越冬 LIV 『ディロンとモレヤ』
グレタの新米騎士、マッド・ディロン。
彼はゴンドオル南部チンゼイの出身だった。
ウンバアルと国境を接し、常に南からの外圧を受け続け、時にはいくつかの都市を奪われ、また取り返し、幾多の合戦が行われた土地である。
ディロンの生家は古くから、チンゼイで対南の防人として城塞都市に拠っていた豪族だった。
『弩』という物がある。
水平に寝かせた短弓を台座に固定し、その台座を抱えて射撃する兵器である。
ディロンの生家マッド家はこの弩の運用に長けた一族で、本拠『サガ城』は多数の矢狭間がある弩撃に特化した城塞だった。
据え付けの大型弩弓や、素早く弩に弓矢を装填する器具の開発、弩を引く複数の従者と射撃手を戦闘単位とした兵制の導入など工夫を重ね、周囲のゴンドオル領主達がウンバアルに次々と屈するチンゼイで、マッド家は孤立しながらも自領を保っていた。
ニコラウスの裏切りと謀略により没落するまで、マッド家はゴンドオルの南の守護だった。
没落後ウンバアルの領土となったチンゼイで少年時代を過ごしたディロンの得物は弩であった。
剣の腕はいまいちであったが、騎乗しながら距離をとっての弩撃を駆使し、王兄ヤシン北行のおりは、狩りや自由開拓民崩れの山賊の撃退などで活躍した。
今、彼が手にしているのは、弩から短弓を省いて、代わりに魔道兵の砲身を据え付けた携行魔道砲。
北の灯台塔にある817号の工房にディロンが数日籠り開発した新兵器である。
魔力の乏しい、或いは魔力が全く無いエダインでも運用できるよう、カートリッジ式の弾倉に魔力を充填し弾丸を撃ち出すのだ。
ディロンはこの武器を携えて、周囲をうかがっている。
すぐ隣にはモレヤが、エルダールの長弓に毒矢をつがえていた。
二人とも足が動かない。
ヤシンに歩行を禁じられたのだ。
「……へえー。じゃあ、モレヤちゃんはキコナインの村長さんの娘なのね」
「そうだ。父上は狩りの名人だった。だけど北森で雪竜にケツをぶっ叩かれて歩けなくなった。だから、私が村長の代わりだ」
「じゃあ、ヤシン坊っちゃんの目玉を射貫いたという狩人は?」
「ヤイチャロイキは私の狩りの師匠だ。父上の狩りの師匠でもある」
「へー……」
「それにしてもポイヤウンペの呪術は強力だな。足が動かない」
「まったく。あんな言葉一つで人を操れるなんて、どんだけバケモンなんだよ」
などと二人で軽口をたたくまではよかったが、そのうち彼らの周りに何やら沢山の気配が集まりだし、雪明かりを映す眼光が点々と現れるにいたり、身に迫る危険をひしひしと感じはじめた。
「……エダイン」
「あ? ああ、ディロンって呼んどくれ」
「デロン。お前の腰の明かりめがけて獣が集まってきているぞ」
「そうみたいだな。だけど今さら消したところで、」
「だが消してくれ。火がユラユラして、狙いが定まらない」
ディロンは腰に下げていたカンテラの蓋を閉じる。
とたんに辺りを闇が覆い、木々の切れ間に小さく見える星空だけがやけに明るかった。
「……??!」
唐突にディロンとモレヤを拘束していた見えない足枷が消えた。
「おっとと!」
ディロンはよろめき尻餅をつきそうになる。
モレヤは自由になった途端、ディロンの手をひいて近くの大樹に駆け寄り転がり込んだ。
「獣の気配がたくさん近づいてくる」
「坊っちゃんに何かあったのかい?」
「いや、ポイヤウンペの行った北からじゃない。西の方だ」
モレヤが言い終わる前に、沢山のけものがディロンの方目掛けて駆けてくるのが、夜目の利かないディロンにも見えた。
「鹿!! 夜のお散歩か?」
モレヤは言い終わるまでに三本の矢を放ち、暗闇の木の陰から突然生まれたように現れた鹿三匹に命中させた。
こちらに走り寄ってくる勢いのまま倒れ込んだ鹿達は、モレヤの目の前でもがいている。
「ひゃっほう!!」
喚声をあげたモレヤは弓を肩に引っ掻けて、腰から紐で括って下げていた禍々しい形の棍棒を取り出して、躊躇なく、三匹目掛けて、三連続で鹿の頭に振り下ろす。
