越冬 LI
「ああ、 倦んだ! もう飽き飽きだ!」
翼人を偵察に送り出して幾ばくも経たぬうちに、短い眠りから目覚めた黒竜ヴォルデインは、不完全燃焼の黒く煤けた煙と共に言葉を吐き出した。
「なにか困り事? ヴォルデイン」
ヴォルデインの腹の下、飛竜の雌達の絨毯の一角から声がする。
「おお! 王妃ウンドミエル! 御存命だったか?! ここ半月ほど言葉を発しないものだから、そのまま身罷ったかと思うたぞ」
ヴォルデインはウンドミエルの声を聞き急に元気を取り戻したかのように頭をもたげた。
「お陰さまで、まだ、息はあるわ」
苦しげに途切れ途切れの言葉を発するのは、高嶺の王ストライダーの妻、ストレイリアの母親、夕星妃ウンドミエルである。
「それで、ウンドミエル。どのような相談にのってくれると云うのか? 貴女に私の心のうちを理解できると?」
大抵の場合、飛竜達が一言でも発すると、分銅鎖のような尾の一撃が飛ぶか、永続的にかけられている禁呪、『汝ラ動クコト能ワズ』を上がけされるのだが、今日の彼は王妃との会話を続ける気になったようだった。
「放漫な貴方がこんな所に隠っているのですもの。新しい龍に仕えるのも大変ねえ」
恐らく死を覚悟してのことであろう。
侮蔑の念を隠しもせずにウンドミエルは言い放つ。
この、疑り深く邪悪な竜の逆鱗を逆撫でする言葉である。
しかし、彼は何故か切なげにため息をついて、独白のように胸のうちを明かす。
「ああ、全くだよウンドミエル。アルティン・ティータ様の懐かしさと来たら!! あの方は強く容赦なく美しかったなあ!」
「あの頃の貴方は、今よりずっとシャンとしていたわ。……そりゃ、悪いことには変わりなかったけど」
「ああ、悪巧みをしてはアルティン・ティータ様に懲らしめられて……。楽しかったなあ」
しみじみと語るヴォルデインはウンドミエルに同調し、大きく開いた宮の破れ口から、苔のように小さく見える森の木々の塊を見下ろした。
「ヴォルデイン。私は間も無く死ぬでしょう。……それはもしかしたら、羨ましいのではなくて?」
ヴォルデインからウンドミエルは、折り重なる飛竜の雌達に阻まれて見えてはいなかった。
その奥底から聴こえる声に、ヴォルデインは正体不明の恐れを感じた。
「……確かにな。そうであるならば、少し羨ましくはある。……だがな、ウンドミエル。このままでは終われるまい。何かあるはずだ。私と云う『悪』が打ち倒されるとして、そこには何かの暴挙が……。なあ、ウンドミエル。告白しよう。オルタナ・オルセンにはうんざりなのだ。だがな。これがあの龍の力なのか、アルティン・ティータ様とは違い、オルタナ・オルセンに抗う気概が生まれないのだ。……忌々しい!!」
ヴォルデインは外に開かれた亀裂から長い首を折り返し、奥の人用の出入り口に目をやる。
「間も無くです。私の娘と、私の夫が選抜した戦士達が、貴方の破滅を此処に寄越しますよ。それが竜の災禍なれば、貴方と共に私達も終わりとなるでしょうが……」
何処にいるのか判らないウンドミエルの声がする。
「このように楽しみの無い世界ならば、私は燃えて散り散りとなり消えてしまいたい……」
『バキン、バキン』
黒竜ヴォルデインは逆鱗を逆立て、空気を胸の竜炉に送る。
黒い竜炉で練られた黒い炎は彼の胸の内で逆巻き荒れ狂い、あり得ない高温まで高められてゆく。
「私も一時は死を期待したが……。そのようなものを待つまでもない」
ヴォルデインの竜炉は臨界を迎え黒い焔が口から吹き出した。
「さて。この管のような通路であるが、我が眷族が不用意にも丸扉を開けていたとするならば、下宮にも私の焔が入り込み、人化した貴女の番や子供達を全て焼き滅ぼすだろう。何故なら私は今決めたのだから。私の命が果てるまで、私は今から吐く焔を止めないと!! この北之島が溶けて、干上がった海に転がり落ちる様を見せてやる!! かの強敵手、フェアノオルの知ろし召した今は亡きアルノオルが国土、西の大島エレッセイアの如く!!」
ヴォルデインの鼻先が、奥の煤けた通用口に突き刺さり、熱波がたちまち沸き起こる。
『ゴゴゴゴゴ、』
辺りを揺るがす振動が、山体の背骨を通り、麓の方に走る。
『ボゴン!!』
鈍い炸裂音がして、高嶺の宮の窓から見下ろす遥か下、山の中腹辺りの森から火柱が立つ。
その高さと来たら焔で出来た尖塔のようで、高嶺の宮のある辺りと同じくらいの標高まで跳ね上がった。
『ゴワッババババッハババババーー』
ヴォルデインは焔を吹き上げながら笑っていた。
竜すらたじろぐ熱が高嶺の宮に充満するが、身動きを禁じられている飛竜達には逃れる術が無かった。
────『抜け』が悪いな、翼人でも詰まっていたか?
