越冬 XL
ウンバアルの騎兵団が去った広場と、南北に延びる街道を繋ぐ、酒壷の注ぎ口のように狭まった短い通用路を、巨大な狼は列をなして街道側に行進する。
押し出されたウンバアル軽騎兵達は、やや南寄りに後退するように拡がりながら、とうとう全員が街道に追い出されてしまった。
狼の列から二人の少女が姿を表し、唖然とするウンバアル兵の前で神殿の門を守る彫像のように構える。
弓を携えた兵のいくたりかが矢を射掛けたが、片方は槍で、もう片方は石で、軽々と払い落としてしまった。
「お前達、南へ帰れ! 自分の領分をわきまえて、その領分で生きて行け! 領分を越えてしゃしゃり出ると後悔するぞ! 私が諭している間に帰っておけばと悔やむぞ!!」
慎まやかな胸をそり返り、ウォーセがウンバアル兵に呼び掛ける。
驚愕の声と、混乱の騒音と、僅かながらの下卑た視線が、ウォーセに還る。
もう一人のフォルケウは、石を掲げてステップを踏み、ウォーセの周りで踊っている。
「ウォルウォルウォルララー!!」
「ウォルウォルウォルロロー!!」
街道に潜むゴンドオル騎兵を含め、全ての兵達の視線が、狼少女達に注がれている。
「お前達こそ何者だ!? 森に潜む悪霊達め! ここは直に人間の領分となる。森が潰えるその日まで、木々の合間に潜んだままでいれば良い!!」
「木は打ち倒されて、田園は広がる! 地面に陽が当たり、お前達のような闇の眷属の居場所は無くなるのだ!!」
落ち着きを取り戻したウンバアル兵達は、口々に言い返し、武器を持ち出せたものは、それを手に取り直した。
「はぁー……」
ウォーセはその様を見てため息をついた。
「じいじ。こちらの言い分は伝えたぞ! 言葉を尽くしたと、そういうことでいいか?」
ウォーセは、虚空に呼び掛ける。
「そうさの」
直ちに当たり一帯の空気を震わせる返答があった。
「ウンバアルの兵達よ、疾く疾く南へ去るが善い。何人かは生きて南に事の次第を伝えてもらいたいものだ……」
街道の北、
本来オーマまで、直線で続くはずの路である。
一同は広場の入り口の狼の列ばかり注目していたが、街道の北側が幾ばくも進まぬうちに行き止まりになっていることを発見した者が何人かいた。
知識としては知っている。
街道はまっすぐ北に伸びている。
しかし現実に路は跡絶えている。
小山に行き当たって其処で北へ行くのを諦めたように大きな岩塊の前で終わっている。
まるで巨大な四足獣が、うずくまってでもいるかのように、岩塊は石畳の上に鎮座していた。
闇に目が慣れ、子細が解るようになるにつれ、ウンバアルの二千にものぼる歩行の騎兵達は、冷や汗と共に不吉な予想が頭に浮かぶのを止めることができなかった。
その岩塊の上部には鬼灯のように紅く燃える2つの目があった。
二つの鬼火はゆるゆると上昇し、そのシルエットは四本の角を天に突き立てる、見上げるような龍の首にしか見えなかったのだから。
「時は来た。暴悪。災害。ここに今居合わせたことを呪うがよい」
二つの鬼火の間隙の少し下、キラリと光る星のようなものが現れた。
「アーケン石よ、光を集めよ」
星の光りに照り映えて、人の頭程の大金剛石を咥える大野獣の頭が露になる。
馬の姿の変化を解き、龍の姿に戻った馬名飛影、龍名陸王である。
「ひぃぃぃ!!!」
「あぃやあ!!!!」
それが目に入った北寄りの兵達は、たちまちパニックに陥り、人を押し退けてでも逃げようと南に潰走を始めた。
「集束!! ガスダイナミックレーザー!!」
『ミ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーー』
北に居まし南面した陸王の口から光が噴き出し、咥えた金剛石にその光が集められ、白熱する線となり、南に一直線の街道の中央を、街道に沿って一閃した。
『バシュ!!』
光は一瞬で消える。
街道の中央にいた兵士達の幾人かが跳ね上がり、南に吹き飛んでいった。
少し遅れて、
『ドグアァッアア!!!』
光が通った一直線の周り。
直径が街道の幅とほぼ同じ筒状の空間の温度が、石をも溶かすほど急上昇した。
「ううううう! ああああああ!!」
遠く街道を離れていたゴンドオル兵達にも、衝撃と熱波が届き、騎兵達は仰け反り、熱波に耐える為顔をそむけ手で覆った。
街道沿いの木々に一挙に焔の華が咲き、真昼のように明るくなった。
