越冬 ⅩⅩⅩⅥ
何処かに神は居まし、その似姿を与えられ人間は現出した。
天地創造から時は下り、今ここに、天龍アルティン・ティータは降臨し、相対するは、その似姿を与えられ魔道王に造られた人造人間のミール。
方や愛し愛され、方や使い仕え、魔道王と縁を結んだ、女達である。
「その子がソルヴェイグ。私の息子……」
アルティン・ティータがミールに言葉をかける。
視線の先には未だ意識を取り戻さないヤシン。
「……」
唇をきつく結び、ミールはヤシンを抱き締める。
彼女の目は血の気の失せたヤシンの唇に向けられていた。
「ミール。『お前の子ではない』と言いたげね……」
寂しげな笑みを浮かべアルティン・ティータは声をかける。
「……」
ミールは答えず、ヤシンを更にきつく抱いた。
「ミールはん……。気持ちは判らんでもない。でもな、ワシからもお願いや。ティータはんに、息子、抱かせてやってぇな。ティータはんにも、ティータはんの事情っつうもんがあったんやさかい……」
ミールの背後からダリオスが声をかける。
「このようなお願いは我儘だと、貴女が思うのは当然でしょう。しかし、今は永別の朝……。お願いでございます。一度で良いのです。私にその子を抱かせてください」
ククーシカを下ろし、ミールに正対したアルティン・ティータは深々と頭を下げた。
「……」
ミールの肩は震えている。
「ミール様、」
自分の腹の辺りを押さえ、ビショップは呟く。
その体がミールのものたった頃、人の世にして遠い昔、腹には、天龍の卵が割り入れられていた。
母龍が見棄てた卵をミールは拾い上げ、家事に用いていたナイフを、一晩かけて研ぎ、それで自分の下腹を切り裂き、その卵をねじ込んだのだ。
その頃のミールは、ある意味において狂っていた。
自ら夫の命を絶ち、一向に孵らない卵に望みを失い、建国したてのゴンドオルの、当時の首府ローヴェより、失意のまま北に去っていったアルティン・ティータ。
魔道王の理想からも、自身の願いからも、少しずつ離れてゆく現実に、アルティン・ティータも打ちのめされていたのだ。
「どうか、どうか……」
とうとうアルティン・ティータは、地に手をついて、ミールに土下座をした。
彼女の体は、魔王がそうであったように、少しずつ薄れ、朝の陽光に拡散を始めた。
ミールは、困惑した表情で、そんなアルティン・ティータを見下ろしていたが、とうとう胸に抱いたヤシンをそっとアルティン・ティータに差し出した。
顔を上げたアルティン・ティータは、膝立ちでヤシンにすがり付き、途端に炎が爆ぜるように、アルティン・ティータの体は消えてしまった。
「龍炉を欲した我が夫は、今の貴女とビショップがそうしたように、魂の器を移し替えるために、この、ソルヴェイグの体を用意しました。しかし、その行為は、今は去りし創造主が、我ら龍属に残した、隠されてきた救いの路を明らかにしたのです……」
ミールの抱くヤシンは目を見開き、言葉を発した。
しかしその言葉は、少年ソルヴェイグのものではなく、今消え失せたアルティン・ティータのものであった。
ヤシンに憑依したアルティン・ティータは、ミールの手を離れ立ち上がり、言葉を続ける。
「海竜、飛竜、地竜……、海と大地を形作った強大な不死の魔物達。上エルダールをはじめとした、人間文化の黎明を導いた不死の者達。全てはエダインと似た姿か、エダインの体に変化が出来ます。我等から見れば短命の、愚かしい、とるに足らぬ、後から生まれた人間が、先に生まれた優れた者達の姿を模したもの。と、竜やエルダールは考えました。……しかし、ある意味において、その考えは逆転してたのです」
ここに集う様々な種族の者達が、皆一様にアルティン・ティータの言葉を待った。
「私とアングバンドは、エダインが行うような夫婦の営みを通して、この子を授かりました。海竜の西王母プロトメティーカは、自分の子供、竜王子ゾファーの竜炉に自分の焔を移しました。この二つの行為の先に、竜の救いがあるのです」
