の先まで玄人の世界に浸かっている人間であることを、アクセルに強く思わせる。
「了解。じゃあ質問を限定したらどうでしょう? ぼく自身のことに関して、あなたの知っていることを答えてくれたら、このままきみを解放します」
「もうひと声くださらない? 質問ひとつごとにそれを確認していただけたら、答えられる質問に答えずに旅に出てしまうことを避けられますわ。そして、できれば答えやすい質問から始めていただけると助かります」
(油断もスキもない人だな)
アクセルは少々の驚きをもって女を見た。彼は、自分の問いに対して女が条件を出してくることを想定していなかったのだ。殺されても守るべき情報は守る覚悟を持ちながら、生きのびるわずかな可能性も逃さない、というのは、アクセルにとって新鮮な反応だった。
この女を殺さないですむ可能性を彼は模索した。
「受け入れましょう。では、まず最初の質問。トニーという男は、ぼくを生かしておくつもりだと思いますか?」
「あの男は役にたつ男は殺しませんわ。逆に、そちらの盗賊が厄介ごとを持ちこんできたとしか思わなかったら、あのふたりがすでに動いているでしょう。あのふたりにあなたがなんとか出来たかどうかは別ですが」
ゲドは「そちらの盗賊」といわれて憮然としているが、女が伝えられる情報を伝える意思があることは、アクセルには伝わった。彼はさらに質問を工夫する。
「あなたはぼくを排除したいと思っていますか?」
女はすこし考え込んで、少し自嘲的な笑いを浮かべた。
「こんなところをウロウロ嗅ぎまわっている人間の考えることなんて、似たり寄ったりですわよ」
「この界隈には、よその国から来た人間は出入りしていますか?」
「同じようなことを考える人間は、同じようなところに集まりますわね」
「わかりました。行っていいですよ」
そう言ってアクセルは両手を挙げた。女は最低限必要とした情報を提供したと感じていたし、これ以上は実のある情報を聞き出せる気がしなかったためである。そして、トニーと異なる勢力にいるとみられるこの女を生かしておくことに、それなりの利を感じ始めてもいた。
女は表情は変えなかったが、ほんの少しだけ肩の力が抜けたように見えた。そしてふいにアクセルの目を正面から見た。
「取引ですから、解放してくださることに恩義は感じておりません。ですが、いろいろと工夫を凝らしてくださったことには、素直にお礼を申しあげます」
「それはどうも」
アクセルは相手の真意が読めず、すこし間の抜けた返事を返した。
「この街に長居をなさるなら、宿はマメに移ることをお勧めしますわ」
どう言葉を返すべきか迷ったアクセルを尻目に、女は広場の人混みの中に消えた。
「なんつうか、妙におっかない女でしたね。やり合えばオレでも勝てそうな気はしたんですが、そういうのとは別の凄みがあったというか……」
女の姿が見えなくなったところで、自分の話が出たあたりからかなりの緊張状態を続けていたらしいゲドは、ずいぶん離れても音が聞こえそうなため息をついた。
「ゲドは彼女が誰だかは知らないのかい?」
「見たこともありませんよ。オレみたいなチンピラの動きを、なんで会ったこともないような女が知っているのか、気持ち悪くてしょうがありませんね」
「たぶん、めぼしいよそ者の動きはすべてチェックしているんだろうね。それも、複数の勢力が別々に。この街の、少なくともこの界隈は、日常的な情報の探り合いの場だと考えてよさそうだ」
「トニーもあの女も、オレたちの素性をつかんでいると?」
「間違いないよ。少なくともトニーは、ぼくたちの利用価値がないと感じたところで、パルディーリャの諜報員にぼくたちを売るつもりだということもね」
「ということは、オレたちがなぜここにいるかまで? だからあの女は、マメに宿を移せと?」
「それ以外に解釈のしようがあったら教えてほしいよ。考えてみれば、ロンバルディアの船がこれだけパルディーリャとの間を行き来しているんだ。うちの諜報員より情報が早くても不思議はない」
ゲドは身震いした。多少の汗がその額に浮かんでいる。
「じゃ、じゃあ、さっさとこの国を出た方がいいんじゃないですか?」
「ある意味、手遅れだね。いま動いても、この国を離れた時点でその情報が、どこに向かったかを含めて諜報員に渡る。目的地にぼくらのほうが早く着けるとは限らない」
「詰んじまってるじゃないですか!」
思わず叫んでしまったという風情のゲドの肩にアクセルは手を置いた。
「落ちつこう。ぼくは『いま動いても』と言ったんだ。誰かに恩が売れれば別だ。出国を隠し通すことは出来なくても、情報が伝わるのを遅らせてくれるぐらいの恩をね」
「トニーを頼る、ってことですかい? こう言っちゃなんだが、オレは仕事をしていく上で話を通さないといけない相手としてあいつを連れてきたんで、信用できる相手だとは全く思っちゃいないんですけどね」
「別にトニーには限らないさ」
そう言いながら、アクセルはトニーとの会話、先ほどの女性との会話を思い出していた。
(おそらく、トニーはぼくの使い道が頭にあるはずだ。その意味で頼りやすい相手でもある。しかし、見切りは早いだろうな。その見極めが難しい。その点では、先ほどの女性の方がこちらもゆとりを持てるはずだ)
そしてアクセル自身、彼女の素性について、あるていどの確信を持って想像することが出来ていた。
「先ほどの彼女、トニーとは真逆の立場の人間だよ。うまく食い込めれば、トニーよりもむしろ安心してつきあえるかもしれない。もちろん、力と利用価値がすべてのこの国のことだし、信用はしないけどね」
「もうちょっとわかりやすく教えていただいていいですかね?」
「彼女は支配者か、そうでなくても貴族にあたる層の側の人間だよ。人間は追い詰められれば言葉も地が隠しきれなくなる」
「そりゃ、言葉遣いが荒くなるのを指して言われていることじゃないですか? 別にあの女はそんなところはなかったですけどね」
「彼女の場合は逆だよ。微妙に洗練された言葉遣いになった。それが彼女の地だ」
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