「カッ!」
陸王が短く一声吠えると、その炎は幻のように鎮火した。
空気の中にある、ものを燃やす魔素を取り上げてしまう術式である。
物の焼けた臭いと熱だけがぼんやりと、信じがたき出来事が幻ではないことの証左として残された。
陸王の近くの街道には焼けて黒くなった石畳の隙間に、鎧や馬具の金具の、溶け固まって漆喰のようになった銅や鉄が有るばかりで、一切の生物が消えていた。
そこには一片の骨も残されてはいなかった。
南へ下ると、黒焦げの死体が折り重なり、嫌な臭いを放つ有り様がしばらく続き、熱で沸騰した生焼けの死体の一団を過ぎ、酸欠で気を失っていたが、破滅的な難を逃れて、南へ逃げ出したウンバアル兵の一団が僅かにあった。
その数は百名もいなかったが。
「……陸王様」
兵が去り、いつの間にか森に跋扈していた狼達も去り、辺りには静寂が戻った。
広場の方から王旗を抱えた近衛兵が二人、未だ残り広場の入り口を封鎖していた狼達をすり抜けて街道に出た。
兜の面を上げた彼らの、人の顔のあるべき部分には、オーマの灯台守と同じく頭大の魔宝玉が、鈍い星の光を漂わせながら収まっていた。
「お勤めご苦労、魔動戦士達よ」
巨龍陸王は近衛兵に言葉をかける。
「……親書ヲ、しむい王カラデス」
王旗を持っていない方の近衛兵が、装甲の隙間から封筒を取り出す。
「……、ウォーセ。受けとりソルヴェイグへ届けよ」
「わかった、じいじ」
槍をもった白銀の狼少女ウォーセが近衛兵から封筒を受けとり、尻の毛皮と肌の隙間に挟み込んだ。
「じいじ。こいつどうする?」
金髪の狼少女フォルケウが失神したままのニコラウスを引き摺って陸王の元にやって来た。
「……、宰相のニコラウスか。こやつが手引きをして今のゴンドオルの衰微がある」
「喰うか?」
フォルケウが足首をつかむ。
「……いや、生かして帰そう。ウンバアルの魔道士は、あのオルタナ・オルセンだかと云う、天龍と繋がっとるらしい。……アングバンドが死んだのだ。奴から計画の子細も告げられておらん。ワシはゴンドオルの王都の馬屋にて、この魔道士の政の遣り様を見ておった。こやつも若い頃はゴンドオルの尖兵としてウンバアルと戦っておった。こやつはウンバアルの出自ではあるが、故国を憎むかのようにウンバアルと戦っていたのだ。それが、何があっての変節なのか、見定める必要がある」
そう言いながら陸王はみるみる縮み始め、馬の姿になった。
「鬱憤の幾分かは晴れた。この鬱憤はミールが分だ……」
南をにらんで飛影は呟く。
「じいじ……生き残った人間が来る。あたしらも戻るね」
ウォーセとフォルケウはその場にうずくまり、少しして毛皮を拡げるように体を伸ばすと、その四肢は狼の物となり、巨馬の飛影程ではないにしても、普通の馬と肩を並べるほど巨大な北方狼二匹になった。
ウォーセとフォルケウ。
さらに広場に残っていた狼達も、風が吹き抜けるように木々の合間に消えていった。
「皆殺しですか。いっそ清々しいですね」
少しして街道脇の森の奥から、騎士ナイエス・ナーガを伴ってミールが現れた。
「はて……? 狼は?! 龍は何処に?!」
状況の掴めないナイエス・ナーガは辺りを見回して叫ぶ。
馬の姿で飛影はいななき声をあげる。
「去ったようですね。それより貴方はどうします?」
ナイエスを見上げてミールは訊ねる。
「この先にあるというオーマという最北端の街を見いだし、そこに赴いた北領伯ヤシン様に親書をお渡しする。それが今回の遠征の目的だったはず。しかし北方狼の襲撃で、我ら旅団は崩壊しました。ああ! 王兄はご無事なのでしょうか?!」
「私はオーマから来たのです。無論ヤシン様はご無事でございます」
ミールは答える。
「では、最早私達に成せることはありません。……我らは王旗を守り王都へ帰還します。宰相は……」
ナイエスは舌打ちをしかねない一瞥をニコラウスへ向ける。
「幸い一命を取り留めたようですので、宰相を伴って南へ転進します」
ミール達に続いて、恐る恐る街道に戻ったのは、ゴンドオルの騎兵達であった。
「では、改めて。ご同道させていただきますわ。騎士ナイエス様」
こうしてビショップは王都に赴いて、ゴンドオル王室からウンバアル帝国からの影響を排除する戦いを開始したのだった。
北方狼の大半は海峡を泳ぎ渡り、ヤシンと合流する事になる。




