越冬 ⅩⅩⅩⅣ
飛竜達の放った焔は、ゾファーやゾルティアの消化作業も虚しく燃え広がり、廃城や灯台塔に立つ物見からも遠望できる朱色に輝く線が、まるで呪われた朝焼けのように少しずつ幅を広げていった。
焔を逃れるために北へ北へと走る、シラトリ郷で黒衣の魔道師に糾合されたエルダールの狩人達は、走りながらも時折見返り、焔を見てその度に新に絶望を抱き逃げ足を早めるのだった。
「シラトリ郷やその先の土地まで森は続いている! 雨は降らないのか? 延焼を食い止める術はないのか?!」
ただの焔ではない。
竜から放たれた火は、少しの湿り気では弱まらず、瞬く間に燃え広がり、今は北風に吹かれて灯台塔のある海岸の方へ進んでいた。
やや西に外れた廃城からは、地上に延びる焔の線と、その熱に喚ばれた雨雲の、焔に照り映える灰と朱の入り交じった線が平行して見えた。
それは、二匹の龍が舞っているようであった。
地上の焔の発生源に向かって、大きな馬が疾駆する。
陸王である。
その背に、メイド姿のビショップと、魔道士の装束の上から紫のマントを羽織ったミールが相乗りしていた。
陸王の目指す先。
飛竜の風圧でなぎ倒され、戦いの焔で焼き払われ、半径半リーグ(エダインの単位で、1リーグは成人男性1,000歩分の距離)の荒地の中心に魔王は立つ。
「フッ、ググゥゥ、」
片目を射られ、その傷を押さえながら、魔王は立つ。
「ここまで来て……、ぬかった……」
魔王は光の矢を引き抜く。
「グッ、魂が……、引きずられる!」
魔王の傷口から魔力が吹き出す。
眼窩から焔のように吹き出す魔力は、宙空でまとまりどんどん膨らんでいく。
「おのれ! 体から引き剥がされる!!」
『ドサリ、』
ヤシンの体はその場に崩れ落ちた。
それでも魔力は宙にとどまり、人の輪郭を形作る。
ゴンドオル正教会の僧衣を身にまとった偉丈夫で、湾曲した角を持っていた。
実体を持っているわけではなく、はっきり見える幽霊のように、時折揺らぎながらも、確かにそこにあった。
「……遂に化けの皮をはがされたか……」
己の手を見つめ、自嘲気味に呟く。
「初代ゴンドオル王ヤシン・アングバンド。三星の瞳を持ち、魔力の噴出は水牛の角を形作る……」
クリム・ドウランは人影を見ながらそう言った。
「なあ、魔道王はん。あんさん、そんなん、柄じゃないやろ? 確かにフザケだこと、仰山するヤツやったんけど、これは、悪フザケにしても質が悪いし、何事も茶化すあんたが、そんな眉間に皺寄せて……」
言葉を続けようとする九頭龍ダリオスに向けて、魔王の幻影は手をかざして魔弾を発射する。
『キュゥゥゥゥーーー』
ダリオスの前に進み出たクリム・ドウランが片手を拡げると、魔弾はたちどころに吸い込まれる。
「今よ! ドウラン!」
カラリオンが声を掛けると、ドウランはもう一方の手をかざし、魔弾を魔王へ撃ち返した。
『ドウ!』
自らが放ったものの数倍する大きさの魔弾を受け、魔王は霧が突風に吹き払われるように、かき消えてしまった。
「……やったか?」
海竜のゾファー王子が倒れるヤシンの元に歩み寄ろうとしたその時、
「???、!!」
クリム・ドウランが苦しみだした。
「……ぐぐぐ、姿は好みではないが、仕方がない。この男の魔方陣に退避しよう」
クリム・ドウランは苦しみながらもそう言って自らの首を絞め始めた。
しかし、体に刻印された魔方陣が突然輝きだし、クリム・ドウランは倒れた。
「恐らく、このクリム・ドウランはんは、リングロスヒアはんが天龍オルタナ・オルセンに対抗するために、魔方陣を刻んだんや。憑依や乗っ取りは、あの天龍の十八番やさかい。それを防ぐ手立てが施されてたんやな」
倒れたドウランの上に、先程よりいくぶん薄れた魔力が集まり、再び魔王が姿を表す。
「グググッ、早く依代を、消えてしまう……」
魔王の幻影の視線は、今度は一角竜女ゾルティアに向けられる。
「シシシ、シル・パラン……。返せぇぇぇ!!!」
ゾルティアに飛びかかる魔王。
「!!」
ククーシカが立ちはだかる。
「魔道王。やめて」
「そこを退け……」
なおも迫る魔王。
「ククーシカ! 下がって!」
ゾルティアはククーシカの肩を掴む。
ククーシカはその手にそっと手を添える。
「……
天地創造の時、
天地には魔力が満ちていた
魔力は結実し、
龍と成り、
龍は大地を海より立ち上げ、
それを削り、
土を撒き、
山を造り、
川を穿ち、
草木を植えた、
その後も魔力満ちた者が次々現れ、
言葉を造り、
国を造り、
文化を造った。
魔力とは即ち天地創造の力であった……」
ククーシカは唐突に語り出す。
平素な言葉であった。
「???」
「???」
「???」
この場に集う者達は、ククーシカの真意をはかりかね、顔を見合わせた。
ただ一人、魔王だけが驚愕し、動きを止めた。
「創造者の意を汲み、
北へ南へ、
高嶺へ水底へ……、
その指し示す先に赴き、
魔力を持つ者達は世界を造り整えた。
しかし、
世界創造の完了を迎える前に
創造者は世界を去った。
魔力持つ者を導いていた意思は失われ、
魔力持つ者は迷える者となった。
創造者を模倣し、
魔力を振るう者を操り、
創造ではなく、
破壊と殲滅の遊戯を楽しむ者が現れた……」
ククーシカは言葉を続ける。
それは、彼女の言葉ではなく、昔に語られていたものを、諳じているようであった。
「何なの? ククーシカ?」
ゾルティアは彼女を後ろから抱いたままその顔を覗き込む。
「……思い出した! 魔道王即位の詔……。なんでククーシカちゃんが知ってんねん? ワシかて忘れとったわ!」
「今、
世界が行うべきことは、
魔力の排除である。
魔力を持たぬ新興の種族に、
世界を早急に譲るべきである。
魔力を持つ者は世界から去るか、
魔力を持たぬ者との関わりを断ち、
両者は遠く隔たれるべきである。
我ら魔力を持つ者に、
この宣言は絶望的であろう。
しかし我らは、
これを行わなければならない。
世界の行く末を……」
「世界の行く末を、この場にいない超常者や、彼らに容易く操られる竜やエルダールに委ねるのではなく、君達に託したいのだ。世界を生んだ我らではなく、世界が生んだ君達に……。それが、あらたな不和や諍いを産み、戦乱が世界を覆うとしても……、何者かの意思でやらされるのではなく……、君達自身の意思において……それを為すべきだ……うううっ」
ククーシカの言葉を、いつの間にか魔王は継ぎ語っていたが、その言葉にはいつの間にか嗚咽が混じり、ついに彼は目頭を押さえ片膝をついてしまった。
「相手が昔吐いた言葉をそのまま投げ返しよった……。これは、究極の呪文や……」
ダリオスは恐ろしい子を見るように、ククーシカを横目で見たが、彼女の視線は魔王の上空を彷徨っていた。
「アルティン・ティータ……」
ククーシカがそう呟くと同時に、厚い雲は割れて、陽光のような白の奔流が吹き出した。




