越冬 ⅩⅩⅩⅦ
ゴンドオル王国は中央大陸の北部に位置し、西と東から大地をえぐるように海が迫る細長い国土を有する。
南北に長い領地は、気候の違いが大きく、作付できる農産物も違いがあるため、農民の南北への移動は稀で、特に北方の開発はほとんど手付かずであった。
新王の意向。
正確には新王の後見人、ウンバアル帝国から派遣された宮廷魔導師、ニコラウス・テスラウスの意向により、旧ワラグリア、現在は北領と呼ばれる地域の開発が計画され、現地に入った新領主により実行にうつされた。
新領主とは、先の政変で討たれ断絶された、ゴンドオル併合以前、ワラグリア諸公連合の領主にとって代わるために派遣された、南方領主の次男や三男達である。
ゴンドオルは既に南の大国ウンバアルの支配下に入り、南から流入したウンバアル人により、ワラグリア、ゴンドオルに住んでいたエダイン、後に北方人と呼ばれる人達は、北へ北へと圧迫されていた。
領民から臨時の税を巻き上げて、早速工事は開始される。
対象の街道は、道幅を馬六頭分以上にすること。
20リーグ毎に宿場を整備すること。
対象の範囲はグルビナの首府ビエンカビラよりオーマまでの間とする。
古い街道を覆うように繁っていた木々は切り倒され、幅を広くした部分には石や伐採した横木が敷かれている。
大規模な軍隊を北領に派遣するための工事であることは明白であるが、ゴンドオル北部の諸領の中でも北に位置する『トゥガル』の領内においての北端の町、アイオモウリの町を越え、更に北まで延伸する計画を示されたトゥガルの領主は首をかしげた。
アイオモウリより北など、北方狼の跋扈する原生林が続き、人など住んでいないと信じられていた。
二年前の政変の折、凡そ千人の敗残兵が、旧トゥガル領主に保護を断られ、アイオモウリ近くに住まう狩人の案内で北へ向かった。
トゥガルの民の中でも、山林に住まい、時として領主に逆らう、服ろわぬ狩人達の間にだけ、この狼の森を抜け、海に突き当たるまで北上すると、『オーマ』という名のエルダールの住まう町があることが密かに語り継がれていたからである。
南方出身の新領主がそのような伝説を知るよしもなく、かと言って勅命を無視し何もせずにいる訳にもゆかず、とりあえず宿場の予定地として割り当てられた街道沿いの数ヵ所に、トゥガルの民兵を数家族ずつ住まわせ、木々の伐採を命じた。
しかし、狩人すら赴くことを嫌う北から順に、消息を知らせる便りが届かなくなり、アイオモウリ以北の有人の街道駅は、二ヶ所しか残らなかった。
この街道を百人ばかりの集団がアイオモウリの町を迂回して通り、ひっそりと北に消えていったのは、秋も終わりに近くなってからであり、その列を目にした者は数えるほどで、しかも皆、その事について口を固く閉ざした。
「さすがに冷えるな……」
昨日、人の残る最後の街道駅を朝に出立し、そこから北へ20リーグ。
日没の直前、街道沿いの木の生えていない広場にたどり着いた。
街道駅を設置するために開拓民が入ったが、何らかの事情で放棄されたのであろう。
今夜の野営地にすると通達のあったこの広場には、甲殻類を思わせる黒光りのする甲冑を身にまとった騎兵達がひしめいている。細身の投げ槍を何本も携え、湾曲した剣を腰から下げる彼らはウンバアルの軽装騎兵であった。
二千騎を越えるウンバアルの騎兵団は、森の広場では収まりきれず、あぶれた者たちは木々の中に分け入り、広場を囲むように木と木の間にテントを張った。
この黒い一団に、ゴンドオルの王都に駐留していた新王直属の騎兵500騎が随行している。
彼らに至っては街道を塞いで路で野宿をすることになった。
往来など全くないので、軍隊が街道を閉鎖したところで何ら不都合はないのだが、仮に街道の南北から敵の襲撃があった場合、真っ先に攻撃にさらされる場所での夜営は、不断の緊張を兵達に強いた。
「休戦しているとはいえ、まさかウンバアルの黒騎士共と轡を並べて行軍しようとは……」
街道に座り込み、マントを体に巻き付けて、地面に突き刺した槍に立てかけた盾に寄りかかり、ゴンドオルの騎兵が呟く。
「見ろ、南の奴ら寒さに耐えかねて盛大に火を焚きはじめた。狼を呼び寄せているようなものだ」
別のゴンドオル騎兵が言う。
「狼がなんだって言うんだ?」
「知らないのか? 二年前の内乱の時、敗走した北領の兵がこの街道を北上し、狼にやられて壊滅した話を」
「それよりも、昨日のアレ、見たか? 街道に山積みにされた鎧……その敗残兵達の物なのか、それにしては、南の奴らの鎧に似ていたな」
寄り集まり、火を灯さず息を潜めているゴンドオルの騎兵達。
