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王の道と王殺し  作者: 茶虎
第一章 逃避行
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1-6   アンソニーという男

「パノバにようこそ」


 ゲドが連れてきたアクセルの目の前の男は、指定された酒場で待っていたアクセルの前に腰を下ろすなり快活に話しかけてきた。人のよさそうな笑いを浮かべた優男で、話し方も話す相手の緊張を解きほぐすような、柔らかい口調だ。


 だが一瞬男の存在から見えた死の気配に、アクセルは思わず腰の剣に一瞬意識を向ける。そのアクセルの意識の動きに反応するように、男の背後のテーブルに座ろうとしていた二人の女の気配が剣呑なものに変わった。アクセルは、護衛と思われるその女たちの戦闘力を、ひとりであれば不覚はとらないがふたり同時に相手をすると一筋縄ではいかない水準、と判断した。


 ここでもめごとを起こす気のないアクセルは、わざとらしく両手を大げさに机の上に出す。ふたりも何ごともなかったように、注文のために店員を呼んだ。





「旦那、本当に殺し屋をやるかどうかはともかく、とりあえずオレが戻るまではおとなしくしていてください。いいですか、何もしないでくださいよ?」


 三日前、ゲドが真剣な表情でアクセルにそう言った。二人がオルランディア公主国の首都パノバに到着し、宿を取ってそこの食堂で軽く食事をしているときであった。


「何もしないでくれって、さすがに着いたばかりで何も知らない街で、すぐにできることなんてないよ」


「そういうことじゃないです。旦那が本当に心を決めちまったら、オレじゃどうにもなりません。心を決めるのも待ってくれって言ってるんです。その前にやらなきゃいけないことがあるんですよ」


「何が言いたいんだい?」


「旦那はこの国が、この街がどういうところなのか、知らなきゃいけません。オレがこのあいだ,ここの世界が厳しすぎたって言ったでしょ? あれは、裏の世界が厳しいってだけの意味じゃない。もちろん厳しいのも確かなんですが、表の世界と裏がどうつながっているか、それをよく知っておかなければ命がいくらあっても足りない、っていう意味でもあるんです。こう言っちゃなんだが、旦那は、自分が表の世界を離れれば、それは裏の世界に入ることだと思ってませんか?」


 ゲドの口調は、これまでになかったほどに厳しい。そして、その言葉はアクセルの心を正確に言い当てていた。


「もう少し、ゲドの言いたいことを詳しく話してくれるかな? 表と裏の間に何かある、っていうこと?」


「旦那が生きていた世界は、まさに表の世界だ。そして、オレがこの間までいたのは裏の世界です。そいつは間違いない。だけど、その間にいるほとんどの人間は、どちらにも足を突っ込んでいるヤツらなんですよ」


「ほとんどの人は、どちらの世界の住人にもなる可能性がある、っていうことかい?」


「そんなところです。だから、今のオレだって、盗賊から足を洗ったからってすぐに表の世界の人間になってるわけじゃない。そもそも、どこからが裏でどこまでが表か、線なんか引けないんですよ。表にいたつもりの人間が、なにかのきっかけでいつの間にか裏に入りこんでいた、なんて話はいくらでもあります。そこをよく考えずに裏の世界に入りこむとケガをする。そして、この国の場合は簡単に死ねます」


 ゲドの指摘は、アクセルの心に棘つきの刃のように食い込んだ。アクセルも、裏の世界に暮らすことを軽く考えていたわけではなかったが、表の世界と裏の世界の関係に十分思いをはせていなかったことも事実であった。


(卒業して近衛騎士団で七年、少しは世間を知ったつもりでいたつもりだったけど、まだまだお話にならないってことかな)


「わかった。しばらくは自分で勝手に決めないで、ゲドと相談しながら動くことにする」


「それを聞いて安心しました。オレは前にここに来たときに顔見知りになった男と会ってきますので、戻るまではのんびりしててください。いいですか? のんびりするんですよ?」




「はじめまして。アンソニーと申します。トニーと呼んでくださればけっこうです。この街でちょっとした商いをさせて頂いています。ゲドさんとは、以前ちょっとした関わりがあったのですが、久しぶりに訪ねてきてくださって、本当に嬉しかったですよ」


 トニーは相変わらず満面の笑顔で話すが、商いといってもまともなものばかりではなかろう。アクセルはゲドが一瞬渋面を作ったのを見た。


(ゲドがなにをどう話したか確かめる時間がなかったし、この男を見極めるまでは、気を許してはいけない)


 アクセルは、ゲドが彼の名前を明かすような真似はしていないと考え、本名を名乗るのを控えることにした。


「はじめまして。アックスと呼んでください」


「よろしくお願いします、アックスさん」


 トニーは変わらぬ笑顔のままで言った。




「ゲドさんから、この国が初めてのアックスさんにいろいろ話してさしあげてくれ、と頼まれましてね。なんでも、しばらくこちらにいらっしゃることになるとか? アックスさんにも、いろいろ訊きたいことがあるでしょうが、その前にとりあえずわたしが思いつくことをざっとお話ししましょう」


 アクセルは,ゲドの話を思い出し、トニーの言葉を「よそ者に勝手なふるまいは許さない」という意味に解釈した。


「この国は、アックスさんがいたパルディーリャと比べて小さな国で、住民の数もそんなに多くはありません。もともとは大陸との行き来もあまりなく、人々が肩を寄せ合ってひっそりと暮らしてきました。そのため、この国の人々は概して、急な変化、大きな変化を好みません。国を作り上げてきた、人々の『力の合わせ方』が変わるからです。お国のように多くの人が住む国では、新しいやり方を持つ人がすぐ現れるかもしれませんし、古い人が消えていってもすぐに新しい人がそこを埋めるでしょう。ですが、この国のような小さな国では、社会がそのようにうまく回らないのですよ」


 アクセルは、高等学院でオルランディアのことを「伝統を重んじる国」と紹介していたことを思い出した。そういう紹介が聞くものに与える印象と、トニーが説明するオルランディアの姿との間のずれに、彼は興味を惹かれた。


「ですから、この国では公主が出す法以上に、社会に不文律として定着したしきたりのようなものが重んじられます。この国の社会をうまく回していくために、徐々に作り上げられたものですからね。そして、そういったものを踏みにじる行為には、相応の報いが与えられるのです」


 トニーの目が,ここからが本題だというように一瞬鋭く光った。

お読みいただいた方へ。心からの感謝を!

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