越冬 LIV 『ヤシンとミール①』
ヤシンとミール①
ペレグレンを首謀者としたゴンドオル旧北領兵の蜂起により、キコナイン村は焼け落ちた。
鉄も石材もほとんど使われていない下エルダールの家や家財道具は、冬の燃料にと必死に貯められた薪と共にすべて焼け消えてしまったのだ。
さいわいモレヤの事前の警告で、村人は全ての家財を投げ捨てて、北領兵が村に侵入する前に逃げ出す事が出来た。
森に点在する隠れ家や洞穴には、非常時用の食糧が、わずかではあるが備蓄されていたが、村民が北領兵から逃げ隠れていた数日間で大分目減りし、とても冬を越せる量には足りない。
飢饉の時、キコナイン村はキコナインの町を頼る。
森に囲まれたキコナイン村から南東に向かい、海岸の岸壁に穿たれた石階段を下ると、南のエダインの国々が開闢される遥か以前からこの地に住む上エルダールの町があった。
対岸のオーマと対をなす古寂びたその町、キコナインの町にも、僅ながらエルダールが住まっていたが、冬のはじめ、町の住民は忽然と姿を消してしまった。
怪異である。
古寂びたその町が創建された頃、遥か東の海にあったとされる大島『エレッセア』にアルノオルというエルダールの帝国があり、各地の沿岸に多数の植民地を有していた。
エルダールと海竜との激しい戦いで、エレッセアは海に没し、アルノオルも運命を共にした。
その滅びたはずのアルノオルの艦隊が幻のように顕れ、キコナインのエルダールを受け入れた後、幻のように東海に消えてしまったのだ。
町の助けを得ずにキコナイン村のエルダール達が如何にして、この厳しい北之島の冬を乗り切るのか。
灯台塔に新設されたエルダールの会堂にて話し合いが持たれた。
「我らは、元はシラトリ郷に住んでいました。昔、カンナ・カミィがこの地に訪れ、北と南の灯台と洞穴の町を造る時に呼び出しを受けて、キコナインの上エルダールと共に建立に従事したエルダールの末裔が我々でございます」
北の灯台塔基部のすぐ脇に建てられた一軒の家。
横に城塞のような灯台があるため小さく見えるが、下エルダールの家としては大きい部類だった。
この会堂は、冬場に狩りなどを行う際の出発拠点と獲物の倉庫をかねて急遽建てられた。
今、会堂には、キコナイン村の村長イクルイとモレヤの下エルダール父娘、オーマの長老エルダランと北灯台のエルロヒアの上エルダール兄弟、そして新魔道卿ヤシン・ソルヴェイグとミールが囲炉裏を囲んで座していた。
「一つ、わが一族の若者アムルイが、キコナインの町長リングロスヒア様とご令嬢イトゥラリエンを殺害した事」
イクルイは数年前、狩の時に野獣から受けた傷で、腰から下が不随となっていた。
モレヤに抱えられるように場に座したイクルイは、気遣う娘の腕を振り払い、這いつくばるように頭を下げた。
「二つ、わが娘モレヤがポイヤウンペ……、ヤシン様に弓を向け、そのお体を傷つけた事。どうか私と娘の首二つをもってお許しいただけまいか? 平に平に……」
モレヤも頭を下げる。
冬越しのための話し合いの前に、イクルイが切り出したのだ。
「首だなんて……、」
ヤシンは上座に座り、後ろにミール、左右に上エルダールの兄弟が座している。
頭を下げられた彼は困惑し、ふり返ってミールの顔を窺う。
そして彼はミールの顔に相反する二つの感情を認めた。
────お坊っちゃまに、……魔道王陛下に弓引くなど! 不敬である!
────お坊っちゃまを射ったヤイチャロイキ!
