越冬 ⅩⅩⅩⅧ
中央大陸の南に広大な領土を持つウンバアル王国、後のウンバアル帝国の誕生は、その国土の更に南に広がり、更に巨大であった『ディーカナーン』という古代帝国の崩壊の時期と重なる。
『飢餓皇マニシッサ』と云う強大な皇帝がディーカナーンを治めていたと、伝えられている。
国土が干上がり徐々に砂漠に覆われ、支配階級が食料を独占し、末期には臣民を喰らいつくしてその帝国は滅びたという伝説が、後裔のウンバアル人に伝えられている。
ディーカナーンがあったと伝えられる場所は、後世、茫漠たる砂漠が広がるばかりの地獄のような場所になった。
その地獄を北に脱出した者達が、ウンバアル王国を創ったのだ。
逃れた先は、南の枯れた砂漠とは違ったが、野獣の跋扈し雨の多い密林と云う過酷な土地だった。
ディーカナーンの遺臣達は細々とそれを切り開き、徐々に生活圏を拡げてゆき、国家の萌芽のようなものが形成された頃、南の荒れ果てたディーカナーンの亡土より、漆黒の龍が飛来した。
ある伝説によれば、それは、飢餓皇マニシッサの体内より生じたと伝えられている。その龍の名を今に伝える資料はないが、ウンバアルの深紅の王旗に縫い上げられた深紫の波うつ龍の刺繍こそ、その似姿であると伝説は云う。
新任トゥガル領主の、品のない接待を振り切るように、アイオモウリを北に脱し騎行三日。
クルビナは兎も角、ヂシヤーチ、トゥガルと街道の整備は全く進んでおらず、中央の意図が正しく伝えられているのかも最早怪しくあった。
ゴンドオルの王旗をかかげた一団。
その内実は母国の紋章を外したウンバアル軽騎兵旅団であった。
彼らは街道沿いの広場に遺棄されていた丸太小舎を接収し、今夜の宿としている。
壁にはゴンドオル新王シムイより、名代の証として借り受けた王旗が掲げられている。
旗の前には王の近衛兵が二人、王の警護と同じように、抜刀の剣を床に突き立て、直立で旗を守っていた。
傷ひとつ無い輝くばかりの全身甲冑に身を包み、休憩も食事も取らず言葉ひとつ発せず、兜の面を上げることもしない。
先日の夜営の際、酔ったウンバアル騎兵が王旗を触ろうとした時、この近衛兵は問答無用で酔兵を切り伏せた。
ゴンドオル国の古法は王室の不可侵の権威を定めている。
これらを覆す新法を定めようとも、王室を支配し、絶対的権力を持っていた魔道人形ミールを排除した後も、その影響は色濃く残り、容易には変わらなかった。
ゴンドオル国宰相、魔導師ニコラウス・テスラウスは、王都から早馬で届く書類に目を通しながら、時折苦々しげに、この、ゴンドオル王家の権力の象徴である王旗と近衛兵を見た。
ゴンドオルの王旗は『月日抱擁連理木の旗』と呼ばれている。
描かれた二本の樹は根本近くで一旦幹が結合し、左右に湾曲して位置を入れ換えている。
それぞれの樹は三日月と真円を、まるで果実のように抱いている。
伝え聞くところによると、真円はゴンドオルを、三日月はワラグリアを顕しているらしい。
しかし、ニコラウスはワラグリアの古文献を調べ、この紋様が樹ではなく天龍アルティン・ティータの角を表していることを知っている。
初代魔道王を弑した王妃アルティン・ティータを、後のゴンドオル国民は忌避したらしく、事の仔細は伝えられてはいなかった。
むしろ魔道王が建国前にしばらく滞在していたワラグリアの方が、彼女の功績を留めていた。
これらの北方世界の逸散した伝聞を集めるために、魔道士トルバヌス・アルバヌウスは北へ向かった。
平民出身のニコラウスとは違い、トルバヌスは『龍宮』の推挙でウンバアルからやって来た道士である。つまりは『降霊』の儀式を受け、オルタナ・オルセンの意志の元、皇帝派のニコラウスを監視するために送り込まれたウンバアルの奥の院、龍宮の使いである。
アングマアルの機械兵を操る術をニコラウスは知らない。恐らく龍宮に秘匿された技術なのであろう。
しかしトルバヌスは、龍宮の意思とは別に彼自身の野心もその胸に秘めていた。
