越冬 ⅩⅩⅩⅨ
「ゴンドオルの騎士の方々。木々を縫って森の中に入ってください。馬から降りて手綱を取って。馬を置き去りにしないでください。馬が怯えないように励ましてください」
ナイエス・ナーガの傍らで、ミールの体を使っている灯台守ビショッブがゴンドオル騎士達に告げる。
ミールの信望者である若き騎士、ナイエス・ナーガが声を張る。
「諸君! この方は、この方こそは、ローヴェの聖女ミール様だ! 連理双樹の旗を戴くゴンドオルの騎士で知らぬ者は有るまい!」
ゴンドオル騎兵から、響きと共に『応』と云う返事が一斉に返る。
ミールはニッコリと笑顔を見せ騎士達に手を振った。
「北の領地に王兄様をお送りし、王都に帰る途次でございます、詳しい話は後回しにし、まずは難を避けるため、私についてきてください」
混乱するウンバアル騎兵を尻目に、ゴンドオルの騎兵500騎は、街道で隊伍を組み、ミールを先頭に枯れた下生えを踏みしめながら原生林へと分け入った。
地面は平坦ではなく、枯れ枝や倒木がいたる所にあり、移動は大変な労苦を伴ったが、ナイエス・ナーガ以下騎兵も騎馬も、広場のかがり火が小さくなるまで漆黒の木闇をミールに従って進んだ。
「ミール様。これから何が起こるのでしょうか?」
眼帯と機械の腕の中で明滅する魔力球の光で、ミールの位置は真闇でも判った。
ナイエス・ナーガはそれに問いかける。
「ゴンドオルを創建した魔道王陛下は、ワラグリアでは、魔道卿と呼ばれ、超常の力を備えた大魔道士であらせられました。陛下は後事をエダインの皆様に託され、故地である北へと帰還されました。……しかし」
ミールの声色には微かな困惑が混じる。
「この大陸には力を持つ殿原が、魔道王陛下の他にもいらっしゃり、その方々にも様々な思惑があります。昨今のゴンドオルの衰微、ウンバアルの北進を快く思われてない方も中にはおいでで、その中のお一方が今宵此処に御出座しになりました……狼達はその眷族です」
遠く篝火が、そちらを見つめるミールの横顔を照らしている。
「今宵此処で、龍の審判が降されます」
そう言った後、ビショッブは小声で独り言ちた。
「争いのない、平和な世界を望んでおられた魔動王陛下のご遺志には背く形となりますが、陛下亡き今、陛下が建国し、ミール様や陸王様が守り続けたゴンドオル国を、みすみす他国の恣にさせるのは、北の防人としてワラグリア、ゴンドオルと云う『連理の樹』を守り続けてきた『南の鎮守』このビショッブが許しません……。御曹司たるソルヴェイグ様が成人される迄にゴンドオル国を再建し、大陸の国々悉くを併呑し、その全てを献上するのです。真の平和とは、大陸統一国家の樹立によって成されるはず……」
彼女の目には剣呑な魔の光が宿っていた。
広場の周囲、乱立する木々に三々五々に繋がれていたウンバアル騎兵の馬達は、狼達に一斉に吠え立てられ、『ひぃぃぃーー!!』と、女の悲鳴のようなイナナキ声を上げながら、酔兵で溢れる広場に雪崩れ込んだ。
続いて、馬と然して大きさの変わらぬ巨大な北方狼が、次々と広場に進入し、ウンバアル騎兵の混乱に拍車をかける。
騎兵達は暴れ馬を落ち着かせることを諦め、広場から街道に逃げ出した。
丁度森に消えたゴンドオル騎兵が先程までいた空間に、今度は徒のウンバアル騎兵が満ち満ちと溢れかえった。
ウンバアルの馬達は、包囲の輪を縮め広場に進入した狼と、広場から逃げ出し街道に充満したウンバアル兵に阻まれ進退窮まったかに見えた。
しかし、程なく広場の狼の包囲の輪は、街道とは逆の森の奥へと向かう一方が開き、退いて南北に割れた狼が騎兵と馬達の間に割って入ったので、一斉に森の中に逃げ出してしまい、ウンバアル騎兵達は馬の行方を追うことができなかった。
広場と街道を繋ぐ出入り口に、狼達が唸り声を上げながら横並びに整列する。
孤立した騎兵は身動きできず、然りとて狼が無数に走り回る森に入るのは気がとがめ、その場に釘付けになった。
「?? 何事であろうか?」
広場の騒ぎを聞き付け、小屋の中にいたウンバアル騎兵の将校が広場に出た。
ゴンドオル宰相ニコラウスが、遅れて外に出た頃には広場に狼が進入を始めていた。
ニコラウスは咄嗟に狼目掛け稲妻の魔法を何度か投げつけたが、雷撃で一、二匹仕留めたところで、その勢いは衰えなかった。
