1-5 オルランディアの港にて
「旦那、そろそろその髭、どうにかした方がいいんじゃないですか? せっかくの色男が台無しですぜ」
「色男とかはどうでもいいけど、おかしいかい? なんとなく、髭があるのに慣れてしまったし、しばらくこれでいいと思ってるんだが」
「どうでもいいとか……。でも、パルディーリャの中ならともかく、ここなら旦那をすぐに見分ける人間なんてそういないでしょうが」
アンセルムの港を出て七日目の朝、船はオルランディアの最大の貿易港であるティグアに到着した。問題なく下船したアクセルたちは、港の近辺で目についた食堂に入ることにする。アクセルにとっては、ほぼひと月ぶりの街中での食事であった。食べられるものを作るというだけの自炊ではない、料理人が作る料理に、彼は生きていることを実感した。
緊張からの解放はゲドにとっても同様だったらしく、アクセルの冷たい目をものともせずに、朝から酒をチビチビとすすっている。二人が向かい合ってゆっくりと食事をするのも、出会って以来初めてのことであった。
「しかし、食事ひとつでこれだけ気持ちが上向きになるものなんだな」
「あたりまえじゃないですか。この世の悩みの九割は、うまいメシとうまい酒があれば吹っ飛ぶし、わだかまりの八割は消えちまいます。まあ、それでも吹っ飛ばない残りの一割と二割が厄介なんですがね」
アクセルは、これまで食事というものをそう重いものととらえていなかった。しかし、生と死の境目にしばらく身を置いたことで、ゲドのいうことを実感として受け止めることが出来る自分を感じていた。
オルランディアは二つの大きな島とそれを囲む無数の小島からなる島嶼国である。水産業と水産加工業が盛んで、パルディーリャや北のオルランドとの貿易で大きな利益を得ている。だが、アンセルムから七日、オルランドの港町であるパノバから二十日と、さほど大陸国家から遠くないにもかかわらず、交流の歴史は比較的浅い。
長らく他国との交流を行ってこなかったオルランディアは、水産業を基軸にしつつも農業、鉱業も十分に盛んで、基本的に自給自足が可能だった。大陸国家の方も、オルランディアに対しては最近まで交流ではなく侵略を企図することが多かったのだが、無数の小島が水軍の効率的な運用を阻み、兵を出すたびに地の利のあるオルランディア水軍に大きな被害を強いられて撤退を余儀なくされてきた。
オルランディアの統治者は公主で、その役割はパルディーリャにおける国王とほとんど変わらない。ただ、その地位は世襲ではなく、公主の死亡や引退のたびに四大領主の合議で決定される。そして、その合議が武力を伴う争いに発展することも珍しくない。オルランディアの公主は力の象徴であり、その外交も「力には力を」をを基本としたものだった。。
流れが変わったのは先代国王フェルディナンドの治世においてであった。彼は基本方針を征服から交流に大転換し、粘り強い交渉の末に両国の間に和解を成立させ、これによって人や物資の交流が正式に始まったのである。ただし、危険な航路を通航できるパルディーリャの船はほとんどなく、両国間の海運は依然としてほとんどオルランディアに支配されている。あぶない橋をわたりながらもアクセルがティグアに降り立つことが出来たのも、船がパルディーリャのものではなかったことが一つの要因だった。
アクセルは、オルランディアにとどまる期間を決めかねていた。しばらく心身を休めたいのは事実であったし、マキシムとの約束を考えれば、パルディーリャと性格が異なる統治者を戴くオルランディアを知ることは大きな意味がある。だが、国と国の関係でオルランディアに主導権を握られているパルディーリャが、状況の逆転を狙って少なからぬ諜報員をこの国に潜入させていることをアクセルは知っていた。
(彼らはまだマキシムが死んだことは知らないかもしれないけど、ぼくがここにいることを知れば、当然不審に思うだろう)
頭の中が袋小路に入りこんだアクセルが顔を上げると、ゲドがあいかわらず酒をチビチビすすりながらアクセルを見ていた。
アクセルは、この男が風体とは裏腹に巧みに空気を読むことに気づいていた。思えば、三人の盗賊で狙った獲物がアクセルであることに気づいたのものこの男であったし、その後も、アクセルが考えごとにふけっているときは、決して声をかけてこなかった。
「ゲドはこの国に来たことはあるかい?」
「はあ、七、八年前にいちど、新しい稼ぎ場ができたっていうことで、勇んでやってきました。ただ、あまりにも命の値段が安いんで、ほうほうの体で引き上げてきましたが」
「命の値段が安い?」
「パルディーリャだったらちょっと大きく損をするていどでおさまる失敗で、この国じゃ簡単に命がなくなります。失敗と死が直結しているんですよ。力があればのし上がっていける国ですけど、ちょっとオレには緊張感が厳しすぎました」
アクセルは、そのあたりは公主の座の決め方に至るまで一貫しているのだろう、と想像した。力があれば暮らしやすい国ということでもある。
「この国でしばらく生活するとして、ぼくでもすぐに出来る仕事はあるかな?」
「旦那は学もあるし、何でも出来るでしょうが、手っ取り早くとなると護衛か傭兵でしょうな。旦那の腕なら絶対に文句は出ない」
「護衛はちょっとまずいな。他人との関わりが出来すぎる」
「ならやっぱり傭兵でしょう。あとは、殺し屋ですかね」
天井を見ていたアクセルは、考えてもみなかった選択肢に少し驚き、思わずゲドに視線を移した。
「殺し屋?」
「いやいや、冗談ですって! 怒らないでくださいよ」
ゲドは必死で自分の言葉を打ち消した。その表情にははっきりと恐怖が浮かび上がっている。その恐怖を和らげるように、アクセルはニッコリと笑ってみせた。
「怒ってはいないよ。意外な考えだったんで、少しビックリしただけだ」
「ビックリした、って目じゃなかったですから。斬られるかと思いました」
はっきりと身体から力を抜きながらゲドは声を絞り出した。
「すまん、すまん」
たしかに、ひと月前までのアクセルであれば、殺し屋というのは候補になり得ない選択肢だっただろう。だが、経緯はともかく、彼はこのひと月ですでに五人の命を奪っている。うち二人は、逃亡という純粋な自分の都合だ。運が悪ければ、山で彼を包囲していた憲兵にも、ひとりくらいは命を落としたものがいたかも知れない。
アクセルはこれまで王道だけを歩いてきた。その王道を失ったいま、闇に落ちて、そこからもういちど世界を見つめることも無意味ではないと彼は感じた。
「ゲドには連絡役をやってもらうことになるね」
「ええっ!? 本気ですか、旦那!? ああ、そうか、いわゆる『悪いやつしか斬らない』ってやつですか?」
「人殺しにいいも悪いもないだろう。難易度と報酬次第だよ」
「とんでもねえ元親衛隊長だよ……」
「それなら、仕事は首都のアンダルの方が多いかな。香辛料と骨董は売って少しでも手持ちを増やしておいた方がいいね」
「しかも、えらく乗り気なんだ、この人……」
自分の言葉がとんでもない結末を招いたことを知ったゲドは、少しスッキリした表情になったアクセルの前で頭を抱えていた。
お読みいただいた方へ。心からの感謝を!
アクセルの人生はとんでもない方にハンドルが切られてしまいました。




