越冬 LIII
日暮れ頃から季節外れの雨が降り、程無くして止んだ後、夜には南から暖かい空気が断続的に入り込み、この数日で降り積もった雪を溶かしてしまった。
次の日、北之島南部キコナイン村一帯は、季節の移ろいが足踏みをしたかのように日差しが出て小春日和となり、アルティン・ティータの約束通り、この辺りだけ、冬が押し止められたようだった。
ここはキコナインの東、灯台ヶ森の北。
密集する木々が急に途絶え、なだらかな土地が拡がる円形の土地。
この一角を、飛竜の火焔は焼野原に変えてしまった。
しかし今そこは、季節外れ場違いであるが、収穫を待ちわびるように頭を垂れた麦や、時期を合わせて収穫の時を迎えた様々な野菜や穀物類が並ぶ田園になっている。
地龍、水龍、天龍が集い、地を耕し、地を潤し、地を照らし、天上神代の恵田をこの地に再現したのだ。
実の重みにたわんだ穀類の波間を泳ぐように、男達がなれぬ手つきで刈り入れをしている。
先日この地で蜂起し、キコナイン村を焼き払い、その後降伏したワラグリアの敗残兵達である。
幌を外した馬車が何台か畑の隅までやって来て、兵達はその馬車に収穫物を載せている。
馬車の御者台には、全身に不気味な円形の刺青をした筋骨粒々の男が腕組みをして、男達の働きぶりを監督していた。
傍らの座席には灰色のローブをまとった魔道士が背を丸めて座っている。
「なあ、ドウラン将軍って、あんなにゴツかったっけ?」
怠ける者に物理的に雷を飛ばしたり、どきどき重力を操作して浮かび上がったりしながら働きぶりを見守るドウランに、兵達は戦々恐々である。
「隣の魔道士がやってるん……だよね?」
不慣れな兵士では収穫も捗らず、今日はキコナイン村のエルダール達も手伝いに駆り出されていた。
シラトリ郷以北のエルダールは原始的な畑しか持たない。
その昔、カンナ・カミィこと魔道王は、この地にも農業を伝えたのだが、キコナイン村は狩猟や漁で十分暮らしていけたので、その教えは根付かず、彼が去った後に廃れてしまったのだ。
そんな訳で、不慣れなのはワラグリアの敗残兵とどっこいどっこいのエルダール達の、主に女子供が敗残兵達に混じって働いている。
はじめエルダールは、兵達から離れた場所に固まって恐る恐る作業をしていた。
しかし、普段は灯台塔から出ないので、行動不能で立像のようになった姿しか知らない機械仕掛けの灯台守や、人化した海竜達を珍しがり、彼らの周りを走り回る子供達を母親が追いかけたりするうちに次第に混ざりあい、今は敗残兵も、灯台守も、海竜も、一緒になって働いている。
廃城に立て籠っていたグルビナの重装歩兵達の決死の覚悟も、厳めしくなって生還したクリム・ドウランに一喝され、尻すぼみに終わってしまった。
反乱を扇動したペレグレンをはじめとした首謀者達は、グルビナの兵隊の体罰『弁髪刑』に処されている。
グルビナの兵達の間に数人、頭頂部を残して、眉毛まで剃り上げられた男がいる。
残り少ない頭髪は、三つ編みにされて赤い飾り紐で結えられていた。
「たわわに実っているねい……」
「たわわだねい 」
緊張が解けて呆けた兵達が一見頭を垂れた麦穂を見ながら発したような言葉であるが、その実は走る子供を追い回すエルダールの母親の方を見ながら洩れた呟きだった。
ワラグリア人から見れば子供のような姿のエルダールであったが、流石に子を生んでいれば胸や腰回りが突出している女性も出てくる。
何かの動作をする度に揺れる柔らかそうな体を見て、思わず口をついて出た言葉だった。
「……故郷に帰ろうかなぁ」
女子供が働いたり遊んだりするのを眺めながら、仕事をするふりをして休んでいる数人の兵達の一人が呟く。
「お前、家族居ないって言ってたよな」
「ここに残ったみんなの手前そう言っていたけど、全く居ない訳じゃないんだ……」
「俺も……、ガキの頃、悪さをして居づらくなったから田舎を飛び出してここまで来たけど、家族はいるんだ。戦場稼業も店仕舞いにして帰ろうかなぁ……」
「いいよな。女や子供が居るだけで、ここは戦場じゃないってのが判るってのは。この村は懐かしい感じだ。まるで子供時代のような……」
「こんなところで戦争をやろうとしていたんだよな、俺達……」
男達は収穫の風景をしみじみと眺めながら感慨深げに言葉を交わしていた。
「こら! 怠るな!! 我らは散々迷惑をかけた。粉骨砕身償うのだ!!」
そんな彼らにクリム・ドウランの叱責が飛ぶ。
※※※※※※※※
「あなた達の武装は、対峙する相手が自分と同じような武装をしている事を前提として成り立っています。当然戦い方もそれらの武器を振るう者を相手取った時を想定したものでしょう」
枯れすすきの原に、奇妙な文字の彫られた人の背丈ほどの黒く滑らかな立石が点在する。
「この北之島では、あなた達の今までの戦い方では勝利のおぼつかない敵がおります」
灯台塔と森の間の広場に、王都からヤシン王兄を護衛してきた兵達が集まり、機械騎士カルンドゥームから剣の手解きを受けている。
「誰か私に打ち掛かってきてください」
カルンドゥームにそう言われた護衛兵達の中から、いち早く赤銅色の金剛力士のような老戦士が手斧を片手に進み出た。
