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開拓騎士団  作者: 山内海
第二話
64/92

越冬 ⅩⅩⅩⅢ




『ひゅーーーー、』

『ひゅーーーー、』

『ひゅーーーー、』


 老人の口からは苦しげな途切れ途切れの呼吸音が聞こえる。

 時々痰がからむのか、『ゴロゴロ』喉が鳴り、意識のないままに、老人は苦悶の表情をする。

 ベッドに横臥する老人の左右には、髪型以外は瓜二つの少女が、椅子に腰掛けて見守っている。


『ズズズズ……』


 右側の少女が老人の顔を覗き込み、枕元にあった盆に置かれた、柔らかい筒のようなものを取り出し、その一方を口で咥えるともう一方を老人の口のなかに差し入れ、彼の痰を吸い上げた。


 ここは、北の灯台塔の地下に広がる町の中、ゴンドオル王兄に従って北行を共にした家臣達が使う宿舎の一室。

 死の床についている、年老いた馬丁を、『方舟の姉妹』が看取っているところである。


 少女は口に溜まった老人の痰を、壺の中に静かに吐き出し、老人の口を清浄な布で拭う。


 もう一人の少女は盆にあった水差しで、老人の口を湿らせていた。


「お姉さま。エルダラン様は……」


 水差しを置いて、少女は問う。


「……」


『お姉さま』と呼ばれた少女、『5号』は、フルフルと首を振った。


「もう、後は、安らかに……。苦しくないように。眠らせてあげましょう……」


 問い掛けた少女の瞳の端で、涙の粒が成長する。


「8号……。これで良いのよ。エダインの、人の一生とは……、」


 そこまで言って、5号は言葉を切った。

 控えめなノックの音の後、魔道王の花嫁ミールが入室した。


「…………大姉様、」


 ナイトガウンをまとい、貴婦人のような出で立ちのミール。

 彼女はつい先日まで、ここにいる二人の少女と同じ姿をしていた。

 魔道王の術で、少女人形から、人と変わらぬ今の体に魂を移されたのだ。


「……」


 5号と8号。

 二人の顔を順に見詰め、その後老人に視線を落とす。

 5号が席を譲ると、ミールはそこに腰掛け、老人の手を取る。


 その時、老人は目を開いた。

 パッチリと、眠くないのに床に入れられた子供のように。

 事実老人は少年のようだった。深いシワが刻まれ、シミの浮いた肌、髪は抜け、その顔は長年の労苦に苛まれていたが、目はキョロキョロと動き回り、好奇心に満ち、この世の秘密の全てを知りたがっているように、期待をしながら輝いていた。


「母様、馬をみたよ」


 5号と8号は驚きの表情を浮かべる。

 今、正に死なんとしている老人が、かすれ声でうわ言を言うばかりだった老人が、ハッキリと少年のような通る声で話しだしたのだ。


「カヤンヤック。何処に行っていたの?」


 ミールはベッドに腰掛けて老人の上半身をそっと抱き上げ、彼の頭を自分の胸に安らわせた。


「カヤンヤック。どこで馬を見たの?」


 子に言い聞かせる母のように、優しげにミールは語りかける。


「龍神池に、石を投げてね、」


「まあ、ダメじゃない、」


「そしたらね、お池にしぶきが上がってね、僕、ずぶ濡れになったんだ。だからお池の裏の林を抜けてね、風に当たろうと草原に出たんだ。大きな馬だった! たてがみが焚き火みたいにゆらゆら燃えててね! たくさんの馬を引き連れていた。そして馬達はね、一斉に立ち止まって僕をみたんだ!!」  

 

 老人の言葉は支離滅裂であったが、その声はハッキリとして喜ばしげであった。


「すごかったなあ。あれはきっと王様の馬だよ。いや、馬の王様なのかも……」


 目を輝かせミールを見詰めながら、カヤンヤックと呼ばれた老人は、ミールと話している。


 その様子を見ながら、5号と8号は小声で言葉を交わす。


「大姉様、凄いわ、手を取っただけで回復なさるなんて!」

 

 8号は驚きの表情でそう言ったが、5号は悲しげに首を振った。


「いいえ8号。大姉様は、ただ手を取られただけ。今は、臨終の時。灯火ともしびが、その最後に一層燃え上がるように、暗い暗い所に赴く人を照すように、命がほんの一時の猶予を与えたのです」


 8号は立ち上がり、部屋を出ようとする。


「でも、元気があるうちに、なにか食べ物を、」


 その言葉にも5号は首を振る。


「いいえ、8号。彼の言葉を聞きましょう。彼の人生は完結するのです。今は最後の思いを伝えるために、与えられた時間です」


 ミールがベッドに腰掛けたので空いた席に5号は再び座り、寝具からはみ出していた老人の手をとって脈を計った。


「母様、お外に行きたいな……、…………大きな馬が……、また、……見れるかも……」


 挿絵(By みてみん)


