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開拓騎士団  作者: 山内海
第一話
8/92

海峡 Ⅶ

「……何だろう? 足元の、ずっと下の方から、地響きのような音と、唸り声のような……、粗野な人が沢山宴会をしているような、声がする」


 階段を登りながら、ヤシンは時折耳をそばだてる。


「この灯台の建つ崖には、海に面した大きな洞窟があり、そこには海竜の宿り場がございます。西海から東海、東海から西海への旅の途次、海竜はここで疲れを癒します。後で降りて行きますので、海竜達にご挨拶を。この季節、海竜の助けがなければ、海峡を渡ることは出来ません。どのようにして知ったのか、彼等はヤシン様の北行を聞き付けて、何日も前から集まり、逗留しております」


 灰色の長髪と白く輝く装束をなびかせ、階段を先導する長老は、振り返りそう言った。


「……人界を離れ、遙々北の涯までやって来たと思ったら、今度は竜かよ。いよいよ、お伽噺めいて来たぜ」


 長老の言葉を聞いていたディロンは、階段を登りながら呟いた。 


「ディロン様。人の世界とは存外狭く、人の時代とは存外短いものです。あちらのエルダールの長老は、ゴンドオル建国の御代、王都の近くにある旧王都ローヴェにおいて魔道王が即位された時、オーマからの使者として初代のヤシン陛下に謁見されております。オーマにおいてこの塔が創建された時も、ここで立ち会っておいでです。よわいは二千を越えるでしょう」


 ミールの言葉を聞いて、ディロンは呻き声を上げる。


「うへぇ、本当にお伽の国かよ…」


 クスリと笑ったミールは、視線をヤシンに向ける。

 

「ヤシン様と再会し、長老も懐かしいのでしょう……」


 


 螺旋階段を登りきり、灯台の上部、灯楼にたどり着いた。

 まだ太陽が上りきっていない時刻のはずだが、厚い雲が幾重にも垂れ込め、空は暗くなっていた。

 

「すごい景色……。この世の果てみたいだ…」


 強風に髪の毛を弄ばれながら、ヤシンは足元の海面を覗き込む。

 うねりに持ち上げられ、風に押されながら、海そのものが岸壁に叩き付けられている。

 岩礁で揉まれた海水は、クリームのように泡立でられ、それが岩壁を避け登る気流に乗せられて、ヤシンの近くまで飛んできた。

 

「空と海とが交わる辺りに、暗く延びる線が、エルダールの住まう大地『エリアドオル』でございます。あなた様がこの地を去る際に、いつの日か帰還すると告げられた土地でございます」


 ヤシンが遠くを見ていると思ったのか、長老は遠くに幽かに見える、『北之島』を指差す。

 ふわふわと舞う海の泡を見ていたヤシンは、首を振った。


「それは僕じゃない。それは違うよ」


 ボロボロの農民のズボン。

 かつては上等だったシャツは薄汚れ、所々に継ぎ接ぎが当ててある。

 寒さが厳しくなった最近は、シャツの上に毛皮の上着を着ている。

 軽くウェーブのかかった金髪は、ゴンドオルの民にはほとんど見られない、王族の証のようなものであるが、頭の傷と片目を覆うため、包帯でぐるぐると巻かれている。

 王子と言われても誰も信じはしないだろう。王都に住まう平民の少年と比べても、みすぼらしい身なりだった。


「僕は国を追われ、北之島へと逃げて行くんだ。 

 僕は弱い。 

 戦いは恐ろしいし、

 ……でも、

 王として人々の上に立つって事は、もっと、

 たまらなく恐ろしいんだ。 

 恐らく北の人々は僕を深く恨んでいるだろう。

 僕が弱いばかりに、

 僕が先頭に立って、可哀想なシムイと争わないから、

 ウィストリア公や北領の多くの民が死んでしまったのだから。 

 グレタだって、心の奥底では、僕を父の敵と思っているはずだ。 

 王様って云うのは、自分で決めた事や、やったことが他の多くの人たちの運命をも左右してしまう、その事を受け入れる覚悟が出来る人しか、やっちゃいけないんだ。 

 北之島で僕は冬を越せないかも知れない。 

 病気で死ぬか、先に渡った北領諸侯の残党に殺されるか、グレタとその騎士達に殺されるか……。

 だけど、それら、どの運命も、ゴンドオルの、王都の玉座、シムイを殺して手に入れる玉座で、誰かと誰かの生命を天秤にかけながら過ごす未来なんかより、余程良い。 

 だから、長老。

 僕は違うんだ。 

 僕は王の器じゃない、王子の地位すら、持て余し、耐えかねて、病気になったのだから。 

 あのまま王都の離宮で、死んでも良かった。 

 ………でも、僕は王都の外を見たかったんだ」


 半ば自分に言い聞かせ、自分の短い人生の意味を探すようにヤシンは言う。

 

「……どうしてだろう。ここの風景は、見たことがあるような気がするんだ。……夢で、なのかな?」

 

 異様に元気なカロンと、息の上がったディロンがミールを抱いて階段を登りきったのはその頃だった。

 