ヴォルデインは火力を上げる。
『??!』
しかし、ヴォルデインが認識できたのは此処までで、彼の意識はここで途絶えた。
※※※※※※※※
通路へ侵入したヤシン達と別れた飛竜の戦士達は、腹這いながら木々を縫うように、見上げれば高嶺の宮を望める場所まで進んだ。
大きな飛竜の体で、これは非常な困難を伴った。
幸い天候が悪化し雪が濃密に降り始めたので、彼らの姿は認識し難くなった。
見上げれば崖に穿たれた高嶺の宮の裂溝が雪に霞んで見える。
目の前には下宮の、アルノオル様式の荘厳な正門が見える。
その正門から人化した疾風姫ストレイリアと飛竜衛士フランドウィールが小走りで現れたので、飛竜の戦士達は、隠形も忘れて飛び出して二人を出迎えた。
「姫!」
ちょうど飛竜達が出会った頃、
『ボゴン!!』
飛竜達の背後から破裂音がして、先程まで彼らが潜んでいた通路の入り口辺りから、火柱が迸った。
「!!!」
唖然として振り返る飛竜達の見守るなか、火焔柱は急速に成長し、天を焦がす焔の塔となった。
「ああ! ヤシン!!」
ストレイリアが悲鳴を上げる。
「こうなっては何もかも手遅れ! 此処より飛び立ち高嶺の宮に突入するぞ! 人質を救い出すのだ! 火を吹いている今ならば禁呪を……、」
フランドウィールが竜に変化しながら戦士達に指示をしていた時だった。
『カッ!!』
まず、上方で閃光が炸裂した。
高嶺の宮の亀裂に沿って光が噴出して、爆風と共に飛竜が高棚から投げ出された。
「何事?!」
落下する飛竜はヴォルデインに組敷かれていた女達である。
他にも融解を免れていた金銀財宝の類いが、花びらかの如く舞い落ちた。
身動きを禁じられている飛竜達は、まるで噴石のように受け身も出来ずに落ちるばかりだった。
「ああ!!」
あわや地面に激突するとストレイリアが思わず目を閉じた時 。
光で出来た巨大な腕が何本もするすると伸びてきて、落下する飛竜達を一つ残さず掴み、緩やかに減速させると、そっと地面に置いた。
その無数の光の腕は、高嶺の宮から伸びている。
腕が縮み、宮の高棚へ集まり戻っていくと、今度は黒い竜が小爆発と共に飛び出した。
「ヴォルデイン!!」
口から黒煙が漏れ出し、力なく項垂れている黒竜が光の腕の集合体に捕らわれている。
光は形を変え、長蛇のような龍の姿を形作る。
その龍にヴォルデインは咥えられていた。
異変を察知し、下宮から次々と人が出てくる。
丸扉までヤシンと共に進んだ家臣達。
海竜のゾファーとゾルティア。
解放された人化飛竜。
そして多数の翼人達。
正門を駆け抜けたそれらの人々は、振り返り上宮を見上げて驚愕する。
「天龍だ!!」
「天龍だ!!」
彼らは口々に叫び、その後慌てて平伏した。
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーー!!!』
龍の絶叫で木々が揺れ、崖が崩落する。
最後に高嶺の宮から一人の翼人が飛び立つ。
翼を広げ、旋回しながら下降する彼はテシカーガ。
翼人の族長である。
「翼人よ聞くがよい!! 我ら種族にかけられた黒竜の戒め、竜の契約は反故となった! 我らは自由ぞ!」
喜ばしげな声でそう叫んだテシカーガは喝采する翼人達の群の中に降り立った。




