ミールの帰還
「どうだ? やはり本物か?」
「ああ、間違いない、今、蝋燭灯通り辺りだ」
「まるで葬列のようだったらしいぜ。
「え? 俺が見た時は、先頭の大馬に飾り立てた人形をのせて、王旗を掲げていたぞ」
「お前知らないのか? ローヴェの聖女が北の新領地からお戻りになり、壊滅寸前の騎兵団をお救いなさったそうだぞ。その人形こそが魔導王の侍女、ミール様ではないか」
ゴンドオル王都は冬の最中であったが、雪は無かった。
年々気候が暖かくなり、雪は降っても積もることは稀なのだ。
そうは言っても日の力は弱まり、鈍色の雲に隠された太陽からの恩寵は弱く、人々は襟を寄せて頭を縮めて通りを行き交っている。
辻々の陰で、早くから開いている食堂や飲み屋のテーブルで、仕事にあぶれた者達が囁きあっている。
彼らの口の端に上るのは、丁度一月ほど前、北領の鎮撫と新領主への挨拶と称して、物々しい戦支度で出立した宰相ニコラウス率いる、ゴンドオル騎兵五百騎と、一応傭兵となっているが、明らかにウンバアルの軽装騎兵と判る一団二千騎からなる、二千五百騎の騎兵団が、ほぼ壊滅して帰還したという噂だった。
北壁の大門をゴンドオル騎兵が過ぎる。
それに続くはずのウンバアル騎兵団は無い。
すでに数日前、やけどを負いながら命からがら帰参した、ウンバアル軽騎兵によって、北で起こった惨劇のあらましは王城に伝わっている。
彼等は北方狼の奇襲を受け、狼を率いていた巨大な竜に焔の一撃を受けて全滅したのだ。
『たまたま』街道を外れて夜営していた、ゴンドオル騎兵だけが竜の焔を逃れることが出来たのだ。
その生き残りのゴンドオル騎兵が、居並ぶ観衆の前を征く。
先頭には竜のように巨大な馬に横座りして煙管を燻らせるビショップが、辺りを睥睨しながら進んでいる。
彼女のすぐ後に、ゴンドオル騎士ナイエス・ナーガと、近衛兵二騎。
近衛兵の駆る馬は、乗せている者と同じく全身を重甲冑が隈無く覆い、一分の隙もなかった。
その後に負け戦にしては身綺麗なゴンドオルの重装騎兵と糧秣を運ぶ馬車が続き、その馬車の一両にゴンドオル宰相魔道士ニコラウスが横臥したまま乗せられ運ばれていた。
見物の人垣は、暗い視線を彼等に送るばかりだった。
片目を眼帯で覆い、片腕を厳つい甲冑で鎧ったミールは、戦の予感をはらんでこの上なく不吉に映ったのだ。
この路を北に向かう王兄ヤシンを、同じように見送ってから半年も経たない。
彼女はその北行の隊列にいたのだ。
王兄にクツワを取られ、よろめきながら人垣の前を進んだ痩せ馬と、いま、ミールを乗せ地響きをたてながら堂々と行く巨馬が同じ飛影だと知る者はない。
痩せ馬と共に追放者のように北へ旅立った王兄ヤシンを追い、物々しく出陣したこの騎兵団の先頭だった黒衣のニコラウスは今、馬車で荷物のように運ばれて帰ってきた。
この騎兵団の先頭は今、新王シムイに逐われて北に向かったはずの王兄ヤシンのメイド、ミールだった。
「……何だか物悲しく、物足りないですね」
煙管の煙をプカリと、そんな言葉と共に吐き出したミール、元魔道兵ビショップにナイエス・ナーガは反応した。
「まったく! ローヴェの聖女の帰還だと云うのに!!」
ミールを崇拝する若い騎士は、心の底から憤慨した。
「花は去れど香を残す。冬と夜とに枯れ萎もうとも、朝焼けの晴れがましさに、春の息吹に、花の香りは甦るのです」
ビショップが人型の手を口に寄せ、掌に息を吹き掛けると、焔のような紅い花弁が噴き出して、花の嵐を起こした。
「布告! 布告! ローヴェの聖女の帰還である!! 言祝ぐべし!!」
ナイエス・ナーガは唾を飛ばしながら、絶叫に近い叫び声をあげる。
その鬼気迫る剣幕に、街頭に立つ民衆は怖じけ、あるものは厄介ごとを避けるように耳を塞いでその場を後にした。
半数は去り、しかし半数は残った。
残った民衆は熱狂的な視線を聖女ミールに、実際はミールに成りすましたビショップに送る。
「クフフフフ!!! 騎士ナイエス。素敵です。もっと狂おしく!」
ビショップは機械仕掛けの右手を天にかかげ、色とりどりの光と煙の尾を引く発光弾を次々に発射した。
光弾は石積みの家の屋根を越え、上空で炸裂し、夕闇迫る冬の王都に光の花を咲かせる。
「クフ、クフフフフフフ!!」