 全員が揃ったことを確認し、長老は塔楼の中心に建つ、ガラス張り四阿あずまやへ入る扉の鍵を開けた。

 

「こちらをご覧ください。『シル・パラン石』。灯台の心臓です」

 

 四阿の真ん中に、石の台座があり、その台座の窪みに、まばゆく光る一抱えもある丸い宝玉が納められている。

 宝玉には、生々しい眼球の瞳孔の様な、丸い色違いの部分があって、その部分からは、更に眩しい光が、雲間から差し込む光の帯のように真っ直ぐに伸び、海の中を一直線に照らしていた。

 

「ヤシン様、目を閉じて触れてください。貴方ならば見えるはずです」


「………」

 

 長老に促され、ヤシンは恐る恐るシル・パランに触れる。

 

「グッ! フグググ、」 

 

 途端に顔をしかめるヤシン。

 包帯で隠されたヤシンの片目から血が吹き出す。


「お坊っちゃま!」 


 ミールがヤシンへ手をのばす。 

 シル・パランの大宝玉の発する光は、何倍にも強くなり、部屋の中の皆は、直視できずに手で顔を覆う。 

 光はガラスの壁を突き抜け、塔の天辺から海の西方へ注がれる。

  

「光ることがこの石の本来の役割ではない……。ヤシン様。遠くの風景を望むのです。海の中も、遠くの島や大陸も、見通すことが出来るはず」


 目の辺りの包帯は、すでに深紅に染まり、更に頭の左右、耳の後ろ辺りにも血の赤が拡がりだす。

 

「ああ! お坊っちゃま! ディロン様! 降ろして下さい!」


 転がるようにディロンの腕から降りたミールは、服が汚れるのも構わずに、ヤシンの足元まで這い寄る。

 

「お坊っちゃま、それ以上は……」


 ヤシンが手をかざすシル・パランの、瞳孔の様な文様は、眼球そのもののように、キョロキョロと、ひとりでに動く。

 宝玉より伸びる光の帯も、それに合わせて目まぐるしく動き回り、オーマの街を照らし、遠くの北之島を撫でるように過ぎ、更に北方の彼方へと向けられた。

 

「ああ、……見える。……これは……どこだ?」


 ヤシンは目を瞑り、何かを探している。

 シル・パランの瞳は北の先の先に向けられている。

 放つ光はどんどんと光量を上げ、ヤシンの手の中で、宝玉は燃えるような熱を発し始めた。

 

「なんという力! 精霊との契約が!」 


 カロンは尻餅をつき、自分の中から抜け出そうとする何かを、必死に抑えて押し留めようとでもするかのように、自分の両肩を抱くような仕草をした。


「ヤシンお坊っちゃま! あああ!!」


 ヤシンの元まで這い寄り、必死に足にしがみついたミールは、悲鳴を上げる。

 

「氷壁は崩れ落ち、アングマアルの道は、開かれる」 

 

 ヤシンの体から蒸気と煙とが上がり、ガクガクと震えだす。

 震えながら、何者かに取り憑かれたように、途切れ途切れの言葉を発する。  

 

「極北の軍勢はウンバアルを目指し、南の帝国を襲う。人の世に終わりを告げる戦いが始まる……」

  

 長老はヤシンの手を掴み、引き離す。

 

「これ以上は、ヤシン様といえど危険です。それに、シル・パランの光の再生に気付いたようです。竜達が、騒ぎ始めました」


「待って!」


 ミールと長老の制止を振り切り、

 なおもヤシンは宝玉を使おうとする。

 

『ぎゃあああああああああああああー』

 

 その時、地響きと共に、何匹もの竜の絶叫のような鳴き声が遠く足元から響く。

 

 塔の下、崖の下の海が突然沸騰したかのように、モウモウと湯気が上がり、崖の突端からは、小さな太陽のような火球が撃ち放たれる。

 火球は水面や沖の岩礁などに当たると、大爆発を起し、更にその爆発で飛び散った小さな火球が、散った先で爆発し、その爆発で散った火球が、また爆発する。

 塔は揺れ、水蒸気は上昇気流に乗り、塔を超えて昇っていく。

 爆発でこちらまで飛んでくる、海水や岩礫が、四阿のガラスにビシビシと当たっている。

 

「あああ! 竜が熱核ブラストを無闇矢鱈にぶっ放しているのじゃ! しかし何という数!!」


 カロンがガラスにへばり付き、海の方を見ている。

 

「祝砲のつもりでしょう。己の『炉』のほのおの、消え絶えるのも構わずに……」 

 

 長老も悲しげな視線を海に送る。

 

「ミール! ごめんよ!」


 我に返ったヤシンは、ミールを抱え起こす。

 

「ヤシン様。ヤシン様、」


 光を失ったミールの片方残された瞳は、ヤシンを見つけることが出来ずに、宙を彷徨っている。

 

「ああ! どうしよう! ミールが、僕がミールを……」


 ミールを抱いて途方に暮れるヤシンの肩に、長老はそっと手を置く。

 