────リングロスヒアを射ったアムルイ! 皆共に……
激情と共にミールの唇が動いたが、体内から吐き出されるはずの吐息がそれを裏切り、彼女の怒りは言葉にならなかった。
言葉の途中でハッと我に返った彼女は首を振り、涙を浮かべ悲しみの表情で、呆然とするヤシンを見つめ返した後、「ごめんなさい」と一言言って中座した。
オーマの長老エルダランが、ミールを追おうとするヤシンを引き止めて座に戻し、そして声をかけた。
「魔道王。注意深く見るのです。今の貴方には母君の目がある。父君の力がある。見極め、過たず力を使うのです」
言葉を受け、キコナイン村の父娘に向き直ったヤシンは、息を整えて未だ平伏したままのエルダールの父娘を見る。
「すべてを見通す目を持っていたとしても、力が伴わなければ、その行いは虚しいものとなる」
ヤシンは自分に言い聞かせる。
「すべてを覆す魔力を操ろうとも、その使い道を過てば、我が身が害悪となる」
エルダラン、エルロヒア、イクルイ、モレヤ。
囲炉裏の火の爆ぜる音だけが響き、皆はヤシンの次の言葉を待つ。
「……まず、ヤイチャロイキさんが、魔道王を、と、云うかお父さんに乗っ取られていた僕を、モレヤさんの指示で弓撃した件ですが、暴走を止めていただいて感謝こそすれ恨みはありません。不問とします」
声変わりをしていない少年の声で、精一杯の虚勢を張ってヤシンは宣告する。
「キコナイン町長の殺害事件は、元はといえば逃亡した旧北領の兵がオーマに来たことが発端のようです。また、実行したアムルイさんは、オルタナ・オルセンの暗示にかかっていました。なのでこれも不問とします。また、北領兵の罪については、ゴンドオルの軍規に照し裁断します。身内に甘くならないようエルダランとエルロヒアに加わってもらいます」
エルダランとエルロヒアが安堵のため息をつく。
『公平で身内贔屓をしていないようだ』
彼らとしてもヤシン・ソルヴェイグ自身の考えに触れるのは初めてだったのだ。
「アムルイさんとヤイチャロイキさんの消息は? シル・パランには、オルタナ・オルセンの使いに操られたアムルイさんが北に走り去り、ヤイチャロイキさんがそれを追って行った映像が残されています」
ヤシンの質問にイクルイは伏せていた頭を上げる。
「シラトリ郷を過ぎ、飛竜の縄張りの方へ消えたという報せを最後に……」
「そうですか……」
その後はエルダランとエルロヒアが加わり、冬越しのための細かな取り決めがなされた。
話し合いの結果、キコナイン村のエルダールは、魔道王の傘下に入る事が決裁され、取り敢えず灯台の下に拡がる洞穴内部の都市に移り住むことになった。
「ふう、」
日は既に没している。
白いため息を吐き、会堂を出たヤシンは、自らの白いブレスのゆくえを見守った。
「うす。」
会堂の外を警備していた護衛兵団の若頭ディロンが挨拶をする。
「ディロン。ミールは?」
「姐さんなら、森の方へ小走って行きやしたぜ。あっしゃお供を申し出たんですが、フラれやして……、ああ! あっしも行きやす!」
ディロンの言葉を受け、森へと駆け出すヤシン。
ディロンも後を追う。
「モレヤ、夜の森は危険だ。お前も行け」
後から会堂を出て、やり取りを聞いていたイクルイがモレヤを促す。
「しかし、父上、」
「モレヤ。我らからもお願いする。イクルイには私がついているから」
エルダランがそう言ってイクルイを抱き抱えるのを見届けると、モレヤはヤシンとディロンを追って森に入った。
「兄上。最近のミール殿はなんだか様子がおかしう御座いますな。寄り合いでもほとんど発言しませんし、何しろいろいろ失念されているようで……」
モレヤを見送りながらエルロヒアが言った。
「ミール殿の魔道核が体と融合してゆく過程なのだ。ゆく果にどのような結果が待つのか、魔道王ならば予見できるのであろうが……、」
エルダランは気遣わしげに森の方を振り返りながら、イクルイを抱えて灯台塔へと向かった。
※※※※※※※※
「ミールー!!」
前方に呼び掛けながらヤシンは暗い夜の森を駆ける。
足元には膝くらいまでの雪。
葉を落とさない灯台ヶ森の大樹達が樹上で大半の雪を受け止め、冬のはじめの今頃はかろうじて歩くことができる。
「ずいぶん奥まで行きなすったなぁ。それにしてもヤシン坊っちゃん、軽く走りなさる」
大分遅れて脚をズッポズッポ雪にめり込ませながら、それでもなかなかの早さでディロンがヤシンを追っている。
「うへぇ!! 橇借りて来りゃよかったな!」
木々に隠れて、先を走るはずのヤシンの姿は見えない。
小さな足跡と時々聴こえる呼声を頼りにディロンは走っている。
「ポイヤウンペ!!」
どういう原理か雪の上を滑るように走り、モレヤがディロンを追い越していった。
「ポイヤウンペ? 変な掛け声だな。……ポイヤウンペ!!」
ディロンはモレヤの真似をして、そう言ってみた。
『ズッポ、ズッポ、ズッポ、ズッポ……』
「ちっ、雪走りのまじない言葉じゃないのか!」
瞬く間にモレヤは先にいってしまった。
「『コイツ』が重すぎるんだ! チクショウ、817号に頼んで、将来的には刃の部分を外して小さくしてもらおう」
ディロンは肩から下げている、『携行魔道砲』を抱え直した。