越冬 XLV
「では、私とフランドゥイールが人化して通路を行来ます。残りの衛士は高嶺の宮が見える所まで進み、木々に潜んで合図を待ちなさい。……では、とにかく人化しましょうか……」
気の乗らない様子でストレイリアが人化を始める。
『人化』は、一応魔術に分類される活動であるが、海竜も飛竜も、印を組んだり呪文も詠唱などを行うわけではなく、その技術を自然に身に付けている。
「本当なのね、飛竜が人化を嫌うというのは」
オーマの生き残り上エルダールのカラリオンが呟く。
「我ら海竜はあまり気にしないのだがな。」
既に何日も前から人化したままの海竜王子ゾファーが言う。
「海竜と違い、飛竜は人化すると呪腕が使えないからね。たしか、飛竜の一番重い刑罰は角を折って人化したままにさせる『人刑』よね」
同じく人化している一角竜女ゾルティアがゾファーの言を次ぐ。
竜の人化には角が関わっているらしく、人化した状態で角を根元から折られると、ある程度の長さまで伸びないと竜に戻れなくなることが知られている。
「……不思議でならない。何故われら竜族には、人化の力が備わっているか。……どうして、わざわざ脆弱な人間の体に変化しなければならないのか……。それだけ死に近くなると云うのに……」
そんな事を呟きながらフランドゥイールが人化を始めるのを、ヤシンは眺めていた。
その何気ない言葉の意味をヤシンは反芻する。
脳裏によぎるのは、オーマの膝蓋館でベッドに横たわるアルティン・ティータの姿。
天龍の彼女は、人の姿のまま死んでいった。
不死の天龍である彼女が。
「もしかして、逆……なのかもしれない……」
ヤシンは自分の『こめかみ』の後ろを触る。
そこには生えかけの角があった。
その角は、僅かではあるが切り株のように隆起している小さな瘤から生えている。
まるで一度折れ、再び生えてきたかのように。
「人化じゃないんだ……。人こそが始まり……?」
ヤシンの思案は、ストレイリアによって中断された。
「……、やはりなにか着るものが要るかしら?」
ヤシンの目の前に全裸の女が立っている。
女は輝く肢体を隠すこともせず、一本一本の区別が出来ない、先が薄桃色に染まっている滑らかな銀髪のみを体に纏わせて。
その造形に一切の不備はなく、赤色の瞳は数々の星を宿し、唇や乳房の先など白磁の肌の数々の突端は、銀髪と同じくほんのりと血の気を集め桃色をしていた。
人との違いは耳の上から後ろに延びる竜の角があること。
女は、人化した疾風姫ストレイリアだった。
「ひぃっ! あああああ! まりょくがぁぁ!!!」
ヤシンは絶叫してうずくまる。
「はわわわ! ヤシン様!?」
九頭龍ダリオスを頭に頂く魔動人形25号が、ヤシンに駆け寄り顔をのぞき込む。
「どうしたかしら? ソルヴェイグ坊っちゃん」
「あー、ニコちゃん。カラリオン。こんくらいの若い男ん子はそのー、娘さんの裸に滅法弱いねん」
察したダリオスが解説する。
「弱い? こんな鱗もないフヨフヨした肉塊がか?」
柔らかな二の腕で豊かな両の乳房を挟み、くびれた腰から連なる尻まで、色々な肉塊をヤシンの目の前でフヨフヨと揺すって見せるストレイリア。
「ひぎゃぁぁぁ!!!」
毒でも浴びせられたかのように、地面で仰け反るヤシン。
「ほほー。魔道王の弱点見たり!! 昨日の意趣返し!!」
ストレイリアは満面の笑みでヤシンを追い回す。
ヨタヨタと前屈み気味に逃げ惑うヤシン。
「しゃあねぇなあ。お姉さんがかくまってやんよ」
一角竜女ゾルティアは自分の外衣の中にヤシンを入れる。
ちなみにゾルティアさん、外衣の中はなにも着ていない。
「!!!」
ヤシンはゾルティアに抱かれながら魔力を若干漏らしてしまった。
※※※※※※※※
