越冬 LIV 『ディロンとナナフシ』
「雪竜?! バカな、こんな南の、しかも山から離れた場所まで来るなんて?!」
バキバキと、樹を踏み倒し、雪煙を巻き上げながら、白毛に覆われ、ヘラジカのような枝分かれした角をもつ、巨大な六足の怪獣が駆け寄ってくる。
頭の高さは木々を越えている。
雪竜に追われた羆や麋をはじめとした森の獣達が逃げ惑い、先触れとしてヤシン達の左右を脇目もふらず通りすぎていく。
「真っ直ぐこっちに向かって来るよ」
「駄目だ。雪竜には私の矢は通らん。逃げよう」
背負っていた弓矢や荷物をその場にふるい落とし山刀一つを構えたモレヤは、ヤシンの手を引く。
「二人は逃げて。あの竜は僕の名前を呼んでいるんだ」
そう言われてディロンとモレヤが西の方に耳を澄ませると、
「ギュオオオオアアアアアアーーーー!!!」
という、雪竜の呻くような鳴き声が、木々を薙ぎ払う音に混じって聞こえた。
「『ギョワワワ』って、全然坊っちゃんの名前じゃ無いっすよ」
ディロンは方膝をついて魔道砲ナナフシを再びかまえた。
「ナナフシ!!」
「起動しておりますディロン様。聖上もご機嫌麗しゅう。わたくし先日817号の手にて作られた、エダイン用携行火器ナナフシと申します」
「ナナフシ! 挨拶ぁ後だ! いっとう貫いて、いっとう威力のある攻撃は?」
「城塞攻撃用徹甲炸裂誘導弾『グングニール』です。使用には上級将校の許可が要ります。現在上級将校の登録はありません」
作動音を発しながらナナフシが答える。
「うへぇ! 何だか物騒な名前だな。俺ぁ、一応あんたの開発者の一人なんたが、許可は降りないの?」
「こう言ってはなんですが、ディロン様はただ、試し撃ちをしていただけで、別に私を作ったわけでは……、開発は全て817号様が……」
「なに言ってんの?! 俺がアイデアを出したから、ナナフシはこんなカッコいいスタイルになったんでしょ?」
「……え? カッコいいですか? 私」
「カッコいいよ! 官能的ともいえるよ! こう、抱き抱えて、抱き抱え続けたくなるような抜群のスタイルだよ」
「えへ、そうですか~、」
「ナナフシ。俺ほどお前を抱いている男が他にいるか? ここ数日、数えきれぬほどお前を抱いた俺が言うんだ、間違いなしさ」
「えー、えへへへへ……、」
「そして、ここで必殺技かましたら、絵になるんだけどなぁー、ナナフシ、モテモテになるんだけどなぁ。みんなナナフシを持ちたがると思うんどけどなあ!!」
「そうかなぁ! ……撃っちゃおうかなぁ!?」
「撃っちゃえ、撃っちゃえ!!」
ディロンの構える携行魔道砲が『キュイィィィイーン』と甲高い音を発する。
台座上部の魔道球が砲身の先に赤い魔方陣を投影する。
「ダメですナナフシ!! しっかりなさい!」
服を着終わったミールが北から合流した。
毛皮のブーツと手袋、フサフサの襟巻きをしているが、あとは淡く発光する薄手のワンピースを着ているだけの、かなり寒そうな格好である。
「グングニールは城を破壊するための広域攻撃術式です。こんなところで撃ったら、森が火事になります!!」
ミールがそう言うと、ディロンとナナフシが揃って「うへぇ」と言った。
「お前達、雪竜が迫っているのにのんきだな。私がここで雪竜に喰われるから、みんなその間に逃げろ」
ミール達に灯台塔の方に行くように、身ぶりで示しながらモレヤが山刀をかまえる。
「ディロン、モレヤ、下がりなさい。ここは私が止めます」
魔力刀を発動させてミールが言う。
「いやいや姐さん! 事態が事態だ。ちょっとくらい森が燃えたって構いやしない。ここは一発ブッ放して、鮮烈なデビューを飾ろうナナフシ!」
三者三様に得物をかざして主張し合う。
「???」
しかしヤシンは既に遠く雪竜へ向かって駆け出していた。
樹木を撒き散らしながら突進する雪竜を、真正面に据えている。
