7■上から目線
大学生、大学院受験のころ
私の通った音大は、かなりのほほんとしていて、熾烈な戦いはあまりなかったと思う。上手い人を妬んでトゥシューズに画びょうを入れるような卑劣なことをする人もいなかった。
下手な人は、自分の実力を受け入れ、どうすれば上手くなるか、日々練習に励んでいた。
妬み嫉みはなかったのだ。
それなのになぜだか、自慢する人というのはいた。
「私の先生はね、すごいのよ。私は、門下の中でも先生に一番に可愛がられていて・・・」
という自慢を聞いたことがある。
地方から出てきた子はわりとそういう子がいた。
そのナントカ先生に一番に可愛がられているから、自分は上手い、と言いたいらしい。
「コンクールには出たことある?」
と聞かれることもあった。
「ない」
と答えると、
「私は地元のコンクールで奨励賞をいただいたの」
奨励賞って・・・微妙。
「すごいね」
私はコンクールなど出たこともないし、しがない音高あがりで、自分が上手くないことを知っているから、素直に「すごいね」と言うと、相手はドヤ顔になる。
確かに、外部受験で音大に来た人たちはみんな上手だった。
地方から来た人は、その地方で一番上手かったのだろう。そういう自信も見えた。
素直にすごいなあと思っていたが、最初の試験の結果が出た後、そういう変な自慢をしていた人は、急になりをひそめた。
自分は「一番」になると思っていたのだろう。だけど、どうやら彼女たちがいた場所は小さな井戸だったらしい。
上には上がいたのだ。
逆に言えば、私は絶対底辺だと思ったら、意外と普通だった。
良かった。普通で。
それから4年。
大学院受験の準備のころ、嫌なウワサを聞いた。
「マロンが受かるはずがない」
どういうこと?
どういう根拠?
なんで、私?
なぜだか不思議だったのだけれど、私が話題に上っていた。
大学院の受験科目には西洋音楽史や和声学というのがある。これは結構難しくて、普通の人たちはその専門の先生に習ったり、塾のようなところに行っているらしい。
だけど私はその塾の存在も知らなかった。
誰かに「塾に行ってるか」聞かれたのだっただろうか。よく思い出せないのだけれど、私は塾の存在も知らなかったくらいで、習いには行ってなかった。
そのことを知った人たちに「受かるはずがない」と言われていたらしい。
「そんな甘いもんじゃない」とも言われていた。
いいじゃない。
ライバルが1人減るんだから。私のことなんて放っといて、話題になど上らせなければいいのに。
どうして私のことをわざわざ話題にしたのか、その頃はわからなかった。
だけど、少ししてからわかった。
彼女たちは、自分の方が上にいることを確認したかったのだ。自分より下の人がいることで安心したかったのだろう。
その頃の私は、歌の成績はそこそこだった。声楽の実技だけでは受かるかどうかかなり微妙なところにいたはずで、その微妙な存在は、もしかすると受かるかもしれないという、ちょっとした邪魔者だったのだろう。
塾に行けば受かる、というわけではない。
塾に行かなければ受からない、というわけでもない。
私は西洋音楽史と和声学は得意だった。
音高時代にさんざん苦労して勉強したのだ。音高の先生はみっちりバッチリ教えてくださった。
音高卒業前に
「大学院入試の時に困ることがないように教えました。もし、受験で困ることがあったらいつでも聞きに来なさい」
とおっしゃってくださったほどに。
自信を持ちたいのなら、人のことを蔑む前に自分を磨いた方が良いよ。
ま、気持ちは分かるけどね。