北領産のゴンドオル馬は、からだが大きく頑強で、厩の外では立ったまま眠る。
馬に寄り添って暖を取るゴンドオルの騎兵達は、息を殺して囁きあっていた。
それとは対称的に、馬を集めて木々に結わえ、篝火を盛大に焚き、酒を飲んで騒ぐウンバアルの騎兵達。
そのウンバアルの騎馬達が騒ぎだした。
悲鳴のような声で嘶き、首を振って足踏みをし、結びの緩い手綱からは脱走した。
「なんだ? あいつら騒ぎやがって……」
「宮廷魔導師が出張ってんだ。気が大きくなっているのさ」
騒ぎを遠目に眺め、ゴンドオルの騎兵達がそう話していると、喧騒には剣を鞘から抜く音や、何か固いものが鎧や盾に当たる戦場で聞く音が混じり始めた。
「何だか、剣呑じゃないか?」
「ああ、うちの大将方は感付いたな」
北寄りの街道から角笛の切迫した音が響く。
不意に広場に雷が落ちた。
ウンバアル兵のあちらこちらで悲鳴が上がる。
「いったい何と戦っているんだ?」
広場の混乱が、街道のゴンドオル騎兵にも伝播しようとしていた。
ゴンドオルの騎士ナイエス・ナーガは、歯噛みをし、大声で叫んだ。
「こう詰まっていては何もわからない。襲撃は西側の広場の周りからのようだ。街道の南は後続で埋まっている。北に進んで防御陣を構築するぞ!!」
ナイエス・ナーガは馬に飛び乗り角笛を吹きならす。
「ナーガ様! ウンバアルの魔道士から念話にて伝令が!」
ゴンドオル騎士付きの魔道士がナーガに呼び掛ける。
「して、何と?」
「我ら森林の奧部より狼の襲撃を受ける。至急加勢せよ!」
「バカをいえ! ウンバアルの騎兵を斬り倒しでもしないと、たどり着けないではないか!! 北だ! 我に続き北に向かえ!! 森の中を警戒せよ!!」
馬の足元で休んでいたゴンドオル騎兵は即座に馬に跨がり、将校の号令のもと、混乱するウンバアル騎兵を尻目に隊列を組み街道を北上する。
「木々の間を見ろ!!」
騎兵の誰かが声を発する。
木々の底知れぬ闇の中、銀色に光る双眸が街道を窺っている。
その数たるや百対を越えている。
目はまるで値踏みをするかのように、闇の底から音もなくゴンドオルの騎兵達を見つめ、兵達の心胆を寒からしめた。
たまりかね弓矢を構える騎兵達。
「放つな!! 矢を外せ!!」
ナイエス・ナーガの号令で、兵達は踏み留まり、街道の両端に大盾を並べた防御陣を築いた。
「北方狼の大群! しかし何故吠え声が聞こえない? ただの狼ではないぞ……」
南の広場では怒号と悲鳴が入り交じり、時折稲妻が落ちる乱戦が繰り広げられていた。
「……こちらはゴンドオルの兵馬ですか……。貴方達は健明ですね」
他の兵達が下馬し、盾をかまえるなか、いまだ騎乗のナイエス・ナーガの足元で、場違いな少女の声がする。
彼が視線を下に向けると、メイド姿の少女が、ナーガを見上げていた。
「あ、あなたは……」
場違いな少女の出現に、ナイエス・ナーガは声を失うが、少女を見つめるうちに、脳裏にある名前が思い浮かぶ。
「貴女はもしやミール様では? ワラグリアの聖女、ローヴェのミール様では……」
ナイエス・ナーガは馬から転げ落ちるように降り、ミールと呼んだ少女の足元に這いつくばった。
「……見習いの騎士だった頃、離宮の警護を任命されたことが御座います! 間違いない……。反乱主ヤシン王兄と共に流罪になったと……」
ナーガの呼び掛けに、少女は少し困った顔をして、手にしている煙管を吸った。
「私は……、まあ、ミール……と、いうことにしておいてください。その、記憶を少々失っておりまして」
ナーガの腕を取り、彼を立たせるミール。
「ああ! 聞き及んでおります。ローヴェの離宮での惨劇で、南方の騎士どもに狼藉を受けたと……。おいたわしや!」
ミールの手をとり、片膝をついたナーガは、ミールの顔を見つめる。
彼女の片目は眼帯で覆われていた。
右腕は武骨な機械仕掛けで、ナイエス・ナーガにはその構造は理解できず、まるで金釘とヤットコの束に重騎兵の腕鎧を被せたように見えた。
その腕はギシギシと軋みながら動き、時折蒸気を噴出していた。
「その腕は……?」
「故郷に赴き、修理しました。……所で騎士ナイエス・ナーガ様、」
広場の喧騒は更に激しさが増し、ウンバアル人が号令に使う脇太鼓が非常を告げるようにけたたましく鳴り響き、悲鳴と断末魔の叫び声が、ひっきりなしに上がっていた。
ミールは、そんな惨劇など初めから耳に入っていないかのように、にっこりと笑う。
その笑顔と、彼女の背後で一斉にひらめく狼達の眼光を見た時、ナイエス・ナーガは言葉を失い呆然と彼女の言葉を待つばかりだった。
「私は王都に参ります。案内していただけますか?」
ミールはそう言って口からポカリと煙の輪を吐いた。