「ギュオオオオアアアアアアーーーー!!!」
陸竜は住む場所によって姿や大きさが様々である。
陸竜の亜種である雪竜は、飛竜や海竜等と比べれば体は小さいが、それでも軍用馬10頭分位の体積はある。
全身が白い獣毛で覆われ、首と胴体だけを見れば、竜と云うより巨大なヘラジカのようである。毛に覆われた顔は犬や狼に近く、耳の後ろから生える大きな角が大木の枝のように拡がっている。
胴から伸びる六脚は蟹か蜘蛛のように細長く、脚の先は妙に人と似た五指を有する手が付いている。
その目は他の竜のよう知性や理性のようなものが感じられず、到底話が通じるようには見えなかった。
「と、とにかく止めなきゃ!」
ヤシンのシル・パランが見開かれる。
その左目には、既にこの場合に行うべき行動の指針や、使う呪文の一覧、その行動や呪文を行ったり、使用した場合の予想シミュレーションが、ヤシンによく似た人形を使った映像で再生されている。
今はもう、何処か別の次元の、何時か別の時間を歩む父母が、我が子を未だその顎戸から離していない証左である。
しかし、その過保護な母と父のおせっかいを、実際にヤシンが行うかどうかは彼次第なのであるが。
「えーっと、物理防壁二枚!」
ヤシンは今回魔道王の指針に則り、細長い二等辺三角形の防壁を召還する事にした。
素早く印を組み、空中に魔方陣を描くと雪竜の手前に人差し指をかざす。
指の先から光線が迸り、二つの三角形を描くと三角形の防壁が形作られる。
両手でそれらを押して合わせる仕草をすると、防壁が従って動き、半分が地面に埋まった四角錐が出来上がった。
「空間固定!」
淡い霧がヤシンの両手から発生し、二枚の防壁を押さえつけるように四角錐に乗り上げる。
巨大な川魚を捕らえる見えない罠のような物が、魔法で作られた。
防壁魔法は、竜魔法の手練れであれば作ることができる。
石飛礫や火弾、氷弾、雷弾などは、これで防ぐことが出来るし、大きいものであれば軍勢を押さえ付けることも出来る。
しかし防壁に当たる力が強ければ、防壁は押し戻されるかもしれないし、衝撃が強ければ防壁が砕けるかもしれない。
ヤシンはこの防壁を、特大サイズで二枚出し、さらに空間固定の魔法は呪文の工程を途中で止め、完成させないでいる。
未完成の呪文は魔力を漏れ続けさせるが、衝撃の強さに応じて魔力を追加すれば防壁の崩壊を防ぐことが出来る。
無尽蔵の魔力を有するヤシン・ソルヴェイグだからこそ行える力業である。
雪竜はそのままの勢いで、ヤシンの作った罠の口に飛び込んでしまった。
進むほどに狭まる見えない壁に押されて、雪竜の頭はうなだれ、角が引っ掛かり、六脚は伸ばすことができなくなって這いつくばり、とうとうヤシンの目の前で雪竜の暴走は止まった。
「あー、雪竜さん。言葉はわかりますか?」
ヤシンは恐る恐る話しかける。
「グルルルルルル……」
雪竜は唸るばかりで、会話は成立しなかった。
「参ったな、魔力枯渇を起こしてるのかな?」
ヤシンは腰に下げている短筒を取り出す。
ディロンの携行魔道砲に似ているが、砲身と銃床は切り詰められて、片手で持てる大きさになっている。
そしてディロンの持つナナフシとは違い、魔道球もなければ、魔道砲の発射機構も付いていない、二三の魔方陣が刻印された台座と、内側が螺旋に施条されたガンバレルがあるだけだった。
ヤシンは短筒の先から龍丹を一粒、砲門に入れてコロコロと奥の方に転がし、雪の塊を詰めて栓の代わりとした。
雪竜が挟まっている物理防壁に歩み寄ると、指先でクルリと防壁をなぞる。
なぞった円はそのままの穴となり、そこから雪竜の荒い息と唸り声が漏れ出した。
その穴に短筒を差し込むと、ヤシンは「発破」と一言言った。
『ポヒュン』と気の抜けた音がして、短筒の銃口から龍丹が射出される。
龍丹は、ちょうど唸り声をあげるために開いた歯と歯の間を通り、雪竜の口の中に入っていった。