越冬 ⅩⅩⅩⅡ
「いい? 時間がないから一つだけ教えるわ。掌にある刻印は魔力の噴出口よ、そして裏の甲にも刻印があるわ。胸の刻印のあるところから、こっちの掌まで、力が通るところを想像して……」
オーマの上エルダールの生き残りカラリオンと、ワラグリアの敗残兵の指揮官クリム・ドウラン。
ダリオスから解放され、地面に転がり落ちた二人は、25号の足元に隠れていた。
隠れながらカラリオンは、魔力を解放するだけの付け焼き刃の魔法をドウランに伝授していた。
「私の見間違いでなければ、あの少年はヤシン王兄。以前ローヴェの離宮でお目通り叶い、ウィストリア公と供にお会いした時には、まるで赤子のような幼い少年であったのに……」
カラリオンの雑な説明を聞きながらも、ドウランの視線は機械兵と戦う魔王に注がれていた。
「私も、伝え聞きだけど、今は初代魔道王の亡霊に取り憑かれているそうよ。人化しているとはいえ、龍の体と魔道王の知識……。本気で暴れられたら堪ったもんじゃないわ」
カラリオンは恐ろしげに肩をすくめ身震いをする。
「魔道王陛下は慈愛に満ちた方でした。アルティン・ティータ様を心より愛しておられました……。どうしてこんなことを……、」
しゃがみこんだカラリオンとドウランを庇うように立ちながら、25号は呟く。
「25号……。アルティン・ティータはんと会う前の魔道王はあんなんやったで。陽気で冷酷で、遊び半分この世界を乗っ取ろうとしてたんや……」
25号の頭の上で九頭竜ダリオスが呟く。
「魔道王が国を作ったり、食う物困っとるエダインに作物植えんの教えたりして、みんなに優しうしてたんは、ティータはんが居ったからやったのかなぁ。今の魔道王、……魔王は、荒れてた頃の、昔のヤシン・アングバンドや。北の魔国から放り出されて、腹いせにこの地を全て膝下に治め、神々に戦いを挑む力を得ようとしていたアングマアルの魔王や!」
カルディアシデロスの背中から生える四本の砲門からは光弾が次々と撃ち出される。
あるものは球の形に、あるものは稲妻が走るように、或は鞭のように、変幻自在の光弾は魔王に殺到した。
魔王は攻撃をあきらめ、持っていたハンマーを投げ捨て、それぞれの手に『深淵の窓』を開き、防御に徹する。
そこに、先程魔王の一撃を受け小山にめり込んだカルンドゥームが這い出て、カルディアシデロスの加勢に加わるが、防御に徹した魔王を攻めあぐねていた。
「ふふふ、奥の手があるよ!」
両手を塞がれた魔王の背中から、凝縮した闇のような漆黒の腕が何本も生え、その各々が魔術の印を組む。
「雷撃! 雷撃! 雷撃!」
黒い腕の手の先から稲妻が次々と撃ち出される。
二人の機械騎士は稲光に包まれ、白煙を吹き上げて痙攣した。
「くっ、動けるものは今一度、魔王に『死の刻印』を!!」
腹這いのまま疾風姫ストレイリアが叫ぶ。
飛竜の衛士達も地に伏したまま応じ、拘束の呪文を投げ掛ける。
「ふふっ、もう一度綱引きをするかい?」
刻印の黒魔方陣を避けもせず、魔王は鼻で笑う。
そんな魔王を、ストレイリアは注視している。
──アングマアルの魔道王……。エルダールに叡知を授け、海竜との戦争を終わらせ渡海者(アルノオルに赴いた上エルダールの意)を滅亡から救い、南ではエダインの国々を創った人間世界の文明の導き手。
──しかし彼はその道程で、なにかは判らぬが、この世界の禁忌を犯し、結局は天龍アルティン・ティータによって殺された。
──いま、私が目の当たりにしているのは、魔道王と天龍の子……。
──この子供は、何らかの方法で魔道王の記憶を受け継いでいる。
同じようにキコナインのモレヤも、魔王を見つめている。
──彼は人か……?