花弁を撒き散らし、光弾を撒き散らすビショップは愉しげに笑う。
「言祝ぐべし! 聖女は帰還し、魔道王の権威は回復される! 全てが正されるのだ!!」
抜刀し、夕闇に剣を突き上げ金切り声をあげるナイエス。
何故かここで王旗をかかげる近衛兵。
まるで常識のタガが外れてしまったような一団を先頭に、北伐に失敗した騎士達は王都を進む。
王城に差し掛かる頃には、隊列を組む他の騎士達にも、彼等を見守り後を追う民衆に騎士ナイエスの狂気が伝播し、王城を取り囲むように膨大な数に膨れ上がった。
ニコラウスの北伐は失敗し、王兄の侍女ミールが帰還した。
その事実は瞬く間に王都住人の知るところとなり、やがて報はゴンドオルの国土を南北に疾走った。
※※※※※※※※
「陛下!」
歴代の王妃や姫が愛したバラの温室へと続く王城の渡り廊下を、ワルラ・グリュネア風の侍女服を着たメイドが駆けて行く。
人間のメイドである。
魔道王の国ゴンドオルでは建国当時、何体かの魔導人形が魔道王の身の回りの世話をしていたが、最後の魔道人形ミールが北に去り、もう、ゴンドオル国内には魔道人形がいなかった。
ただし、今も王と王旗を守護する全身を白銀の甲冑で覆い、決してその中を見た者のいない八人の近衛騎士は、魔道兵ではないかと噂されている。
その近衛騎士うち二人は、王旗を守ってニコラウスの北行に随伴し、此度帰還すると先触れがあった事をシムイは知っている。
現在、この植物園の主は、新王シムイである。
彼はここで薔薇の他、兄から時々贈られる植物の種子を、バラ園の一区画に播いて育てている。
王位継承の争いで今は疎遠となってしまったが、北領公ウィストリアの反乱が起こる前の二年くらいの間、第一王子シムイと、離宮で暮らしていた魔導王の子ヤシンとは、何度か文のやり取りをしていた。
時々手紙に添えられていた植物の種子を、シムイは大切に育てていたのだ。
「陛下!」
メイドは温室の中で新王シムイを見付けた。
彼女が発見したとき、シムイは薄紅色の冬薔薇に自らハサミを入れていた。
「陛下、王旗が帰還しました。ニコラウス卿もご一緒です」
「……そう、ですか、」
手元に視線を落としてシムイは答える。
ゴンドオル国王シムイ・シャクタン・ゴンドオル。
彼は今年13才になる。
色白でそばかすが少し目立つ幼さを残す顔は、金髪巻き毛の頭髪とあいまって、夢見がちな印象を受ける。
もっと幼い頃は、癇癖で如何にも権力者の後継者然とした尊大な子供であった。
しかしここ数年、そんな様子は影を潜め、彼は控えめなおとなしい少年へと成長した。
臣下への心配りを忘れず、自分がまだ為政者としての力量を持ち合わせていないことを、十分心得、独断を避けている。
日照りによる不作が続いた近年のゴンドオルは、ウンバアルの庇護下に入り、民衆の飢饉を最小限に抑えてきた。
ウンバアル出身の宰相ニコラウスの専横を招く結果となってしまったが、それは、先王とシムイが王家と貴族達の地位より、民の安寧を選んだが故の選択の結果であるとも言えた。
しかし、ゴンドオルを支配下においたウンバアルが斜陽の観を呈してしる現在、再び国の指針の転換する転機が訪れようとしている。
「ニコラウス先生は怪我をされていると聞きました。お見舞いに伺いますので都合のよい時間をお聞きしてください。それと、ミール様を丁重にお迎えして。王都において、ミール様の権威は国王の僕よりも上と心得てください」
侍女にも丁寧な口調で話すのは、『兄』の薦めである。
「畏まりました。あ、……シムイ様」
辺りを見渡し、他に誰もいないことを確認した侍女は、そっとシムイに近付き、襟元を直した。
特に乱れていたわけではないが、丁寧にホコリや汚れがないか確認し、侍女は一歩下がると礼をして温室の端に控えた。
「……」
シムイは自分の胸元に手を添える。
先程侍女が整えた上着の内側、シャツの胸ポケットには、小さく畳まれた紙が差し込まれていた。
シムイはその紙を取り出して素早く目を通す。
そして自分が持っていた水桶の中に沈めてしまった。
紙は瞬く間に溶け、水桶の中の水は薄灰色になった。
それをシムイは全て冬薔薇の花壇に注ぎ、侍女を伴って温室を後にした。
「兄上……」
渡り廊下を王城へと向かうシムイの足取りは軽く、表情は少し明るくなった。