通路の入り口は労せず発見できた。
ストレイリアが語っていた『火焔滅菌』のせいなのか、その辺りだけ樹が生えていなかったのだ。
黒く煤けた岩にさらに黒く、奥歯の裂溝に開いた虫歯の穴のように自然石に穿たれた入り口が、高嶺の宮がある北北東へ開いている。
「高嶺の宮で耳を澄ませていると、通路から物音が聞こえるときがある。この先はあまり大きな音をたてないように」
飛竜の戦士達と別れ、ヤシン、ダリオス、5号、8号、25号、ゾファー、ゾルティア、ストレイリア、フランドゥイール、カルンドゥーム、カルディア・シデロス、カラリオンが通路に侵入した。
岩盤を振り抜いて作られた通路は、入り口こそ人が二人肩を並べて通れるくらいの幅しかなかったが、中はもう少し広く、天井も人の背丈の倍くらいあった。
ただ、煤が厚く降り積もっているようで、どこも黒かった。
カラリオンは『音消し』の魔法を発動させる。
一行の周りを覆った領域内で発生した音は、外に漏れないようになった。
「床や段差の角が溶けて丸くなっている。ここは何度か炉の中のように熱せられたのね」
カラリオンは辺りを調べている。
「父上は人化させられているので、『火焔滅菌』はないとは思うけど、ヴォルデインも太古の竜炉をもっているから、私達がいることを知ったら火焔を吹き込むかも」
「恐ろしいこと言わんといてや飛竜の姫さん! ワシなんて一発でタコ焼きや!!」
ダリオスが悲鳴をあげる。
「では、進みましょう。翼人や、何かを発見したら、必ず捕らえてください。決してヴォルデインの元まで行かせないように」
機械騎士カルンドゥームが、刃物が飛び出した小さめの円盾をそれぞれの手に持ち先頭を行く。
喉に絡み付くホコリの多い通路を、それぞれが警戒を怠りなく、慎重に進んで行く。
『音消し』の魔法は、音を漏らさないが、外の音は拾うことができる。
「何か、気配を感じる。ゾルティア、ヤシン殿。なにか関知できないか?」
耳をそばだてていたゾファーが二人に問いかける。
ゾルティアの額から延びる薄紅の一本角の途中にある関節のような瘤が輝く。
その中にはシル・パラン。アルティン・ティータの眼球が納められている。
「……岩盤を透かして北北東の先に、雑多な気配があるわ。あるものは強力で、あるものはかなりそれから劣る。強い力は何かに抑え込まれ屈し、劣るものが闊歩している……」
ゾルティアの言葉は神託のように抽象的だった。
続いてヤシンの左目が光る。
それは、もう片方のシル・パラン。
暫く闇の先を見ていたヤシンは、ゾルティアに近付き、彼女の角に触れる。
「ゾルティア。魔力を足すよ」
両手で角の瘤を挟むと、ヤシンは瞑目する、彼の胸元から水晶が割れるような澄んだ音がする。
「ああ! はっきり見える! 人化した飛竜が約二百。高嶺の下宮の各部屋に十人位ずつ幽閉されている。それから翼人が五百位、大部屋にたむろしたり、廊下をうろついている」
ゾルティアの言葉は具体的になった。
「岩盤を隔てているみたい。でも一ヶ所、丸石の扉があってそっちへ行くことができる……それに」
ヤシンが言葉を続ける。
「岩盤のこちら側にも何かいるよ。飛竜や翼人とは違う。ねえ。ゾルティア?」
「ううん、そうだねぇ。おぼろげな気配。実体がない……でも、気を付けた方がいいよ。すぐ近くにもいる!」
同じものが見えるようになり、まるで姉弟のように並んでヤシンとゾルティアが訴える。
「なにそれ?! ……もしかして、お、ば、け? ヒィィィ!!」
キコナインの港で、上エルダールが幽世に取り込まれるのを見たカラリオンが悲鳴のような声をあげる。
「……これは、バンシー。……広野で肉体の滅びたエルダール」
ヤシンが呟いた。