『ボコ! ボコ! ボコ!』
「……容赦ねえな」
ディロンは思わず手の中で魔除けの印を組む。
「モレヤちゃん。何だい? その、手に持っている、冒涜的で、名状し難い形の物は?」
恐る恐るディロンが訊くと、
「これな。ご褒美棒。これで殴られると獲物は超快感。魂は大爆笑で昇天して神の国に一直線だ!! そして吹っ飛んでいった獲物の霊は、神の国でこの棒の素晴らしさを拡散してな、それに釣られた霊達が、またまた獲物の体に入り込んで沢山私の前までやってくるのだ!!」
満面の笑みで解説するモレヤに、ディロンはドン引きだ。
「うへぇ。そりゃあ、何というか、その、」
「わかっている、手前勝手と言いたいのであろう?」
「あっはい。」
「……そうでも考えなければ、こんなめんこいおめめの鹿ちゃん、殺して食べれないだろう? 食べなきゃ死んじゃうんだ。殺せるときに殺せるだけ殺す!! そしてみんなで食べる!!」
モレヤは血が若干付着したご褒美棒を振りかざしてポーズを決めるが、直ぐに、
「山親爺!!」
と、叫んで矢をつがえた。
「何だ? さっきの鹿は山親爺に追われていたのか?」
「しまった! 鹿に夢中で気付くのが遅れた!」
モレヤは、再び弓を取り、馬手に矢を二本持ち、まず一矢放った。
身を低くして突進していた羆の鼻に矢は突き刺さった。
『フゴォアアアアア!!!』
鼻先を掻きむしり羆は棒立ちとなる。
『ヒュン』
その棒立ちの胸元にもう一本矢を放つ。
『ズドッ』
肋骨の隙間を掻い潜り、二の矢は羆の心臓を射貫いた。
『ヴヴ!』
羆は一瞬腰から崩れ落ちそうになったが、持ちこたえモレヤを睨み付ける。
「まだ動くのかよ!」
出遅れてモレヤの背後にいるディロンは、そう言うと魔道砲を構えた。
「ナナフシ!」
ディロンが呼び掛ける。
「はい。起動しておりますディロン様」
魔道砲の上部にはまっている魔道球に光が宿り、黒目のようにディロンの顔の方へ動いた。
「炸裂弾装填」
「既に装填済みです。いつでも撃てますよ」
羆がモレヤに向かって一歩踏み出す。
ディロンが羆に銃を向けると、赤い光点が羆の体の上を走る。
「頭か胸部を狙ってください。肩骨は強固です。肩には当てないように。腕を振り上げたタイミングで脇の下を……」
魔道砲『ナナフシ』が声をかける。
「頭!」
ディロンは砲門を頭に向ける。
赤い光点も羆の頭に移動する。
銃床を脇で引き締め、ディロンは引き金を引いた。
『ターン!』
モレヤの肩を越し弾丸は一直線で、赤い光点の指し示す箇所に寸分も違わずに命中した。
『ボン!!』
着弾と同時に羆の頭は炸裂し、赤い花弁のように血と骨と脳漿は飛び散った。
「うへえ!!」
首から上が無くなりながらも二足で立っていた羆は、盛大に血を撒き散らし、血流が衰えてせせらぎに変わる頃、仰向けにどうと倒れた。
「ああ、頭が! もったいない!」
モレヤが落胆の声をあげる。
「ありがとうナナフシ」
ディロンは抱えていた銃床を撫でる。
「どういたしまして。こちらも良いデータが取れました。至近距離での接敵の場合、エダインは緊張のあまり、照準が定まらないし、トリガーを引くのもままならないのですね。それと、私の方にも問題が、脇で固定された際、照準が少し右下にズレてしまいました。まあ、それは修正しましたので、次は大丈夫です。では。あっ、でも、まだこの辺りには害意のある者がおりますのでご注意を」
そう言うと魔道砲ナナフシは待機状態になった。
「デロン! いっぱい捕れたな!」
「それにしても、麋も、羆も、まるで何かから逃げてきたように……」
ディロンが辺りを見渡すと、北の方からヤシンが駆けてきた。
「ディロン! 大丈夫?!」
「坊っちゃん!! ご無事でしたか!」
「ああ! ポイヤウンペ! そうだった、ポイヤウンペを追っかけて来たんだった」
三人が合流したときである。
『ギュオオオオアアアアアアーーーー!!!』
地を震わせる咆哮が西から聞こえた。




