越冬 XLIX
『ズズズズズ……』
石の塊をずらすような音がして、闇時の先にボンヤリとした光が現れる。
何度か曲がり角があるのか直接扉は見えないが、この秘密の通路と、翼人や人質の飛竜達がいる下宮とを隔てていた丸扉が開いたのだ。
『カッカッカッ、カッカッカッ』
遠くから鉤爪を石に立てているようなリズミカルな軽い音が、近づいてくる。
カルンドゥームは両手の盾を構え、身を低くして前進を始めた。
「待ってカラクリ兵さん。音消しの呪文を使っているわ! やり過ごせるかも」
カラリオンがそう言うが、フランドウィールは首を振る。
「この通路は、曲がってはいるが丸扉以外枝道のない一本道のはず。身を隠す場所はない。それに翼人は口から音を出して辺りの物を感知するのだ。音消しの呪文が仇となる」
音の反響で物体を認識することができる翼人にとって、音が返ってこない領域があることは容易に認識できる。
それが何であるかは兎も角、何かがあることは丸わかりになってしまうのだ。
「何でそういこと早く教えてくれないのよ!! それじゃあ意味ないじゃない!!」
カラリオンが悲鳴をあげる。
ストレイリアはヤシンの方を見る。
ヤシンはキョロキョロと辺りに視線を移ろわせ、小声で何やら独り言をいっている。
────襲撃が露見し呆けているのか?
────魔道王の遺児ならばと期待を寄せたが、この程度なのかしら……。
ストレイリアはフランドウィールに目配せをして前方へ身構える。
────いざとなれば翼人を倒し階段を駆け上がるか……。
決意を固めるストレイリアと同じように、一角竜女ゾルティアもまたヤシンを見つめていた。
彼女の中折れした角に納められているシル・パランが輝き、目に写るものとは別の像がゾルティアには見えていた。
「……」
ヤシンの周りには微かな輝きが舞っている。
リングロスヒアと共にほとんどの怪異は去ったかのように思われたが、暗い地の闇底から沸き立つように、再び彷徨う霊たちがヤシンを目掛けて集まってきたのだ。
この地で肉体が滅びたエルダールや竜が、救いを求めヤシンにすがる。
ヤシンはそれらの霊を、あるものは抱き、あるものは頬を寄せ、慈しむように言葉をかけている。
霊ははっきりとしたエルダールの姿をもつ者や、ボンヤリとした光としか知覚できないものなど様々だった。
中にはヤシンの耳元で何事かを告げる霊もあった。
ヤシンはそれらを聞き、また、何事かを霊にささやき、それを受けて霊は何処かに向かって飛び去ってゆく。
そのような光景が、ゾルティアには見えていた。
ヤシンは霊達と語らい、何かをしようとしている。
そんなとき、ヤシンがゾルティアを向く。
少し咎めるような、憐れむような視線が送られた。
ゾルティアは息を飲んだ。
彼女の足元に深海のような暗黒の海がにわかに現れ、一瞬ゾルティアは水に足をとられるような錯覚を覚えたのだ。
そして、その幻の水底から、ゾルティアが直接に、或いは間接的に、命が失われる場に立ち入った海竜たちが立ち現れた。
「ヒッ!」
ゾルティアは短い悲鳴をあげる。
狭い通路を透かした遠くに幻の海は凪いでいて、死した海竜は浮きつ沈みつ漂い、何か言いたげな視線をゾルティアに送っている。
『死に安らぎは無い……』
『水底は深く、浮き上がることが出来ない……』
『竜炉の温もりは失われ、海水に浸される……』
『ニニニニンゲン!』
『ワアァイ! ニクダアァ!!』
竜は口々にゾルティアに訴えていた。
「私を恨んでいるんだろう? この子が、ヤシンが皆を救うってさ。エルダールも、竜も。だからお前達、あたしに恨みがあるのだろうけれど、……今は待ちな」
ゾルティアが呟くと、幻の海の幻の海竜は、再び地底に潜航した。
ゾルティアがそのような幻視に気を取られているうちに、ヤシンは岩盤を越して遥か上を見、何かの異変を察知したのか、前方に進み出て、機械騎士二人の後ろに立つ。
シル・パランからの視覚を共有している魔道メイド達は、ゾルティアと同じように、溢れるように集まった霊達を目の当たりにし、身が竦み反応が遅れた。