「ミール様は魔力が尽きかけておいでです。シル・パランに吸われてしまったのでしょう」


「どうすればいいの?」 


 ミールは残された手でヤシンの震える手を掴み、そっと自分の胸に添えた。

 

「ヤシン、さま、たすけて……」


「シル・パランにそうされたように、己の『炉』に魔力をくべて、回路を通し、掌からミール様へ注ぐのです。ミール様の器はシル・パランよりも繊細です。少しづつ慎重に…」 

 

 長老に促され、ヤシンは瞑目し、彼の体内にある『炉』を発動させる。

『バキン、バキン』と水晶が折れ砕けるような音が、ヤシンの身体から聞こえてくる。

  

「ミール、ミール!! ……僕を一人にしないで!」


 光を発するヤシンの掌に呼応し、ミールの胸元からも光が迸る。

 

「……私はまだ、停止する訳にはいかない。見苦しくても、浅ましくても、……私は……まだ」


 ヤシンに抱かれたミールが、すがりつく。

 長老がヤシンの背後より手を伸ばし、ミールの傷付いた頭を手の平で覆う。

 

「これ程の魔力があれば! 力の一部を拝借し、傷の修復を試みます!」


 長老の掌も光を発し始める。 

 ミールに手をかざしたまま、長老は低い声で呪言を詠唱する。 

 

いにしえに、

 人は土塊つちくれから創り出された。

 

 レーシー、

 ルサルカ、

 ドモフォーイ…、

 地の精霊達よ。

 

 太古の御業を、

 今一度ここで示し給え!

 

 神より預けられし、

 天地創造の奇跡の力の一端を!!」 

 

 

 長老の掌からの光は辺りを圧し、ミールは直視できぬほど発光した。 


「なんという魔力の奔流!! 北方魔法の秘術じゃ! ミール様! 思い出すのじゃ! 美しかった御自身のかんばせ御髪おぐしを!! 魔力が行き渡れば、その物は己の全うの姿を取り戻します!」

  

 カロンが身を乗り出し、ミールに呼びかける。


「ミール!!」 




 やがて、ミールの放つ光が収まり、それでも四阿の内部では、シル・パランが輝いている。

 

 シル・パランの光の中、ヤシンの腕の中で、ミールは静かに瞳を伏せている。

 彼女の頭の、無残な傷は無くなっていた。

 

 建国の時代から、代々の王族に仕え、人間世界の歴史を見続けてきた魔道人形は、創り出された当時の、離宮の惨劇以前の、美しい少女人形の姿形を取り戻していた。

 

 黒い髪は腰のあたりまで伸び、顔にも首にも、恐らくその下の体にも、無数にあった刃物の切り傷、差し傷は消えていた。

 純白の肌は、白磁の像のように滑らかで、女神を模した様に、清廉であった。

 

 しかし、惨劇の折、失われた左手首と、両足の膝から下、それに、外れていた片方の眼は、欠損したままだった。

 

「ミール、ミール!」


 ヤシンが呼びかけると、ミールは瞳を開く。

 

「ヤシン様……。ありがとうございます。私の魔法核は満たされました」

  

 少女のような可憐な笑顔で、ミールはそう言うと、身を起こし、自分の体のあちこちを確認しだす。

 

「…、それに、ああ! 顔が戻りました」 


「うん、綺麗だよミール!」


「……これで皆様に、見苦しい姿をお見せすることなく、ご奉仕が出来ます。……よかった……」


「でも、手と足は戻らなかったね……かわいそうに」


 ヤシンがそう言うと、長老は少し考え、「……対岸にある、この灯台塔の対の塔に、魔道卿の工房がございまして、そこでミール様はお生まれになりました。工房の封印を解くことが出来れば、欠損された部品が残されているかもしれません」と言い、対岸の方を指差した。


「ともあれ、そろそろ塔を下り、竜たちに会いに行きましょう。彼らが暴れ崖下の洞穴を破壊し始める前に」


「ヤシン様、頭の包帯と眼帯が血で真っ赤です。今お取り替え致しますね」


 ミールはそう言うと、肩から下げているカバンから包帯を取り出した。

  

「下の花火は収まったか……。流石にあれだけ撃てば、魔力が尽きた者もおろうて」       

  

 長老が開けた扉から、吹きさらしの外に出たカロンが、海を見下ろして呟く。

 

「今のうちです。ミール様、お急ぎください」


「すいません、今終わります………!!!」 


 長老に促され、慌てて包帯を取り替えていたミールは、ヤシンのこめかみの後ろ辺りを触り、驚きの表情を一瞬見せる。

  

 そこからは、頭皮を突き破り、左右一対の角のような硬い突起が、わずかに飛び出していた。  

 

「………」


 更に片目を覆っていた眼帯を外すと、いつも赤く充血していた目は、黄色味がかった縦長の瞳孔を持つ、シル・パランそのものの様な異様なものに変わっていた。

 

「竜の目……」


 ミールは異形を目の当たりにした驚きと云うより、恐れていた予測か事実となった困惑のような表情で、ヤシンを見つめた。  

 

  


ヤシン(シル・パラン以降)


挿絵(By みてみん)


ミール(シル・パラン以降)


挿絵(By みてみん)


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