ヤシン・アルティン・ティータは、黄金の原の、緩やかに高まっている小山に登り、掌を広げた片手を注目する一同の方に向け、撫で励ますように、掌から見えない力でも放出するかのように、一人一人順に向けていった。
「我らは見捨てられたのではありません。我らにも路があるのです。この大島を、竜とエルダールの楽園としなさい。人と交わり、緩やかに力を譲り、定命を得るのです。あなた達の子、孫……。魔の血脈は薄れ、やがて世界に溶けてゆくように……」
興味無さげに、光の草を喰んでいた飛影は突然首をもたげ、しゃがれた声で話し出す。
「世界に散らばる魔をこの地に招聘し、従わぬものは滅せよ。人間を殲滅の遊戯へと誘う、狂奔の源を見定め、それを絶て!!」
25号の頭上に鎮座する九頭龍ダリオスも音声を発する。
「魔道王より与えられたこの地の名は『アヴアロン』。人間世界の果てとなる島や」
「天龍様! 我が飛竜の館は、オルタナ・オルセンに占拠され、その眷族が、父や戦えぬ竜達を人質としております!!」
飛竜の姫、ストレイリアが、龍の宣言に割り込み、必死に訴える。
「我が子に力を残しておきます。魔を制するには、魔が必要です。この子を頼りなさい……。強大な魔力を、『魔』に魅入られず用いるには、無垢な心と、欲望を遠ざける意志が要ります。この子の支えとなってください」
「そして、そこのエダイン。ワラグリアのクリム・ドウラン。あんさんにはエルダールから別の力が与えれている。……それは路を外した魔道王、魔王を滅する力や」
急に名前が出てきて、面食らうクリム・ドウラン。
「そろそろ、私の力も限界です……」
ヤシン・アルティン・ティータは自分を抱くような仕草をした。
その体から金色の煙のようなものが立ち昇る。
黄金の煙は帯となり、再び光の龍が現れた
「オルタナ・オルセンは龍ではあるが、天龍ではありません。飛竜の館を占拠するオルタナ・オルセンの眷族を駆逐し、オルタナ・オルセンの封じる『オヤルル』の地を目指すのです。我が夫が作った機械兵の工房がそこにはあります」
天龍は灯台ヶ森の上空を旋回する。
上空から鈴の音のようなアルティン・ティータの声が響く
「この地で春を待ちなさい……」
「蓄えを焼かれてしまった! 我らは冬を越せない!」
下エルダールのモレヤが訴える。
「ゲゲゲゲゲゲ!!!」
唐突に巨大な馬が、蝦蟇蛙のような鳴き声をあげる。
地竜が吠えると、土が沸き起こり、光の草原を平らげ辺り一体を覆う。
「三龍が揃ったんや。龍の土産、受けとるがええ。天地創造の時に成された奇跡の再現や!!」
ダリオスが、八脚を振るうと、水飛沫が巻き起こり土を濡らす。
天龍は明滅を繰り返す。
土から芽吹いた苗が伸び、まるでアルティン・ティータの明滅毎に一日が過ぎているように、急成長を遂げる。
「飛竜の助けがあれば冬でも狩りが出来ましょう。ゴンドオルから渡海したエダインの糧は……」
芽吹いた苗は急成長し、とうとう黄金の実りへと変わった。
大麦、レンズ豆、馬鈴薯。ゴンドオル北部、旧ワラグリアで作付されている様々な作物が実っている。
「これを用いなさい。後数日は冬を押し止めましょう。その間に刈り入れるのです」
地の豊穣を見届け、アルティン・ティータは更に上昇を続ける。
「暫しのさらばや、ティータはん。ワシらはこの子らを見届けてから行くわ」
ダリオスが空に脚を振る。
「良いのよダリオス。貴方にだってこの世界に生きる資格があるのですから。海竜を治め、導いてください……」
今は微かになった、アルティン・ティータの声が帰ってくる。
「ふん。今度こそ別れだ」
王兄の馬、飛影が言う。
「さようなら陸の王。エダインの行く末と、ソルヴェイグを頼みましたよ」
「母上!!」
金色の煙が抜け出て立ち昇っていった後、呆然と立ち尽くしていたヤシン・ソルヴェイグの顔に表情が戻り、彼は空のアルティン・ティータ目掛けて駆け出した。
「母上! 母上!」
「ソルヴェイグ……、母と呼んでくれるのですね。私は父様と旅立ちます。ミールの言うことを善く聞き、寛容と慈愛の心を持ち、この世界の問題に挑戦するのです」
その言葉を最後に、後は鶴のような高い吠え声をあげて、天龍は雲間に消えていった。