「カルディア・シデロス。スタンガンの用意を!」
「御意」
鋼鉄の砲撃手カルディア・シデロスの背嚢からは四本の魔道砲の砲身が腕のように伸びている。
その四つの銃口の先に魔方陣が浮かび上がる。
「カルンドゥーム。なるべく傷つけないように相手を無力化するんだ」
カルンドゥームは頷き、手にしていたナイフのついた小盾を肘の辺りまで下げ、武装を外すと拳を握りしめた。
ヤシンの背後からフランドウィールが声をかける。
「翼人は人化している竜より強い。手加減などしている場合ではないぞ!」
「いいえ。翼人も救います」
さらに細かい打ち合わせをカルンドゥーム、カルディア・シデロスとしているヤシンは答える。
「あのような黒竜の走狗!」
「…………」
吐き捨てるようにストレイリアは言うが、ヤシンは彼女の顔を静かに見つめ返した。
「わ、私達飛竜は禁呪で縛られ、父上を人質にとられ……、」
「…………」
「…………。翼人にもそのような事情があると言いたいの?」
「わからないよ。でも、なにも聞かずに決めつけるのはよくないと思うんだ」
「思い上がりだ。襲い来る者に事情を聴くなど。力が伴わなければ実行はできないぞ!」
「父上と母上から、僕はその力を、それができる力を受け継いだんだ。……カルンドゥーム! カルディア・シデロス!」
「はっ! 聖上。」
二人の機械騎士が背筋を伸ばす。
「君達は騎士である」
「はっ! 己を研鑽し、敵におも、慈悲の心を!」
「僕達は正しく武器を振るわなければならない! 武器の赴く先を過つなかれ。そして、そこには正義が宿らんことを!!」
「はっ!」
カルンドゥームは拳を、カルディア・シデロスは四つの銃口を打ち鳴らす。
「階段の先、高嶺の宮で、黒竜ヴォルデインが熱核ブラストの発射体制に入った!! もうすぐこの通路を黒焔が通る!! 計画を変更し、翼人を速やかに無力化して、丸扉が閉められる前に扉から下宮に侵入するんだ」
どこから入手した情報なのかヤシンの知らせに一同は驚く。
「襲撃が露見したか!」
フランドウィールが唸る。
「まだ、僕らだとは判っていないようだけど、黒竜は暇潰しで翼人を偵察に向かわせて、それで、待つのに飽きて、翼人ごと焼き払うために火焔殺菌をするつもりなんだ。……バンシー達が知らせてくれた!!」
カルンドゥームとカルディア・シデロスを先頭にヤシンは闇の先に走り出す。
「みんなも走るんだ! 僕の後ろをついてきて!! 翼人を捕まえてそのまま丸扉まで走る!」
その時通路のカーブを曲がり、先頭の翼人が現れた。
彼らはヤシン達を発見し、一瞬驚くが、気を取り直し駆け出す。
腕も脚も使い、床や壁、天井までも、その鋭い手足の爪を引っ掻けて跳ぶように駆けてくる。
四人いた斥候のうち一人が踵を返し、丸扉の方へ戻り始めた。
「キィィィィアアアアアア!!!」
言葉と云うより、物体を測位する音波のようなものを口から迸らせながら、先頭の翼人が整列させた爪を槍のように先に突き出す。
カルンドゥームは人体ではとうてい不可能な角度に下半身の関節を折り畳み、突進の速度そのままに床すれすれまで体を沈め、下から左腕の小盾を突き上げて翼人の初撃である爪槍を跳ね上げ、空いた脇腹に右の拳を叩き込んだ。
「グゲェ!!」
翼人は悶絶し、屈んだカルンドゥームに足をぶつけて躓いて、床に転がる。
『パンパン! パンパン!』
背後で驚く翼人二人に対し、カルディア・シデロスの四つの砲門は、二発づつ小さな雷球を放つ。
『ギャ!!』
雷球は全て命中し、二人の翼人は痙攣しつつ床に倒れた。
『汝ら、動くに能わず!!』
子供の声とは思えない、地獄の獄吏のような声色でヤシンが命じると、倒れ伏した翼人達は、ぐったりと身を横たえるばかりとなった。
「さあ、この人達を抱えて走ろう! 扉が閉ざされる前に追い付くよ!!」
余りの手際のよさに言葉を失う一同を後目に、ヤシンは叱咤した。