彼女は魔王の片目、人間の少年の目を見る。
──彼は龍か……?
彼女は魔王のもう片方の目、縦長の瞳孔の龍の目を見る。
──彼の本質はなんだ? 人か? 龍か?
──彼は何に成らんとしている? 人か? 龍か?
エルダールの族長の娘と飛竜の姫。
二人が見つめる先で、少年の姿の魔王は、楽しげに笑う。
死の刻印は既に発動し、十を越える見えない魔法の綱を飛竜は必死で引く。
しかし魔王は平気で歩き回り、その度に飛竜は引きずられ、地面を転がった。
「地面に爪を突き立てよ! 飛竜! ブロアー!!」
カルンドゥームに吹き飛ばされた飛竜衛士フランドゥイールが這いずりながら戻って来た。
カルディアシデロスの砲撃、カルンドゥームの鉄槌、飛竜の拘束呪文と熱線、さらに後から加わった海竜王子ゾファーと一角竜女。
それら全ての攻撃を受け、受け流し、躱し、それでも魔王の顔からは笑顔が消えなかった。
「うーん。君達。決め手に欠けるなぁ。そんなんじゃ天龍は倒せないよ。……さて、」
魔王はパチンと一つ指を鳴らす。
そうすると魔王と戦っていた全ての者達は凍り付いたように体を動かすことが出来なくなった。
「そろそろ私は行くよ。 ティータの後釜を狙うオルタナ・オルセンを倒し、オヤルルの地に私が作った機械兵のプラントを動かそう。魔道機械兵団を編成し、ワラグリア、ゴンドオル、ウンバアルを併呑してエダインとエルダールの帝国を打ち建てるんだ!! ……そして、」
『バシュ!!』
そこまで言いかけた魔王の目、竜の目ではなく人の目に、光の矢が突き立った。
「ウギャアアアアアーーー!!!」
魔王はこの世のものとは思えない絶叫をあげる。
時は少し遡る。
「審判者モレヤよ。悪は定まったか?」
魔王の視線を避けるように、モレヤの陰に潜んで、北の狩人ヤイチャロイキは訊ねた。
「ヤイチャロイキ、魔王を撃って」
モレヤは魔王を見つめたまま答える。
その言葉に、狩人は槍を持ち直し、中程を捧げ持つと天に貢ぎ物を差し出すような仕草をした。
「して、悪の真髄は何処ぞ?」
ヤイチャロイキは再び訊ねた。
「魔王の目を! 魔王の人の方の目を!!」
モレヤの言葉を受け、ヤイチャロイキは祈りの仕草を止め、槍の中程を、まるで弓のように片手で持ち、見えない矢を引き絞るような仕草をした。
すると、槍はつがえた矢が架かった弦に引かれるように湾曲した。
「目だけを射る」
ヤイチャロイキは狙いを定める。
その両の腕には恐ろしい力が込められているのか、微かに痙攣していた。
槍の両端の穂先、青白く光る両刃の根本から、微かな雷光の線が現れ、上と下とから直線で延び、槍を持たない方の、矢をつがえ引き絞った仕草をしたその手の指先で結んだ。
その結び目から、槍を持つ手まで太い光の直線が現れ、槍は弓となった。
弓は光の矢を射出さんとしている。
『シン・キュゥゥゥウウウウウウーーーー!!!』
『ビン!!』
ヤイチャロイキはモレヤの陰から身を乗り出し、矢は放たれた。
──……! 神弓!?!
魔道王が遥か昔、飛竜の古戦士『グフウ』に託したと伝えられる神弓は、天龍アルティン・ティータの角から削り出された、退魔の武具である。
──迂闊! 忘れていた!
魔王の片目、縦長の瞳孔ではない人間の目に、神弓から放たれた矢は突き立った。