14■ひがんだりすること
プロになってからのこと。
一生懸命になっているせいか、私たちは自分がどの程度の実力なのかわからなくなることがある。
自分の実力が適切にわかっていればひがんだりしないはずだ。
とはいえ、私もひがんだことがある。
それは、あるソプラノ歌手Cさんのこと。
Cさんは有名なソプラノ歌手の娘で、お母さんをしのぐ天才と呼ばれていた。
舞台に立てば、その重量感のある艶やかな声で聴衆を魅了する。
しかし、舞台に立つまでが問題で、とにかく楽譜が読めない。
オペラで役がつくと、まずはコレペティトゥアと音楽稽古をするけれど、コレペティが困るくらい、音が取れない。
楽譜が読めなくて、音が取れなくて、イタリア語も怪しい。
私はCさんのアンダーを何度かやった。(声質が似ているため)
アンダーというのは、控え選手のことで、本番当日にCさんがなんらかの事情で舞台にあがれないときのためにいる代役である。
つまり、私はCさんの役の歌は全部歌えるわけだ。
練習でもCさんが歌えるようになるまでは、私が代わりに歌ったりもした。
だったら私で良いじゃん!?
ところが、指揮者に
「マロン、Cちゃんに教えてあげなさい」
と言われる。
え、私が教えるの?
コレペティじゃなくて?
私の練習は!?
コレペティだって、Cさんだけにかかりっきりにはなれない。
だから、全部歌える私がCさんに教えろと言うのだ。
これってさ、屈辱だよね。
Cさんが舞台に立てるために、私が教えて、私は舞台にあがれないんだよ?
Cさんに教えると、
「え~、わかんな~い」
「喉が痛くて~」
「疲れた~、もうおしま~い」
ま・じ・め・に・や・れ・や!
だけど、彼女は舞台の直前ギリギリにはなんとか仕上げて、舞台に上がる。
そして拍手と名声を手に入れるのだ。
わかっている。
彼女のほうが私よりずっと上手い。良い声で、演技力もある。
だけど、なんか腑に落ちない。
こういうのをひがみと言うのだろうけど、本当に悔しかった。
とはいえ、真面目にやっていてもひがまれる人はいる。
それは、上手ければ上手いほど、舞台にでる数が多ければ多いほど、ひがまれるものだ。
「たいしてうまくないのに」
というような僻みだったら、まだなんとなく(気持ちは)わかる。
「整形してるくせに」
とか
「おっぱい大きいだけじゃん」
とか、歌の実力など関係ないところでこきおろすようなことも聞く。
ひがみって、醜い。
私の尊敬するある先輩は、今の日本のソプラノ歌手の中ではたぶん一番活躍していると思うけれど、彼女は本当にそんな妬み僻みを一身に浴びていた。
大して上手くないと言われながらも、ずっと舞台に出続けている。
ある日、何気なくつけたテレビ番組で、モーツアルトのモテットが流れていた。
「あ、このソプラノ、良い声だな」
素直にそう思ってテレビの前に座ったら、その先輩だったことがある。
やっぱり上手いんだよ。
だからこうやって、ちゃんと歌い続けられるんだよ。
先輩が失敗することで喜ぶ人がいることも知っている。きっと無駄なプレッシャーを感じていることだろう。
だけど、そんなことには何も言わない。
笑って、輝いて歌っている。
これからも、嫌なウワサをたてられても、負けないでほしい。
見ている人は見ているし、聞いている人はちゃんと聞いている。
胸を張って堂々と歌い続けることは、苦しいことかもしれないけれど、先輩が活躍するのを見られることは、私にとっても励みになる。
これからも頑張って、歌い続けていってほしい。
先輩、頑張って!