 少年、カヤンヤックの声は唐突に老化し、最後の言葉は、しわがれた呻き声のようになって消えていった。

 老人は昏睡する。

 後はただ、なお一層苦しげな呼吸音がするばかりだった。


「……孤児だったこの子と、離宮で過ごした頃を、思い出したのでしょう。……辛かったろうに、なのに、ここまでついて来て……」


 ミールは老人をそっと抱き上げた。


「さあ、母と外を見に行きましょう。あなたの好きなお馬が、きっと、……待っているわよ」


 5号と8号は、扉を開き先導する。


 シーツごと老人を抱えたミールは、静かに静かに歩く。

 建物を出て、魔法の明かりのともる地下の町通りを行くと、北行を共にした人達が窓から顔を出し、老人を見送った。

 ミール達とすれ違う護衛兵は、道を空け、胸に手を当てて哀悼の意を示した。


 緩やかな石畳の坂道を降りきったミール達は、港の先の船泊に行き着いた。


 先日ヤシン王兄一行を北之島に渡した方舟が、桟橋に係留されている。


 その桟橋に大きな馬が佇んでいた。


 馬は今、海から上がってきたばかりのように四足しそく海水うみみずに濡らしていた。

 その背には、雨傘をさして大きな煙管きせるでタバコ草をくゆらせる、メイド姿の少女が片側に両足を揃えて騎乗していた。

 少女の片目は黒い眼帯で、片腕は厳つい甲冑のような機械仕掛けだった。

 

「ビショップ……」


 ミールは少女に呼び掛ける。


「魔道王の花嫁様。陸王様をお連れしました。世界創造の時、大海より大地が建ち上りし頃より住まう陸地を歩く者達の主。その性、酷にして、無慈悲。対峙して敵う者無し。比肩する者無し……」


 馬上の少女は吸い込んだ煙と共に、さして感情も感傷も感慨も無い様子で、切り口上をのべる。


「我ら、南に赴き、北進するウンバアル軍を膺懲ようちょうする予定でした。ですが……、」


 ここで『ビショップ』と呼ばれた少女は、ぷかぁ、と、煙を吐き出し、「いやね、人の姿になったら、この、煙草ってのを吸ってみたくてね」などと言い訳じみたことを言った。


 挿絵(By みてみん)

 

「ビショップ……、それは、元々私の体です。後生ですから余り燻蒸くんじょうしないで下さい」


 ミールは少し嫌そうな顔をしてそんなことを言った。


「……我ら、南に赴く算段でしたが、陸王様が北之島に『残念』が有ると申されまして……」


 ミールの苦言を無視し、ビショップは雨傘を畳むと、甲冑のような手で自らが乗る馬の首もとを撫でた。


「……私も、貴方ならこの場に立ち会うのではないかと思いました、……私、あなたを少し見直しました」


 老人を抱いたまま、ミールは少し微笑んだ。

 その笑みは馬上のビショップではなくて、『彼』の乗る馬の方に向けられている。


 ビショップはヒラリと馬から降り、ミールに対し改めてわざとらしいカーテシーをして、5号と8号の後ろに並んだ。

 彼女の膝から下が両足とも機械仕掛けで、『ガシャン、ガシャン』と音を立てた。


 ミールは辺りを見渡し、海風の余り吹き込まない場所を選び、老人をそっと地面に横たえた。


「カヤンヤック。飛影が来ましたよ」


 老人の耳元でミールはが囁く。


 老人の目が開き、視線はしばらく宙をさ迷っていた。

 ビショップを乗せていた大きな馬、飛影が、カツカツと蹄を響かせて老人に歩み寄る。

 

『……!!』


 視線の先に飛影を見留めた老人の目が大きく見開かれる。

 そしてその目には歓喜の涙が溢れ、その潤いの中で、瞳の光は徐々に力を失っていった。

 孤児だった彼をミールが引き取った。

 ヤシンがまだ淵に潜む龍だった頃、ミールとカヤンヤックは親子として離宮で過ごしていた。

 少年時代、草原に遊ぶ、馬の姿をした地龍『陸王』見て、彼の姿を追い馬丁となった。

 ミールが少女の面影を留めたまま、老いてゆく自分に絶望し、距離をおいた晩年。

 王位継承の政変に巻き込まれ、壊れかかったミールの元に駆け付け、絶望的な北行を敢行する頃には、彼は病んでいた。

 それでも彼は、飛影を愛し、ミールを愛し、ここまで辿り着いたのだ。

 再び飛影が現れたことにより、カヤンヤックの人生が完成し、彼は旅立ちのときを迎えたのだ。


「……よく頑張りました」


 老人の呼吸が途切れ途切れになり、遂に息を吐き出した後、吸い込むことを諦めるまで、ミールは彼を抱き締めたまましばらく待っていた。


 飛影はその様子を見詰めている。


「……人間よ、地龍の名に於いて今問おう」


 ビショップが飛影の首元まで進み出て、馬の頭に頬を寄せ、ミールと老人を見下ろして言挙げする。

 それは、飛影の言葉を代弁しているかのように、爛々と光る大馬の視線と同調していた。


「……!! 陸王様!」


 ミールは半ばの期待と半ばの不安が綯交ないまぜの表情で、飛影を見上げる。


「許可を求めよう、そして問おう」 


『我に喰われるか否か?』


 ビショップはそう告げると、後はツンとすました表情でメイド達の列に戻った。


 5号と8号が驚いてビショップを見詰める。


「ビショップ様!」

 

「陸王様がそう思し召されました。これは、そこの老人と陸王様の、龍に関わる事柄ゆえ、我らは口出しできますまい」


 冷ややかな表情で5号と8号にそう告げると、ビショップは視線を老人と馬に戻した。


「……!」


 一瞬、


 失われたと思っていた老人の瞳の光が、戻ってきた。


 力を込めた視線が、ゴンドオルで『飛影』と呼ばれ、馬の姿に身をやつした地龍『陸王』に届き……、


 その瞬間、ひとつの契約がなされた。

 

  



5号と8号


 挿絵(By みてみん)


ミール達


 挿絵(By みてみん)

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