皇帝からニコラウスに代わってゴンドオルの宰相の地位をちらつかされたトルバヌスは、龍宮の警告を無視し北へと旅立った。
しかしこれは、皇帝とニコラウスが仕組んだ罠だったのだ。
監視役のいない間に、ニコラウスはゴンドオルの改革を断行し、ゴンドオルから魔道王の痕跡を排除しつつある。
正直、ニコラウスには、ウンバアル皇帝の意図は判らなかった。
ただ、貧しい孤児だった自分を引き取り、魔法使いとしての教育を施してくれた皇帝のため、尖兵として働くだけである。
しかし、この北行に関しては、トルバヌスの北行が龍宮の意に反したように、ニコラウスもウンバアル皇帝の意を反し行った。
『ヤシン王兄が北行の終わり、オーマの手前で手筈道り護衛兵に討ち取られていればそれでよし。しかし正否を確かめるため送り出した60騎の斥候は全て帰らず、街道に晒されていたあの鎧は彼らの物であろう。北方狼の仕業と兵達は言うが、見付かるのはウンバアルの鎧ばかり……。トルバヌスからの連絡も途絶えた』
彼自身の目で安否を確かめるため、いまだ表向きは休戦しているだけのウンバアル本国から、二千もの騎兵を越境させ、傭兵として雇いいれたと云う建前で強引に自分の兵とした。
半ば傀儡のシムイ新王の後押しがあってこそできた力業であった。
新王の代理の証しとして、ゴンドオルの王旗を借り受けた。
この旗があってこそ自分の地位が保たれている。
己が圧伏し、その地位を貶めるためにあらゆる手を尽くしてきたこの旗に、未だ頼らなければならないのだ。
更には王旗の近衛兵が付いて回り、逆に自分が監視されるような格好になってしまった。
そんな、彼の物思いは、小屋の扉を叩く伝令兵によって妨げられた。
「注進! 注進! 広場に馬が暴れ入り、騒ぎとなっています!!」
それがニコラウスに伝えられた第一報だった。
闇夜の森を狼は走る。素早く、しかし、音をたてず。
木々の隙間から篝火の光が見え隠れする。
彼らは街道沿いの広場を包囲し、その輪を縮め始めた。
そんな狼達からすこし離れ、北街道を北から南に、巨大な馬の背に揺られ、灯台守のビショップは進む。
「この辺りでいいですわ。あとは歩きますから」
ビショップはそう言うと、ヒラリと鞍から身を踊らせ、地面に降りた。
「正直気持ち悪いぞ、そのしゃべり方」
巨大な馬は少女を見下ろしながらイナナキのような言葉を発する。
「慣れていただきます。だって、今はわたくしメイドですもの」
馬を見上げてビショップは言う。
「まあ、どうでもよいわ。……ゴンドオルの騎士達がすこし混じっているらしい。うまく導いて街道から剃らしてくれ。あやつへの義理ではないが、ゴンドオルの馬達は、その昔クツワを並べて戦った戦友達の子孫だ。エダインは兎も角、馬達は焔に巻き込みたくない」
その言葉にビショップはクスッと笑った。
「まあ、陸王さま。可愛らしい事を……。『その性、酷にして、無慈悲~』」
「お主が勝手に言っているだけだろう……」
広場では、包囲の輪が閉じられ、獲物の顔が識別できるほど狼達は接近していた。
広場から追いやられ、木々の中に結わえられた勘の良い馬達は、落ち着かなげにいななく。
しかし、広場のウンバアル騎兵達は狼の接近に気付かず、酒盛りを続けている。
茂みに伏せ、号令を待つ狼達。
その狼の中に二つ、背の高い影があった。
狼の毛皮を頭から被った少女が二人。狼の群れを離れ、更に広場に近づいて行く。
彼女達の毛皮の下は全裸であった。
彼女達は隠密に広場の外に留められた馬達の元までたどり着いた。
大樹の幹に結び付けられている騎馬の手綱を、手に持っている槍の刃で断ち切る。
「騒ぎを起こしたら森に逃げな……、喰わないでいてあげるから」
少女は馬の鼻面を撫でながらそう言うと、次の馬の固まりに向かって駆けていった。
そうやって、素早く馬達を解放した少女二人が再び闇に消えて行った直後、狼が一斉に恐ろしい吠え声を上げ、馬達を広場の中に追い立てた。