「言わんとしていることは判るぞぉ。正道の剣法では太刀打ちできない相手が今後現れると言いたいのじゃろうが……、」
グレタ姫親衛隊筆頭、鉄旋風ゴーギャンである。
「ワシら元より破落戸よ。真っ当な剣術なんぞ端から学んでおらんワイ」
ゴーギャンはカルンドゥームの斜め前に立ち、手斧を持つ腕を二三、腕試しのように振り回すと、そのままの勢いで体捻りをしてカルンドゥームを袈裟懸けにしようと振り下ろした。
全く遠慮のない一撃である。
カルンドゥームは、両脚をそのままに、股関節から後方に直角に折れ曲がり、伸ばした片腕の小盾でゴーギャンの一撃を縦方向に受ける。
振り下ろしたゴーギャンには全く手応えがなかった。
盾で受けると言うよりも天秤の片方に重しを勢いよく載せたように、カルンドゥームの盾を持つ腕は斧に押し下げられ、腰関節を軸に風車のように回転した上半身の、もう片方の腕が跳ね上がりゴーギャンの頭を襲う。
「!!!」
渾身の一撃を放ったゴーギャンには反応できなかった。
「……このように、身体の構造が全違う相手に剣を用いることは、危険を伴います」
衝突の寸前で止めたカルンドゥームは姿勢を戻し、打ち掛かった姿勢のまま固まっていたゴーギャンを助け起こす。
「んじゃ、どーすればいいっていうんだ?」
腕組みをしたままルーキーのディロンが尋ねる。
「まずはこの島に棲む者達について学び、それぞれの対処法を学んでもらいます。そしてそれらの知識を外の兵達に伝えてください。また、真実魔道王陛下に忠義を尽くす心積もりの方には……」
カルンドゥームが盾を持つ腕を振るうと、丸い小盾の一方から、ニ門の砲身が伸びた。カルンドゥームはその砲身を人の居ない場所にある立石に向ける。砲身の一つから火球が発射され、黒い立石に命中すると、石は爆発した。
「!!」
ディロンは驚きと共に熱意をもってカルンドゥームの小盾を見る。
「どうしますか? この武器をとるか、この地を去り南に帰るか……」
カルンドゥームは護衛兵に最後の選択を迫った。
────最初はこいつらだけでは冬は越せないと心配してこの島まで俺達は付いてきた。
────しかし、現実は違い、こいつらはゴンドオルやウンバアルが束になっても勝利が覚束無いほどの戦力をここで蓄えていやがった。
────さて、どうするか……。
そこまで思案を巡らせて、ディロンは広場の、先ほど爆散した立石のある方とは逆の方を見た。
彼の視線の先には、椅子に丁度良いくらいの切り株があり、そこに旧ワラグリアの首府グルビナを治めていたガルボ家最後の生き残り、赤髪のグレタが背筋を伸ばして座っていた。
傍らには黒髪でエルダールの白い長衣を纏ったミールが立ち、彼女はグレタ髪を梳っていた。
「本当に良いのですか?」
「ん。」
グレタがうなずくのを確認すると、ミールは自分の掌を胸元で皿のようにして、フッと息を吹きかけた。息はミールの掌の中で渦巻き、それはどんどん成長して、ついには小さな竜巻になった。
「かまいたち」
そう呟いて、ミールは竜巻をグレタの肩に置いた。
グレタの髪の毛を逆上げながら竜巻は左右の肩を行ったり来たりする。
風に赤髪が混じり、周囲に散ってゆく。
竜巻が吹き止む頃、グレタの、肩まで伸びていた髪は肩の少し上辺りで切り揃えられていた。
「……どうでしょうか?」
再び素早く髪を梳れられたグレタの目の前に、三面の鏡が現れた。
「……ん」
短く返事をするグレタ。
「……グレタ様。どうしたのですか?」
ミールはグレタを覗き込む。
「もしかしてお体の具合が悪いのですか?」
「んーん」
「……」
「ねえミール」
「はい」
「私は、いえ。お父様は、……いや」
ふさわしい言葉を探すように、グレタの視線は宙をさ迷っていた。
「ゴンドオルや北領、ワラグリアの全てのエダインは、貴方の主人に謀られていたのかしら?」
「…………」
普段と変わらぬ口調のグレタの問にミールは一瞬絶句する。
「……まあ、今となってはどっちでも良いんだけどね」
立ち上がったグレタは、注目する護衛兵達に向かって、大袈裟に科を作る。
護衛兵からやや下品な歓声があがる。
「棋戦の駒となり、手前の都合で決められたルールを強いられ、駒の行く末しか見えず、棋跡を省みることもできずにこの世を去ってゆくしかない。人の子よ、それはあなた達がいまだ幼く弱いからです」
ミールの逡巡はほんの一時で、彼女は覚悟を決め、語り始める。
「自分の人生を歩みたいのであれば、強くなりなさい。翻弄されたくなければ、大切な人を守りたいのであれば、盤面を整え、ルールを作り、制定を下せる力が要るのです」
慈しむように短くなった髪に櫛を走らせながら、ミールは優しくささやく。
「この世界の秩序を乱すような業は、私達が全てこの地に集め封印します。人の子よ、強くなりたいなら私達から盗みなさい」
「傲慢な考えね。だけど、あなた達は間もなく滅びるわ。そのような考え故に」
端から見れば、暖かな日差しのもとでおしゃべりをしながら散髪をしている仲の良い女友達のように見える。
しかし、その会話の内容は種の存亡を占うような不吉なものだった。
「ミール。いつの日か、私達は、あなた達に翻弄されない人生を歩めるようになる。……それまではミール。友達でいましょう」
会話の最期にグレタはミールの方を見て笑った。