「くうう! 機械兵への切り札であったが仕方なし」
ニコラウスは手にしていた杖を地面へ向け魔方陣を描いた。
『超獣招来急急如律令!!』
魔方陣から紫の電光が吹き出す。
『召喚! 雷虎念!!!』
電光逆巻く魔方陣を通じて、まるで地中から這い出てくるように、稲妻をまとった野獣の腕が現れ。続いて雷電の獸毛で身を鎧った大きな虎の頭が顔を覗かせた。
「……!!」
更に遅れて近衛兵が小屋から出た時、魔導師ニコラウスの傍らには雷獣がうずくまり、その膝下には北方狼が組み伏されていた。
「……、至急、救援、ヲ、乞ウ、」
王旗を抱えた近衛兵は虚空に向かって語りかける。
どうやら魔道士と通信をしているようだ。
王旗を持たぬ方の近衛兵が、抜き身の剣を雷獣に向ける。
ニコラウスは雷獣と近衛兵を交互に見つめ嘆息する。
「……剣を納められよ! これは私の召喚獸だ。狼の数は大したことはない。ゴンドオル騎兵に広場に向かって突撃をするように伝えてくだされ! ええい! こうなっては傭兵達の数が仇となった!! 『龍宮』の妖怪共め!!」
ニコラウスのぼやきは、彼の周囲に張っていた物理結界に何かが接触したことにより途切れた。
彼が振り返った時、二足歩行の狼が、非常識にも槍の先で結界を切り裂き、肘と足先を結界に割り入れて押し拡げようとしていた。
よくみると、侵入者は、頭も含めた狼の毛皮を、あんぐりと口を開けた狼の口の中から顔が見えるように被った少女だった。
いや、
少女が狼の毛皮を被っていると云うより、狼の腹が割れて、中から臓物の代わりに裸の少女がはみ出しているようだった。
毛皮と、骨片を連ねた首飾りと、瑪瑙の髪留め以外、事実少女は何も身に付けてはいなかった。
狼と毛皮と大差ない灰銀色の豊富な髪が、彼女の裸体をまるでドレスのように飾り立てている。
青みがかった丸い瞳は狼と云うより猛禽類のそれのようで、あんぐり開けた狼の顎門の中で爛々と輝いていた。
彼女は片手に呪力を秘めた細密な彫刻の施された短い槍を持っていた。
「フォルケウ!!」
どのような原理で魔術結界を手足で押し拡げる事が出来るのか?
「ふんが!!」
結界を押し拡げた、灰銀色の毛皮を被った少女の背後から、彼女と瓜二つの姿をした金黄色の毛皮を被ったもう一人の少女が現れ、裂け目に顔を突っ込み、赤子の頭くらいある石をニコラウス目掛けて投げ付けた。
「ガッ?!」
あまりの事に対応が遅れたニコラウスは、頭に石が直撃し、その場に倒れた。
『グルアァァァァーー!!』
召喚された雷獣が、統制を失い吠え声をあげて暴れだす。
近衛兵が向けていた剣をはじき、ウンバアルの兵や狼達を見境なしに襲い始めた。
「フォルケウ!! あいつを止めるぞ!!」
銀灰の狼少女が呼び掛ける。
「ヴォル!! ヴァル!!」
先ほどニコラウスに石を投げ付けた『フォルケウ』と呼ばれた金黄色の狼少女は、狼の前足とほぼ同化した腕を振り上げ、鉤爪を連ねてニコラウスが召喚した雷獣に斬り付けた。
『バスッ!』
接触の瞬間、目も眩むような閃光が迸る。
「ぎゃん!! ふんがあ! ビリビリする!」
小爆発と共に身を屈めたフォルケウが回転しながら雷獣からはじき飛ばされた。
「ウォーセ!! ビリビリするよう!!」
プスプスと若干焦げ付きながら、フォルケウはウォーセに泣き言を言った。
「フォルケウ! そのまま触るとビリビリするなら、道具を使え!」
槍をフォルケウに差し出すウォーセ。
「道具か!」
フォルケウは地面に顔を覗かせていた石に手をかけて力を込める。
「ふんがぁ!!」
地表に出ていた部分は人の頭程度の大きさであったが、フォルケウが引き抜くと一抱え位ありそうな岩塊だった。
エダインでは転がすことすら至難事の岩を、フォルケウは抱え上げ再び雷獣に突進した。
「えー……、」
自分の槍を渡そうとして、差し向けた腕の行き場をなくし、ウォーセは奇妙な姿勢で駆け抜けるフォルケウを見送った。
「地獄に帰れ!!」
目前で飛び上がったフォルケウは、見上げる雷獣の頭目掛けて岩塊を叩き付けた。
『グシャ!!』
岩は雷獣の頭を圧潰させ、脳漿のように雷光を撒き散らした。
森の一部で目も眩むような光が炸裂する。
その光は、広場から遠く離れたゴンドオル騎兵達の元へも届いた。